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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第五部 太陽は月を照らして
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第五十話 ほんの些細なこと 21

 ただただ許せなかった。 怒りさえ覚えた。 高々(たかだか)二か月程度の浅い付き合いで友達振るのも烏滸おこがましいとは思う。 けれど私は初めて他人を、理央の事を、純粋に知りたいと思った。 その私らしからぬ念が沸いたきっかけというのも、理央が入学式の日、私に執拗しつように付きまとってきたからだ。 理央が何故私に目を付けたのかは未だ判然はっきりとはしていない。 けれど、その行動の根底には揺るがない一つの信念があったのだと私は思っている。 いつかはその信念さえをも明かしてやるという野望もひそかに抱いていた。


 なのに、理央は私を理解者の一人として勘定していなかった。

 悲しかった。

 悔しかった。

 ならばこれまで過ごしてきた私と理央の日々は何だったのかと。

 『私の目に狂いは無かった』と言わしめた私という存在はいつわりだったのかと。

 理央がこのまま本当に光速度で私の前から消え去ってしまうのではないかと。


 そうして胸中に様々な感情を沸かせている内に、気が付くと私はその場に立ち上がっていて、理央の手を握っていた。 何故私が理央の手などを握ったかは私にさえも分からなかった。 もちろん理央はきょとんとしていた。


「確かに私も、理央の学力に関してはほとんど理解してないし、これからも理解できないと思う。 私には理央みたいな事、一生掛かっても出来ないだろうから」

 私は理央の手を握ったまま、私如きの頭脳では理央の頭脳には到底及ばないという諦観染みた思いを吐いた。


「……そうだよね、それが普通だよ」と答えつつ、理央は俯いた。


「でもっ、学校って勉強ばっかりじゃないでしょ? 理央は真面目に聞いてなかったかもしれないけど、入学式の時に校長先生がこう言ってたんだ。 『勉学に励むのは勿論だけど、知識という栄養だけで人は成長しない。 下を向いて勉強するだけじゃなくて、時には身体を思い切り動かして、時には友達と笑い合う事も必要だ』ってね。 私は勉学においての理央の理解者にはなれないかもしれないけど、一人の友達として理央を理解したいと思ってる。 だから、これからも私は理央の傍にいたい」


 我ながら心が熱くなっている事を素直に認めた。 とても照れ臭い事をのたまってしまったと頬が熱くもなった。 けれど私はそうしてでも、理央との繋がりを断ちたくは無かった。 理央が何故あの時私を選んだのかを知らないまま、理央と離れたくは無かったから。


 それは一つの我儘わがままでもあったと思う。 しかし私にとっての我儘とは、決して自分勝手に振舞う事じゃあなくて、自身を偽らず、自身の信念を曲げない、まさしく言葉通りの『わたしのまま』という意味合いとして捉えていたから、私は私の心をこれほどまでに熱く熱く突き動かした理央という存在を追い求める私を愚直に信じた。


 そうして、しばらく私たちの間に沈黙が流れたあと、私が握っていた理央の手が徐々に熱くなってゆくのを感じて――まもなく、理央は私の顔を見てにこりと優しく微笑ほほえんだかと思うと、突然正面から私に抱き着いてきて、私の胸に顔をうずめた。


 入学式の時にも似たような事をされていたから今回はそれほど驚きもしなかったけれど、何故だかあの時とは抱擁ほうようの感情の入れ方が異なっていて、えらく情熱的というか、一心不乱というか、そうした部類の感情を私に与えた。 そして私もその理央の感情の熱にてられてしまったのか、頭で考えるより先に彼女を優しく包み込むように抱擁した。


 理央はしばらくその状態を維持していた。 何かしらの感慨にひたっている理央をないがしろにしてしまう事をはばかり、私は彼女の気が済むまで待っていてあげようと取り決めた。 それから理央は私の胸に顔をうずめたまま「やっぱり、私の目に狂いはなかった」と嬉々のこもる声で呟いたかと思うと、おもむろに私の胸から顔を上げて私と対面し、私が理央の白い肌や長いまつげに見とれているうちに――私の唇は、理央の柔らかく暖かな唇に奪われた。 私たちの口づけが合図になったかのよう、まもなく予鈴が鳴り響いた。


「好きだよ、玲」


 理央は満足げにそう言い残し、駆け足気味に一人階段を下りてその場を去った。 私は理央の軽快に階段を下りてゆく様を見つめたまま、その場から一歩も動けなかった。 まばたきも、呼吸も、心臓の鼓動すらも忘れてしまったかのよう、私の時間は完全に静止していた。


 ただただ、理央の柔らかく潤いのある暖かな口づけの余韻だけが、私の唇をつたって私の心の奥底へと徐々に移ってゆくのを感じた。 それはまるで導火線だった。 それが私の心の最奥に到達した時、私の心は爆発するのだろうと確信した私は、導火線という火種を消し去る為、とっさに手の甲で乱暴に唇を何度もぬぐった。


「……わからない。 何も」


 突然奪われた初めての口づけ、いわゆる私にとってのファーストキスは、甘くもなく、苦くもなく、どちらかというとそれは、焦燥と困惑の味。

 午後は十三時二〇分、私と理央を温めていた陽は確かに、西へと進路を取っている。 私は西へ向かうでもなく、東へ向かうでもなく、その場に佇立ちょりつし続けた。

 予鈴は確かに私の耳に聞こえていた。 けれど私はその場に佇立し続けなければならない。 理央の点けていった導火線の火が、確実に私の唇から消え去るのを確認するまでは。

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