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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第五部 太陽は月を照らして
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第五十話 ほんの些細なこと 54

 普段より少し遅く帰宅した私は、玄関口で母に出迎えられた。 「久しぶりに理央ちゃんの家にでも行ってたの?」と母の勘は鋭かった。 数えるほどだけれど、私の家に理央が訪れた際に母も理央と顔を合わせていて面識があったから、母が理央の事をまったく知らない訳ではなかった。 だからこそ、理央の死については中々言い出せずにいた。


 それでもいずれは伝えなければならない事だからと決意を固めた私は靴も脱がず土間へ立ったまま、理央が亡くなった事を母に告げた。 死因については隠しても仕様がないから、あの男性から聞いたままを正直に告げた。


 見る見るうちに母の顔の血の気が引いてゆくのが見て取れた。 そのうち母は脱力気味に玄関廊下へ膝を付き、両手で顔を覆いながらおいおいと泣き始めた。 私の胸はまた締め付けられるように苦しくなった。 けれどやはり私は涙を流せなくて、心の中で薄情者だと己をののしりながら、握り拳を作る形でてのひらに爪を立て、そのまま力任せに握り締めた。 痛みに逃げたって、何も変わらないと分かっていながら。


 それから涙を落ち着かせた母は、理央の通夜はいつ行われるのかと私にたずねた。 私はまた男性に聞いた通り明日の十八時だと答えた。 母は「わかった」とだけ言い残して、居間の方へ入っていって、まもなく母の声が居間から聞こえてきた。 どうやら誰かと電話しているようだった。 私はその内に土間から居間へと移動し、母の電話が終わるのを待った。 何やら母の勤め先の会社の人と通話しているらしかった。


 母の電話はものの数分で終わった。 通話を終えた母は「玲、明日お母さん十五時で仕事から帰ってくるから、一緒にお通夜に行こう」と、私と共に理央の通夜に参列するむねを伝えてきた。

 それから、私は授業を終えてからどういった動きをすれば良いかという話になって、学校で授業を終えた私が一度家に戻って身支度をし、再度理央の地元へと戻る為には往復で二時間以上掛かってしまうから、授業を終えた後、私はその地域に滞留し、母が理央の地元の駅に到着したのを見計らって駅で母と合流し、理央の家に向かおうかという話に決まった。


 もちろんのちに帰宅した父にも母の口から理央の訃報ふほうは伝えられた。 父は理央とは面識が無かったから、母のよう涙を流す事はしなかったけれど、自身より圧倒的に年の下の子供が自殺で亡くなったという事実にひどく心を痛めている様子が見て取れた。


 翌日、私は普段通り登校した。 教室は生徒たちの談笑で適度に賑わっていた。 恐らく生徒には未だ理央の死は伝えられていないのだろう。 果たして、クラスメイトが理央の死を知った時、どういった感情を表に出すだろうか。 泣くだろうか、悲しむだろうか、それとも私のように、何も感じないだろうか。


 ――いいえ、他人の動向などはどうでもいい。 私がどう思うか、それが一番大事なのだから。 その一番大事である筈の私の思いがこれっぽっちも私の思う方向へ向いてくれないからこそ、私は困り果てているのだけれど。


 ホームルームの時間、荒井先生はやはり今日も理央の欠席の事について何も言わなかった。 事情を知らない者からすれば、いくら直接関わりの少ない同級生であれど、さすがに三日も休めばいぶかしみを覚える生徒も出てくるもので、ホームルームの終わった後や休み時間などに、ちらほら理央の欠席について憶測を立てる生徒が現れ始めた。 中には、理央と懇意こんいであった私に理央の具合をたずねてくる生徒もいて、しかし私は他の生徒同様、何も知らされていないとうそぶいた。


 先生各位が理央の死を隠している事は明白だけれど、何もその隠蔽いんぺいが悪だと言いたいのではなく、何の心構えも無いまま突然同級生りおの死を生徒に告げてしまうと、精神情緒共々に未熟な生徒達わたしたちは心に深い傷を負い、下手をすれば心的外傷後ストレス障害――いわゆるPTSDをも引き起こしかねないから、きっとその隠蔽は生徒達のこころに配慮したものだという事は私も既に理解していた。 だからこそ、この学校で一番理央と懇意にしていたとはいえ、いち個人である私が何の配慮も無しに『理央は自殺した』などとは口が裂けても言える筈が無かったのだ。


 無論、授業はまるで身に入らなかった。 私の思考と心は理央の死というたった一つの情報に埋め尽くされていた。 それは私のこれまで経験してきた出来事の中でも圧倒的な情報量に相違なかった。 もはや比喩でも何でも無く、人の死という事象に頭の処理が追い付かなくて、頭が破裂してしまいそうにもなった。 そうした情報を何度も何度も経験し処理している大人たちは、やはり私よりも人間的、社会的に一段も二段も上位の存在のように思われる。


 そうして私は放課後を迎えた。 今までに体験した事の無い『人間の死』という膨大な情報を朝目の覚めてから今に至るまで絶えず続けていて脳も精神も極度に疲弊ひろうしていたのか、昼食はパンを二かじほどしただけで食欲が無くなってしまい、それから何も口にしていなかったから、今になって変に小腹が空いてきた。


 現在の時刻は十六時前、母の到着するまではあと一時間ほどある。 葬儀中にお腹など鳴らした日には失礼どころの騒ぎではなくなってしまうから、今もあまり食欲は無いけれど、適度に軽食でお腹を満たしておくべきだと勘案した私は、ひとまず母と合流予定の駅へと向かい、駅内部のベンチ辺りで昼間に食べ損ねたパンの残りを食べつつ母を待とうと取り決めた。

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