第五十話 ほんの些細なこと 33
まず、私は理央の事が好きであるか、否か。
――これは最早考える余地も無く私の心に定着している答えだった。 私は、理央の事が好きだ。 それも、友達としてではなく、一人の女性として。
この想いは、理央と正式な恋人になった中学一年のクリスマスの日から微塵足りとも変化していない。 問題は、ここからだ。
次に、私と理央が現今の関係を継続してゆく上で、何が起こるのか。
――この問いについて、私は明確な答えを出す自信が無かった。 何故ならそれは、明日突然起こるかもしれないし、私たちが中学高校を卒業するまでに起きない可能性もあったからだ。 それというのは、私と理央の恋仲が第三者に露呈してしまう事である。
現状、私と理央の恋仲を知り得ているのは私と理央しかいない。 確たる根拠は無いけれど、そうであるという自信はある。 これまで理央とは学校内でたびたび手を繋いだり、時には理央にせがまれてキスをしたりもしたけれど、その危なっかしい行為をする場所は決まって例の憩いの場所だ。
もちろん周囲は側壁によって囲われており、加えてその行為に至る前には周囲に気を配って細心の注意を払っていたから、私たちのそうした行為は誰にも見られていなかったと思う。 もし見られていたのならば既に学校中に私たちの噂が出回っていただろうから、転じて、私たちの恋仲は未だ私たちのみの秘密に留まっているという事だ。
しかしこの時期の中学生――とりわけ女子はと言うと、たまたま小耳に挟んだ眉唾な流言飛語や、あるいは自身の飛躍した想像や妄想を拗らせた上できっとそうに違いないという身も蓋も無い架空の出来事をさも真実のよう語る傾向がある。
インターネット上で広まる有名芸能人のゴシップだの何だのと、男に比べると女というものはそうした情報に執着し、囚われやすいように思われる。 その詮索が著名人辺りで留まっていてくれれば私も変に彼女たちを意識しなくて済んだのだけれど、著名人と同様にして彼女らが食いつきたくて堪らない大好物なものがある。 それが、同級生の恋仲事情だ。
私の通う中学校が県内屈指の進学校といえども、皆が皆四六時中机に向かって勉学に励んでいる訳ではない。 それこそ、授業の進行度は確かに早いけれど、校則はわりかし緩いほうで、中学高校と進学するにつれて厳しくなると言われている頭髪検査も、私の通う学校では実施された事がない(さすがにスキンヘッドやモヒカンなどの奇抜な髪型や髪の染色はご法度だと耳にした事はある)。
授業中のマナーモードの徹底を条件に携帯電話の持ち込みも可能であるし、制服は指定されているけれど、学生鞄の種類は生徒の自由で、本人が不便でないならリュックサックでの登校も可能だ。 ここまで校則に縛りがないものだから、当然学校側が生徒同士の恋愛などに規則を付ける筈もなく、私の知っている限りでも既に三組ほどのカップルが存在していた。 理央以外の生徒と特段必要以上のコミュニケーションを取らない私でさえそうした複数のカップルの存在を知り得ているのだから、実際はそれ以上のカップルが存在していると考えて差支えないだろう。
つまり、私の通う中学は勉学だけでなく、恋愛においても割と盛んだったのだ。 入学する以前はお堅いイメージがあったのだけれど、蓋を開けてみればそうした情事が数か月に一、二度耳に入って来ていたから、当初のイメージとのギャップの差に驚かされたものだ。
そして、私たちの仲に関する不穏な噂も、度々私や理央の耳に入っていた。 その噂というのも、私と理央は絶えず二人で行動していて妙に仲が良いだとか、秀才同士が集い合っていけ好かないだとか、――ひょっとするとあの二人は恋仲として出来上がっているのではなかろうかという妄想の類だとか。
考査の度、常に首位と二位を独占している理央と私の存在を同級生の間で知らない者はおらず、良い意味でも悪い意味でも目立ってしまっていたから、私たちに関する噂は後を絶たなかった。 その実、私と理央が恋仲ではあるまいかという妄想についてはまさしく事実だったのだ。
けれど、誰も真実を知らない以上、私たちが私たちの関係を公にでもしない限り、たとえ彼女らの謳う流言飛語が私たちにとっての真実であれど、それは妄想の範疇を決して抜け出さないから、本来は恐るるに足りない些事であったのだけれど、いつしか何かしらの不手際で本当に私たちの恋仲が露呈してしまった時、もはや『噂』ではない文字通りな『真実』が生徒たちの耳に入ってしまう。
露呈したのがたった一人でも、一人が別の一人に、二人が別の二人に、四人が別の四人に――と、まるで冪乗よろしく瞬く間にその真実は学校中に広まってしまうだろう。
今はまだ知られていないけれど、裏を返せば、たった一人に私たちの恋仲が知られるだけで、私たちの学校生活は崩壊を迎えるも同然なのだ。 そう考えると、いくら理央との恋仲に現を抜かしていたとはいえ、よくもまあ私たちは一歩間違えれば奈落の底へと滑落しかねない危険極まりない崖の傍をこれまで平気で歩いてこられたものだなと、今になってようやく私たちの大胆不敵だったのを思い知らされた。




