表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第五部 太陽は月を照らして
402/470

第五十話 ほんの些細なこと 53

「……すまない。 少し取り乱してしまった」

 涙が落ち着いたのか、男性は指で涙をぬぐいつつ感傷的になっていた事を私に詫びた。


「いえ、心中、お察しします」


 私はもっともらしい慰めの言葉を男性に掛けた。 もちろん、生意気にもその言葉が社交辞令のそれだとも理解している。 それを踏まえた上で、その言葉はこういう場面にとても使い勝手の良い言葉だと思った。 けれど、その言葉を使うような場面には好きこのんで出向きたくないとも思った。


「――あの、もう一つだけおうかがいしたいんですが、大丈夫でしょうか」

 そして私は、最も知りたかった事柄を聞く為、男性にそう断った。


「ああ。 何だい、お嬢ちゃん」男性はすっかり元の状態を取り戻したようだった。


「理央ちゃんは、何が原因で、亡くなったんですか」


 私の最も知りたかった事――それは、理央の死因だった。

 男性の話によると、理央は一昨日おとといの深夜に亡くなったと言っていた。 時間帯から察するに、交通事故の線は薄そうだった。 また、なんらかの凶悪な事件に巻き込まれたとも思えない。 それから、理央が命にかかわるような持病を持っていたという話もこれまで聞いた事もなく、だとすると、理央は――


「そうか、まだお嬢ちゃんは知らなかったか。 ……それを聞いたところで、お嬢ちゃんの気分を悪くするだけだとは思う。 その事実を受け止めるだけの覚悟は、あるかい」


 先の私のふらつきを間近で見ていたからなのか、男性は私の精神を気遣って、私の覚悟を確かめた。


「……正直、それを知った時に、さっきみたいに体調が悪くならない保証はないです。 でも、私は、知っておかなくちゃならないんです。 理央ちゃんの、友達として」と言い切って、私は男性の顔をじっと見つめた。


「分かった。 ……理央ちゃんはな、自殺したんだ。 浴室でカミソリを使って自分の頸動脈けいどうみゃくを切ったんだ」


 私は言葉を失った。 理央の母親の言葉の中にあった『浴室で』という言い回しを耳にした時から薄々勘付いてはいたけれど、やはり理央は自殺していた。 そして私は理央が自殺するに至った要因に、心当たりがあった。 それは、あれら(・・・)の理央に向けた心無い罵詈ばり雑言ぞうごんの数々を受けての傷心と、傷心中の理央からの復縁を私が断ってしまったがゆえの更なる傷心。 そうして傷心に傷心を重ねられた理央は絶望し、自殺という不自然な暴力に手を染めてしまったのだろう。


 ――理央の自殺についてそこまで深く推察している私を、私はひどく軽蔑した。 何故、涙の一つも流す事なく、何故、心を乱す事もなく、まるで他人事のように友人の死について冷静に思考を続けられるのだ、私は。 私はこれほどまでに薄情な人間だったのだろうか。 私は私自身の人格さえも疑い始めた。


 ――いいえ、きっとこの感覚麻痺アパシーは私の人格どうのこうのの問題ではない。 ひょっとすると、理央の死を初めて耳にした時に崩れ落ちた世界と共に、私の心も瓦礫がれきし潰されて壊れてしまったのではなかろうかと私は推測した。 けれど、先の男性の理央に対する無念の涙を見た時、私は心が苦しくなった。 だから、私の心は壊れてなどいない。


 ならば、何故、私は理央の死に対して理央の母やこの男性のように感傷的になれないのだろうと純粋に考えて、そうして、私はその答えに辿り着いた。 何故こんな簡単な事が分からなかったのだろうかと、自身を鼻でわらい飛ばしたくなるくらいに、その答えは私にとって単純極まりないものだった。


 驚くことに、私の脳は、理央の死をまるで信じていなかったのだ。 この家のどこかの部屋に、今もなお理央が息をしているのだと信じてまなかったのだ。 そうとでも結論付けなければ、私が至って冷静に理央の死についてあれこれ思考を巡らせられる理由に説明がつかない。


 なら、どうすれば私は、理央の死に実感を持てるのか。 その答えも簡単だった。 誰であろうとも簡単に人間ひとの死と向き合える方法――亡くなった人物のご遺体と向き合えば良いだけの話だ。 そうすれば私も理央の母やこの男性のように、理央の為に涙を流してあげられるだろう。


         (「――お嬢ちゃん、お)ぃ、お嬢ちゃん。 大丈夫か?」

「……えっ、ああ、はい」


 男性の呼び掛けによって、私は深い深い水底みなぞこから引き上げられたような心持を得た。 どうやら私の意識はかなり深いところにまで沈降していたようで、男性に呼び掛けられるまで自分の心の声しか聞こえてこなかった。 それほどまでに私は、理央の死について熟考していたらしい。


 けれど、先ほど思考に巡らせていた筈の考が、頭のどこを探しても見つからない。 理央の死が信じられないというところまでは覚えているけれど、それ以降の思考が綺麗さっぱり抜け落ちている。 再度その思考を引き上げようとは思ったけれど、また意識がそちらの方へ向いて周りの声が聞こえなくなってしまいそうだったから、ひとまずその思考については考えないようにした。


「お嬢ちゃん、大分疲れてるんじゃないかい? 外もすっかり暗くなってきたし、今日はもう、帰った方が良いよ」


「……そうですね。 これ以上皆さんの作業の邪魔をするわけにも行きませんし。 色々と教えていただいてありがとうございました。 それと、すみません。 私の為に色々と辛い事を思い出させてしまったみたいで」


「お嬢ちゃんが気にする事じゃないさ。 ――通夜は明日の十八時から開始される。 余計なお世話かも知れないが、後で後悔しないように理央ちゃんとしっかり最後のお別れはしておいた方がいいと思う。 特にお嬢ちゃんの場合は理央ちゃんと深い仲だったみたいだからな」


「……分かりました。 それじゃあ、失礼します」


 そうして私は内海家を後にして帰路にいた。 空にはすっかり夜のとばりが下ろされていて、車道を走っていた車のフロントライトが眩しいくらいに私を照らし、覚えず目を細めた。 ふと、理央の家の方を振り返って、様々な人の事を思った。


 第一に、理央の母はあれから立ち直れたのだろうかと無暗に心配した。

 第二に、あの葬儀屋の男性たちは今日何時まで作業するのだろうと他人事みたいに想像した。

 そして第三に、あの日玄関を締め切る前に見た理央の最後の笑みを思い返し、この現実はやはり夢で、理央は生きているんじゃないかしらと思い始めた。


 私はいつ、理央の死に実感を持てるのだろうと、不安になった。 そして、理央の死が現実のものであると私の思考が受け入れ始め、いつしかその二つの相対する感情の間に一片いっぺん齟齬そごも無くなり、ぴたりと整合性が取れた時、私の心はどうなってしまうのだろうと恐れた。


 私は不安と恐怖からのがれるよう、理央の家に向けていた視線を前方へと戻し、再び歩き始めた。 時折、私の心臓の鼓動が停止しているような感覚を覚えた私は、やはり私の心はてついているんじゃないかしらとうたぐった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ