第五十話 ほんの些細なこと 29
クリスマスの日に理央が私の家に宿泊したのを最後に、冬期休暇中、私が理央と顔を合わせる事は無かった。 電話も掛かってこなかった。 年の明けてから私が初めて理央に会ったのは三学期の始業式の日だった。 理央は宿泊以前と変わらない態度で私に接してきて、ちょっと調子が狂った。
私の顔を見るや否やTPOを弁えずに過度なスキンシップを図ってくるものかと身構えていたけれど、宿泊中に私が理央に対し述べた、学校でいかがわしい事はしないようにという釘刺しが理央の心に戒めとして刺さってくれたのか、はたまた単なる理央の気まぐれか、何にせよ私たちの関係が周囲に露呈してしまう危険性を考えれば、私にとって理央のこれまでと遜色ない態度は有難かった。
下手な事で騒ぎになれば特待生の名に瑕がついてしまうから、恐らく理央もその辺りの懸念を考慮し、危険の芽を予め摘んでいたに違いない。 だから私たちの互いへの配慮は、私たちにとって実行して然るべき処置だったのだ。 にもかかわらず、私は理央が後先考えずに私に抱き付くなり過度なスキンシップを取ってくる事を、心の底のどこかで期待していた。
まったく馬鹿げた話だ。 あれだけ理央に釘を刺しておきながら、私自身がはしたない行為を望んでいるなど、私にあるまじき軽薄さだ。 ひょっとすると私の心の大事なところがあの宿泊中に起きた一件で焼き切れてしまったのだろうかと、元の私は正常であったに違いないと責任転嫁してしまいそうになる。 けれどもその軽薄さはきっと私の中に元々存在していた性質で、決して何かしらの出来事が作用して生み出された感情などではない。 そう、私は私の意思で、理央を求めていたのだ。
あの一件以来、気が付くと私は理央を目で追っている。
席替えで離ればなれになってしまった遠くの席の理央を――
食堂の店員と仲良さげに会話する理央の横顔を――
食堂で理央と面向かって昼食を摂っている最中、口いっぱいにパンを頬張り満足げな顔で咀嚼を続けている理央を――
放課後、校門で別れてから家路に向かう理央の後ろ姿を――
ありとあらゆる場面で私は理央の存在を意識していた。 それは一体何の感情を以って行われているのだと問われれば、私はこう答えるしかないだろう。 理央に恋をしているからだ、と。
理央との身体と精神の繋がりは予想以上に私の心と体に熱を生じさせていたのだと、私はこの時初めて思い知らされた。 あの夜の熱情は今もなお醒める事を忘れて私を灼き続けている。 焦がれるほどに愛おしいとはこの事を言うのだろうと、まるで一端の恋愛経験者にでもなったかのような生意気な確信すら抱いてしまうほど、私は理央の事をたまらなく好いていた。
けれども、感情の任せるがまま眼前に燃え盛る恋慕の熱情へと身を投じてしまえば、たちまち大火傷してしまうだろうという事を私は理解していたから、せめて必要以上に恋慕の炎が燃え広がらないよう、私は私の逸る心を自制しつつ、火加減を調整していた。
そうして、一見整合性が破綻しているように見えつつも、その実は高度なバランス調整によって釣り合いを保っているテンセグリティ構造の如く、私と理央の恋仲もまた、当初はうまくいくのだろうかと日々懸念を覚えていたけれども、不思議と私たちの間柄は奇妙な釣り合いを保ち続けていて、気が付けば私と理央は二年生に進級していた。
当然お互いに特待生を落とす事も無く、私は勉学と理央の恋仲をいっそう充実させた。 春を過ぎ、気候が安定し始めて憩いの場所が使用出来るようになってからは、一年生の時以上に理央と濃密な時間を過ごした。 いけないと自制はしつつも、時には理性を忘れてその場所で理央と手を繋いだり、間違いなく誰も居ない事を確認した上で口づけを交わしたりもした。
万が一に誰かに見つかるかも知れないというスリルは、しかし私の熱情を更に燃え上がらせる結果となってしまった。 理央の家にお呼ばれした時には、女性同士が身体を重ね合う成人向けの動画をスマートフォンで見てみないかと理央に勧められたこともあった。
未成年の私たちがそうしたいかがわしいものを観てしまっていいのだろうかという尤もな良心も働いたけれど、私も女性同士の性行為についてもっと深く知ってみたいという探求心はもちろんあったから、未成年だ良心だなどと優等生然と私を窘める私の理性をかなぐり捨て、理央と共に動画を視聴した。
動画のそれは、いつぞやに私たちが身体を重ねた時のような、お互いが探り探りのまごまごしい手とりではなくて、端から相手の何処を弄れば気持ちいいのかを知っているかの如き一切の躊躇いの無い手つきで行われていた。 中には女性同士でそんな交わり方があるのかと感心さえ覚えた場面もあった。 動画は十数分のものだったけれど、そのあいだ私も理央も、完全に黙して動画に見入っていた。




