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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第五部 太陽は月を照らして
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第五十話 ほんの些細なこと 26

 ケーキを食べ終えた私たちは、どちらが相手の方を向くでもなく、正面を見据えながらお互いが黙していた。 けれど、その沈黙は別に気まずいそれではなくて、互いが互いを信頼しているからこその、むしろ心地の良い沈黙だった。 それが数分ほど続いた後「あのね、玲」と、理央が真面目な口調で私を呼んだ。 私は正面を向いたまま「うん」とだけ返事した。


「半年前くらいに学校の昼休みの時間に私が玲にキスした時の事、覚えてる?」


 理央にそう言われた途端、ちりちりと私の胸が焼け付くような感覚を覚えた。 忘れるはずもない、あの日の出来事は今も私の記憶に新しく、鮮明に脳裏に思い起こす事が出来る。 けれど、あの日の出来事から一切その件について何も口にしなかった理央が今更になってその事を掘り起こしてくるとは思いもしなかったから、私の胸の妙な焼け付きは、更に深度を増していった。


「うん、覚えてるよ」


 何の意図も無しに『忘れた』などととぼけると理央を傷つけてしまうかも知れなかったから、ひとまず私は様子見として、あの日の出来事を覚えていると素直に答えた。


「そっか。 玲はあの時、私にキスされてどんな感じだった?」

「え、どんな感じ、って」


 返答にははなはだ参った。 確かに、理央に口づけされて沸いた感情の一つや二つはある。 ただ、それをそっくりそのまま理央に伝えてもいいものか私には判断がつけられない。 というのも、私の胸中に抱いている感情は、私のファーストキスを理央に奪われた喪失感だとか、女同士でキスをするのは如何いかがなものなのかだとかの、きっと理央の私に期待している返事とは真逆の答えだったからだ。


「べつに思ったままを言ってくれたらいいよ」


 しかし理央は、そうした私の否定的な返答を予覚していたのか、覚悟はしていると言ったような真面目な顔つきと語勢で、私の顔をじっと見つめてくる。

 普段のとりわけ熱のともらない、のほほんとした理央の瞳の奥底に、めらめらと燃え上がるような一つの意思を感じた私は、下手に事実をうそぶくのはかえって理央に失礼だと悟り、そうして「最初は驚いて、その後は、私の初めてのキスを理央に奪われた喪失感と、女の子同士でキスするのって普通なのかなっていう疑問が湧いた」と、正直に答えた。


 私の返答を聞いた理央は顔を正面に戻しつつ微笑を浮かべながら「そっか」とつぶやいた。 先の呟きとその横顔からは、哀愁に似た感覚を私に匂わせた。 それからまた沈黙が始まった。 今度のそれは、少し気まずさを含んでいた。


 さすがにこの沈黙には数分と耐えられなかったから、私は「理央はあのキスの事、どう思ってたの?」と私自身も気になっていた事を理央にたずねた。 理央は自身の胸辺りに手を置いて「何て言うんだろ、言葉ではうまく説明出来ないんだ。 こんな事言っても笑われちゃうかも知れないんだけどね」と語り始めた。


「本当はね、あの時のキスは勢いでしちゃったんだ。 でも、玲とキスした瞬間、確かに私の胸に火が点いた。 あの瞬間から私の胸のどきどきが全然治まらなくて、あれ以上玲の傍に居たらどうにかなっちゃいそうだったから、私は玲を一人残して逃げたんだ。 『好きだ』なんて意味深な言葉を言い残してね」


 果たしてあの口づけは理央の発作的な衝動により引き起こされた明確な意味を持たないものだったらしいけれど、私と同じく理央もまた、あの口づけによって言葉に言い表せない『何か』を感じ取っていたようだった。

 胸に火が点いた――その表現に、私は心当たりがあった。 到達こそしなかったけれど、私の胸にも確かに導火線が伸びていて、理央の口づけによって火が点けられてしまったのだ。


 もしもあの時、火の点いた導火線の鎮火につとめずにそのまま導火線の燃え尽きるのを眺めていたら、私も理央と同じように、胸に火が点いていたのだろうか。 胸に火が点いたら、私は理央に対してどういった感情を抱いていたのだろうか。 そしてその感情は私のこれまでつちかってきた世界観をも燃やし尽くし、新たな境地へと私を導いたのだろうか。 ひょっとすると私は私の知らない世界へと私をいざなう為の導きの火を、自らの意思で消し去ってしまったのではないだろうか。


 そう考えると、私の行った鎮火という行為は、とてつもなく愚かで勿体ない行為だったと思えてくる。 臆病が故に結果も知らない内に私自身の気持ちから逃げてしまった私を叱りつけたくなる。


 私も理央と同じ気持ちをいだきたい――そうした一種の願いにも似た欲深き念を心にこしらえた時には、私の瞳は理央の顔をまったくとらえていた。 理央もまた、私の視線に応えるよう、例の瞳で私をじっと見つめてきた。

 

「あの日から、私の胸には火が付きっぱなしなの。 熱いんだ。 玲なら、この胸の火を消す事が出来る?」

「……別に消さなくてもいいよ。 いっその事、その火で私の心にも火を付けて欲しい」


 理央の妙になまめかしい顔色にてられ、覚えず本心が漏れた。 消えた消えたと安堵あんどしていた導火線の火は消えずにあの日からずっと、くすぶりを続けていた。 燻ぶっていたのならば煙が出る筈だけれど、私はその煙を意図的に見逃していたに違いない。 そうでなければ嘘だ。 きっと、導火線の火を消したいと思う一方で、その火が消えて欲しくないという想いが、少なからず私の胸に抱かれていたのだろう。 だから私はもう一度、あの日の再現をここに願った。


「玲、いいの?」

「うん、私も理央の気持ちを理解してみたいから」


 最早言葉は要らなかった。 そうして私たちは互いに導かれるよう、唇と唇を重ねた。 今度のそれは刹那でなく、永遠のように。

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