第五十話 ほんの些細なこと 28
理央とのエッチが終わった後、時刻は既に零時を回っていた。 私は一時間以上、身体と精神を理央と重ねていたらしい。 互いに身体が汚れてしまったから、私たちは脱ぎ捨てた自身の衣服をかき集めてから裸のまま風呂場へ向かい、一緒にシャワーを浴びた。 その時に、いわゆる『洗いっこ』もした。 ベッドの上とは違った興奮を覚えた。
それから風呂を済ませた後、時間も時間という事で私たちは手早く寝支度を済ませてから電灯を消して同じベッドの布団を被った。 私の使用していたベッドはツインベッドなどではないから、いくら小柄な女二人だといえども多少の窮屈さは感じた。 しかし、不快感などは一切無く、むしろ理央が私の手の届くところに居てくれて安堵さえ感じた。
私たちは床に就いてからも顔を合わせて色々と語り合った。 その話の途中に、理央は卒然と明かした。 「私ね、昔から男じゃなくて女の子が好きだったんだ」と。 理央のいわゆる『カミングアウト』は、私に少なからずの動揺を齎した。 けれど、あの日理央に初めて口づけをされた時から――いいえ、本当はそれより以前から、私は気が付いていたのかも知れない。 理央が、そうした性質を帯びているのかも知れない、と。
「やっぱりこういうのって、おかしいのかな」
理央は不安そうに、自身の性質に懐疑の目を向けていた。 人間は雌雄同体などでは無く、これから数百数千年後に雌雄同体の人間の突然変異種でも現れない限り、現時点では同性同士で子供を作る事は出来ないから、単純に生物学的に考えれば、同性同士の恋愛は遺伝子としてイレギュラーなのだろうとは思う。
けれど男にしろ女にしろ、人生とは必ずしも子供を産む事が目的では無い。 その思想は別に子供など産まなくても良いといういい加減な事を言っているのではなくて、恋愛を経て結婚し子供を産み育てるのが一つの人生ならば、一生独身である事も一つの人生であるし、結婚はすれど子供は作らないという選択肢もまた一つの人生。
要するに、自分自身の人生に価値を付けるのはあくまで自分自身であって、断じて他人などでは無いという事だ。 その価値観を半ば強制的に決めつけてしまっているのは、きっと固定観念という長年使用した末に鍋の底にこびり付いてしまった錆のような思想なのだろう。
当然、温故知新という言葉もあるように、先人の思想の一切を否定しろなどとは言える筈も無い。 先人の思想が古来より現代にまで色褪せずに残り続けているという事は、それだけその思想が優れているという事。 それはいくら私が一端の詐欺師のよう巧い詭弁を宣おうとも覆す事の出来ない事実だ。 けれども、あくまでそれらの思想に是非を下すのは私たち『個』であって、社会という『全』ではない。
しかしながら、いつの時代にも同調圧力というものは存在する。
『全』という圧倒的な存在の前に『個』という存在は儚く消え去るのが道理。 つまり、いくら『個』が声を大きくしたところで、『全』の前では雑音にすらならない。 それがマイノリティの宿命なのだ。 その宿命が今、理央を苛めている元凶に違いない。
時に固定観念とは己の意思や信念すらも捻じ曲げてしまう危険性を孕んでいる。 もし、理央と肉体的な一線を超えてしまった私が理央の性質を否定してしまったら、理央の心はひどく傷つくだろう。
無論私は理央の性質を否定するつもりなどさらさら無かったけれど、理央は私を信用した上で自身の性質を明かしてくれた。 ならば私も私を信用してくれた理央の事を心から信頼しよう。 理央の性質を知っているのは恐らくこの世界で私だけだろうから、私は理央の味方をしてあげなければならない。
「ううん、おかしくなんてないよ。 理央がそうしたいなら、きっとそれが理央の正解なんだよ」
だから私は理央に寄り添った。 理央は「これが私の、正解」と呟きつつ、次第に表情に明度を取り戻していった。 これまで勉学に対して悩んでいるところなどを一切見せた事のない理央が垣間見せた、長年解く事の出来なかった難問を解いたかの如き晴れやかな表情は、見ているこちらにまで感情が伝わってくるほど嬉々に満ち溢れていた。
「じゃあ、私を受け入れた玲も、女の子が好きだったの?」
私が理央の顔色に見とれている内に、理央は尤もらしい疑問を私に投げ掛けてきた。 そして「正直、良く分からないんだ」というのが、私の本音だった。
確かに女である理央を受け入れた時点で、理央ほどでは無いにしろ、私の心にも理央と同等の性質が備わっていたと考えるのが妥当ではあるのだろうけれども、私はこれまで十数年生きてきた中で、女性に対し恋慕の情を抱いた事など無かった。
かと言って、男性に魅力的な何かを感じた事も無く(これまでに目に留めるほどの男性が私の前に現れなかったという考え方も出来るけれども)、私の他人に興味の無い性質が作用したのか、私は生まれてこの方、恋愛感情を抱いた事が無かったのだ。 だからだろうか、理央からの私への好意に対し、私はひどく心を打たれた。
恋愛経験ゼロの私を殻から出してくれたのは、まさしく理央だったのだ。
啐啄同時。 卵から孵った雛鳥が初めて見たモノを親だと思い込んでしまうように、私もまた私に初めて恋愛感情を向けてくれた理央の事を、他の同級生の誰よりも気にかけている。 きっと私は理央の事を好きなのだと思う。 そしてその『好き』は友達としてではなく、一人の女性として。
「私は理央みたいに、これまで女の子を好きになった事は無かった。 かといって特定の男の子を好きになったりもしなかった。 小学校までの私は勉強に明け暮れてて、そういう恋愛事に興味が無かっただけなのかも知れないけど」
理央は私の言葉を首肯を交えながらうんうんと聞いていた。
「だから私の性質は理央のものとはまた違うのかもしれない。 でも、理央の事は好きだと思う。 友達としてじゃなくて、一人の女の子として」
「……うれしい」
彼女らしからぬはにかみを覗かせつつ、理央は嬉々の籠る声色でそう呟いた。
「私も好きだよ、玲っ」
「え、ちょっ――んっ」
理央は私への想いをあらためて伝えた後、突然私の身体に寄り添ってきて、その勢いのまま私に口づけを果たした。
「――んっ、もうっ、強引過ぎるよ理央っ」
私は理央の身体を押しのけて、半ば強引に口づけを終わらせた。
「ごめんごめん。 でもこれで私たち、相思相愛だね」
心に思っていても中々口に出来そうにない歯の浮くような台詞を、理央は平然と言ってのけた。
「まぁ、そういう事に、なるのかな?」
けれど理央の言葉は確かに事実だったから、それを認めない訳にもいかない。
「だったら私たちは今日から恋人同士だねっ。 あー、学校で噂になったりしたらどうしよう」
「……分かってるとは思うけど、学校で私に抱き付いて来たり、ましてやキスなんて絶対しちゃ駄目だからね」
「えー」
「えー、じゃないでしょ! まったくもう……」
先行き不安な理央の態度を目の当たりにして溜息が出そうになる。 けれど私も理央には甘いから、理央にせがまれたらせがまれるだけ、倫理の許す範囲で彼女の要求を容易く飲み込んでしまうのだろうという諦観にも似た感情を抱きつつ、私は自然と訪れた睡魔に導かれるよう、ゆっくりと瞼を落とした。 そして眠りに落ちる間際、きっと私は目を覚ましても落ち続けるのだろうと確信した。 同性同士の恋愛という、禁断の恋に。




