第五十話 ほんの些細なこと 60
斎場には十分ほどで到着した。 バスの走った斎場までの道はこれまで私の通った事のない道のりで、家を出発してから間もなく主要道路の道筋から外れ、しばらく山と川沿いの道を走り、それから山の方に続いていた一本の道を上っていくと、頂上の斎場であろう建物の目の前にバスが止まった。
道中、バスの中に荒井先生が居ない事に気が付いた私は、先生はもう帰ってしまったのだろうかと少し不安になってしまったけれど、後に斎場内で荒井先生の姿を見つけ、私は車で来ていたからバスの後を追ってここまで来た、という事を教えてもらった。
それから私たち参列者は斎場職員の指示に従って火葬場の方へと向かった。 火葬場の横に小さな部屋があって、そこには燭台や香炉やお鈴が用意されており、理央の棺はその部屋に運び込まれていた。 その中ではお坊様が読経を始めていて、読経の間に親族及び参列者による最後の焼香を行った。
読経が終わると、理央の棺の乗ったステンレス製の機械的な押し台は火葬炉の方へと運ばれた。 そうして棺を乗せた台車は火葬炉の目の前で停止し、ここが最後のお別れだという事を職員に告げられた後、参列者は正真正銘最後の理央のお顔と対面した。
出棺前に私たちが入れた花々が理央の顔まわりに溢れんばかりに添えられていたのと、理央のお顔があまりにも安らかだったから、まるで理央が花畑の上で寝転がってつい転寝をしてしまっているようにしか見えなかった。 心の中で、今ならばまだ間に合う、早く目を覚まさないか理央と、この後に及んでまだ私は理央の死から逃避し続けた。
それから斎場職員による、恐らく火葬に関連する何かしらの説明が親族になされているのに気を取られている内に、いつの間にか火葬炉の扉が開放されていて、間もなく職員が「それでは、納めさせていただきます」と告知し、理央の棺の乗った台車が火葬炉へ向けて進み始めた。 参列者の中には、すすり泣く人たちが現れ始めた。 私は棺が炉の中へおもむろに進んでゆくのを、ただじっと眺めていた。
火葬炉の奥にまで台車が進んだところで職員が台車を操作し始め、 そうして、台車が引き抜かれ、棺が完全に炉の中に設置されたのを見計らった職員が、火葬炉の扉付近に居た理央の母に扉の前へ行くよう促した。 理央の母が指示通りに扉の前へ進んだところで、他の参列者の方もどうぞ扉の近くへお寄りくださいと言われ、私たちは火葬炉を囲うよう扉より少し離れた位置に移動した。
私たちの移動したのを見計らい、職員が扉横のスイッチを操作し、扉がゆっくりと閉まり始めた。 それから理央の母は先の扉横のスイッチを操作するよう職員に指示され、彼女は動作の重い手をスイッチの方へと伸ばし始めた。 告別式の喪主挨拶の時でさえ動揺らしい動揺を見せていなかった理央の母が、この場で初めて見せた躊躇いの態度に、私は一つの確信を得た。 きっと、そのスイッチを操作する事によって、理央の火葬が始まるのだなと。
それは躊躇いもする筈だ。 そのスイッチを操作し終えれば、間もなく理央の身体は炎に包まれ、肉は焼け、灰となり、そうして、骨だけが残る。 内海理央という物質的な存在が、骨を除いてこの世から消し去られてしまうのだ。 私はそれを止める事など出来ないし、ましてや、その事実を覆す事も出来ない。
でも、それは仕方のない事なのだ。 それはとても悲しい事だけれど、一度死んだ人が再び甦る事は無い。 死んだ人は炎の中で灰となり、最後に骨だけが残る。 これから理央の身体は炎に焼かれ、消滅する。 只の肉片の一かけらも残さずに。
――嫌だ。
――嫌って、何が?
理央は死んだのだ。 死んだ人は火葬され、土に還る。 それが日本社会における習わしだ。 葬の種類は数あれど、人間の死という事実は、ここに居る誰にも覆せない。 子供の私一人が嫌だ嫌だとごねたところで、何も変わらない。 だから私もいい加減に逃避などをやめて、理央の死を受け入れるべきなのだ。
いくら子供染みた逃避を続けたって、もう二度と理央の姿をこの目に映す事は出来ないし、もう二度と理央の笑みを見る事は出来ないし、もう二度と理央の声で私の名を呼ばれる事は無いのだから。
そうして、いよいよ理央の母が決心を固めたのか、あれだけ手を近づける事を躊躇っていたスイッチに手を伸ばし始めた。 先ほどとは違い、今の彼女の手には、覚悟が宿っている。 ああ、終わりだ。 もう、あの手に躊躇いが戻る事はないだろう。 彼女は理央の肉親として、母親として、理央の葬儀に対する最期の務めを果たし切るだろう。 これで本当にお別れだ。 さようなら、さようなら、理央――
"うん、気を付けてね。 それじゃあ、さようなら、玲"
――瞬間、私の脳裏に、私が最後に見た理央の笑みが浮かんだ。 それから間もなく、私の思考に次々と、これまで過ごしてきた理央との日々が激流のよう流れ始めた。 人は瞬間的に数多の情報を与えられると意識が停止してしまうと聞いた事があったけれど、それは比喩でも何でもなく、私の意識は見事なまでに停止し、まるで時が止まったかのような感覚さえあった。
そのフラッシュバックが終わり、私に意識らしい意識が戻って間もなく、理央の母がスイッチを操作し終えたのを私は確かにこの瞳に認めた。 先の意識停止中はとても莫大な時間が過ぎ去ったかのような感覚があったけれど、それは恐らく一秒にも満たない刹那に相違無かった。
そうして、彼女がスイッチを操作し終えたと同時に、先のフラッシュバックが要因となったのか、時計の長針短針秒針全てが零時で重なったかのよう、私の中で何度も何度も扱っていた理央の死という事実を、私の脳は受け入れた。
ようように、理央の死という事実に整合性が取れたのだと喜んだのも束の間、そこで私の意識はぷつんと途絶え――次に私の意識が戻った時、何故だか私は仰向けになって何処か知らない部屋の天井を仰いでいた。




