第五十話 ほんの些細なこと 34
無論、そうした懸念に対する対策も無い訳では無く、私たちが学校内で危うい行為をしなければいいだけの話だったのだけれど、ジェットコースターの後にメリーゴーラウンドに乗っても物足りなさを感じてしまうよう、一度でもあのスリルを味わってしまった者には到底、陳腐な安定を受け入れる事など出来るはずがなかった。
私はすっかり不安と安堵の入り混じったあの妙な高揚感に心を灼かれてしまっていたのだ。 それはいわゆる『吊り橋効果』と同様だったのかも知れない。 私たちの不純な行為が誰かに見つかるかもしれない中、そうした行為を遂行するというあの独特な緊張感が、きっと相手への恋愛感情として転化してしまっていたのだろう。 だからこそ私や理央の恋はここまで燃え上がってしまったに違いない。
今はまだ、手を繋ぐ事や口づけのみで留まっているけれど、これ以上心が灼かれて倫理観が麻痺してしまったら、私たちは学校という場所でいよいよ互いの肉体を求めてしまうかもしれない。 そうなってしまったら、もはや誰かに見つかる見つからないの問題ではない。 私たちは本当に、恋という聞こえは良く、しかしその実は、一度嵌れば二度と戻る事の出来ない快楽の沼へと沈んでしまうだろう。
内部進学がほぼ確定しているからといえども、中学三年生という大事な時期に快楽に溺れてしまっては、いつしか堕落の水底に辿り着くのは目に見えている。
理央と恋仲になって間もなくの私ならば、それもまた一興と物怖じせずに理央との関係を歩み進めただろうけれども、皮肉にも年を重ねて保身という己が身可愛さを考えるようになってしまった私には、これ以上何の考えも無しに理央との関係を続ける訳にはいかなくなってしまっていた。
そして問題点はそればかりではない。 仮に私が以降も理央との関係を継続してゆくのだとして、それを一体いつの時期まで続けるのだという遠い将来に対する問題もあった。
これが何処にでも転がっているような男女の交際で、そうした関係が中学から高校、大学或いは社会人となってからも継続し、その果てに結婚を迎えたとなれば、誰も二人の関係に異論を唱える事もなく、誰もが二人の幸せを心から祝福するだろう。 しかしこれが同性同士の恋愛になればどうだろうか。
日本における同性婚は未だ憲法上認可されていない。 しかし明確に『同性同士の婚姻は認められない』と定められている訳ではなく、同性同士の婚姻に対し違憲と合憲の二つの議論が今日まで繰り広げられてきたという。
それこそ過去を遡れば、早くて二十世紀後半に同性同士の結婚式が執り行われたという前例もあるらしく、そうした性質を持つ人たちを認め賛同する人々は昔から少なからず存在しているように思われる。 だからと言って、百人中百人がそうした人々を認め賛同するかと言われれば、決してそうではないだろう。
同性愛者の中には、理央のように元々同性が好きだったという人もいれば、私のように恋をした人がたまたま同性だったという人もいるだろう。 しかし過程はどうあれ、世間的に同性愛というものは気兼ねなく口に出来るものではない。 ならばなぜ同性愛が世間的に許されないのかという問いに対し、私は一つの明確な答えを持っている。 それは『同性間で子供を作る事が出来ないから』だ。
もし、人間という生き物が、異性間だけでなく同性間でも子供を作れる機能を持ち合わせていた生き物ならば、同性同士の恋愛や婚姻などにここまで目くじらを立てられずに済んでいただろう。 しかし現実はそうではない。 言わずもがな男性に妊娠能力は無く、女性も第三者の男性の精子提供でも無ければ、同性間で子供を作る事は叶わない。
子供を作れるか、作れないか。
それはとても単純な事だけれど、単純であるが故に、同性同士の恋愛において避けては通れず、決して覆す事の出来ない非情な現実として同性愛者の前に立ちはだかる。 私もまた、その現実に打ちのめされている一人だった。
いつぞやの時、理央に『やはりこうした性質を持つ私は異常なのか』という問いを投げ掛けられた事がある。 私はその問いに対し『おかしくなどはない、理央が正しいと思うのならば、それが理央の正解だ』と、あくまで理央に寄り添った解答をした事を覚えている。
そしてあの頃の私は、子供を産み育てるのが一つの人生であれば、子供は作らずに両者間のみで家庭を営むのもまた一つの人生だと、あたかも総てを知った風な事を胸中で宣った覚えがある。 けれども、自身でそうした持論を展開しておきながらも、正直なところ私自身としては然るべき時に結婚し、その上で相手の子供を授かりたいという強い思いを抱いていた。
以前は固定観念だ何だなどと格好よく否定的な事を宣ってしまったけれど、何てことはない、一番固定観念に囚われていたのは他の誰でもない、この私だったのだ。 とんだお笑いだ。
理央との禁断の恋にこれほど燃えたのは、他の誰にも真似出来ない一線を画す事がしてみたいという、若さ故の気の衒いだったのだろうか。 ――いいえ、私は確かに、理央の事を心から好いていた。 その想いを気の衒いだ何だと否定する事は、私自身の推測であろうとも私が許さない。
そうだ、私は、理央の事が好きなのだ。 生まれて初めて、私に恋をするという事を教えてくれた人なのだ。 出来る事ならば私はこれからも理央との関係を継続してゆきたい。 けれど、そうした熱情を拵える心とは裏腹に、お互いのこれからの人生を考えて、角が立たぬ内に禁断の恋とやらは綺麗さっぱり終わらせておくべきだという現実的な提案を促してくるのは、やはり私の合理的思考だった。
心も脳も、いずれも私のものなのに、どうして意見が一致してくれないのだろうかと、この時初めて私は人間とはこれほどまでに不安定な生き物なのかという疑問を抱き、ひたすらに葛藤した。
ただただ悲しかった。 ただただ苦しかった。
どちらの答えに寄り添おうとしても、選ばれなかった一方の気持ちが私自身をこれでもかと責め立てる。 合理的思考を選ぼうとすれば、胸が張り裂けるようにずきずきと痛み、感情の任せるがままに気持ちを優先しようとすれば、それは間違いだ今すぐ考えを改めろという不快な音が頭の中で何度も何度も鳴り響いた上で、まるで頭の割れるような頭痛を齎す。
私はこれまで様々な教科において数々の難問に出会って来た。 そしてその全ての問いに対し、明確な答えを出してきた。 如何な難問であれど、答えを明示する事こそが正しいのだと信じてやまなかった。 ――けれど、一つの答えを出す事がこれほどまでに苦しいものだとは、思いもしなかった。 テストと違って、制限時間に余裕はある。 テスト用紙に書かれているのは、たった一つの問題。
『私はこれからも理央との関係を継続してゆくべきか、否か』
答えは二択、『はい』か『いいえ』。 いずれかに〇をつけるだけだから、その気になれば一秒もあれば解答は完了する。 そしてこの問題の答えを決めるのも、私自身。 私が〇を付けた方が正解となる。 何とも馬鹿げた問題だ。 解答者自身に問題の答えを委ねるなど、問題として破綻している。
けれど、これが、これこそが、人生という名の問題なのだ。
ある程度の答えは決まっているけれど、それはあくまで模範解答であり、最終的にその問題に対する正誤を下すのは他の誰でもない、自分自身だ。 人生において、何が正解、何が誤謬なのかなど、誰にも分かる筈が無い。 ひょっとしたら、正解や間違いなんて明確な答えは端から存在すらしていないのかもしれない。
おそらく、私たち子供の目線から見た大人たちは、これまでに何度も何度もこうした答えの出せない問いに躓いては、世の常という尤もな篩の上に問題を通し、その上で篩に残ったもの――すなわち、限りなく正解に近しい方を選んできたのだろう。 それがきっと、子供から大人になる事なのだと思う。 大人はやはり然るべくして大人になってゆくのだなと改めて世の大人たちに尊敬の意を評し、私などはまだまだ子供の域すら抜け切れていない幼子同然なのだなと無暗に失望した。
ならば私はまだ子供だからと、手に持ったペンを乱雑に机の上に放り投げ、目の前のテスト用紙をくしゃくしゃに丸め込み、それをごみ箱へ放棄しようとも許されるだろうか――否。 ここで答えを出す事に逃げていては、私は一生子供のまま人生を終える事となるだろう。
だから私は、大人へと続く永い永い階段の一段目を、ここで踏みしめなければならなかった。 何、スタートするまでは嫌だ嫌だと否定的な気持ちがつい蔓延ってしまう長距離マラソンだって、走り出してしまえば何てことは無い。 苦しい事に変わりは無いけれど、走り出す前のもやもやをずっと抱え続けているよりは余程気持ちが楽なものである。 最初の一歩さえ踏み出してしまえば、こっちのもの。 あとはもう、なるがままに。
そうして私はいよいよ、私の人生における難問の答えを出す為、ペンを執った――




