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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第五部 太陽は月を照らして
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第五十話 ほんの些細なこと 13

 一時間と二十四分の長距離通学にもほどほどに慣れ、私が例の少女の事を違和感無く『理央』と呼べるようになった皐月の終わり頃。 私の中学生活は私の思っていた以上に充実していた。


 授業のレベルはやはり高く、一日でも遅れを取ったらそのまま置いてきぼりにされてしまいそうなほどに授業内容の密度が濃い。 A特待を獲得出来たからと言って呑気のんき胡坐あぐらをかいていればたちまち他の同級生に寝首を掻かれる事は請け合いだ。

 もちろん私は自身の学力を過信しおごり高ぶるつもりなど毛頭なく、特待生の名に恥じぬよう、どの授業に対しても誠心誠意真摯に取り組んだし、帰宅してからも当日の授業の復習はおこたらなかった。 だから、五月中旬に行われた中間考査も、私は全クラスで一位を取る気満々でいた――のだけれど、その時の中間考査の私の順位は二位で、私を打ち破って堂々の一位を手にしたのは、理央だった。


「なんだ、意外と簡単に取れるものなんだね、一位って」


 校内に張り出された学年順位表を私の横で見ていた理央は『一位』という栄光に対しとりわけ興味を示す事もなく、あっけらかんとそう言い放った。 私が今回の中間考査の結果に少なからずの口惜しさをいだいている最中に彼女が口にしたその言葉には激しい対抗心を掻き立てさせられた。


 入学式ののちに聞いた話だけれど、私と同じくして理央もまた、A特待に選ばれた優良特待生だった。 やはり女手一つで自身を育ててくれている母の経済的負担の軽減の為にこの中学の特待生を狙ったのかとたずねた事もある。 そして彼女はこう言った。 「それはもちろんあるけど、やっぱり一番の理由は私の家から近かった事かなぁ。 私、朝弱くて早起き苦手だからさ」と。


 理央の言った通り、彼女の家から私たちの通う中学校までの距離は私の通学距離と比べたら文字通り目と鼻の先で、理央が普段八時丁度に起床していると言っていたのを聞いて、平日は毎朝六時起床の私は私より二時間も時間的に余裕のある理央が素直に羨ましいと思った。


 けれども、母への経済的負担の軽減という一応の筋道は立てていたとはいえ、家に近いという理由で県内屈指の難関中学校の受験を志望してしまうとは、その話を聞いた直後は何とも理央らしいと覚えず空笑いが出た。 あまつさえそうした軽薄な動機に突き動かされた末にA特待まで獲得してしまうのだから、自由じゆう奔放ほんぽうかつ悠々(ゆうゆう)自適じてきのある理央の直感的な行動も、ここまで突き抜けているとそれが正しいものとさえ思えてくるのだから実に不思議なものだった。


 少なくとも私には『家から近い』などという理由だけで進路を決めたりは出来ないから、そうした観点から見れば、理央は自身が望む環境を自らの手で掴み取れる強い『力』を持っていると言っていいだろう。

 その『力』の中身というのは先に語った『学力』であり、そして、他人に興味の薄い私にすら強い関心を抱かせる、人としての『魅力』だった。 いずれの力も分類はまるで違えど、物事の変化を認知させる『力』という名の象徴である事に変わりはなく、このような高慢ちきな言葉を好んで使用したくはないけれど、彼女を見ていると不思議とその言葉が脳裏に思い起こされてくる。 "力こそ正義なのだ" と。


 ――前述のとおり、理央は頭が良かった。 良すぎて恐ろしささえ覚えた。 中間考査で理央が一位、私が二位と順位こそ明確に付いたはいいけれど、その一と二の間には距離がある。 その距離というのも、一に一を加算すれば届くなどという安直なものではなくて、数百、数千――いいえ、数万以上の距離さえひらいていると私に感じさせてしまうほどの圧倒的な差がある。 差と言葉にするといずれは縮められるものかと勘違いしてしまいそうになるけれど、正直なところ、私と理央のそれ(・・)を差という物差しで測っていいのか私には判断出来ないし、その行為が烏滸おこがましいとさえ思えるほどに、まるで現実的な距離ではないのだ。


 あえて形容するならば、私と理央の学力には一光年の差があると言おう。

 一光年――その名の通り、光が一年間に進む距離の単位だ。 一光年という単位を単純に耳に認めれば、一メートルや一キロメートルなどのように、それぞれ距離は違えど、何かしらの移動手段を以ってその方向に進み続ければいずれはその単位が示した距離に辿り着くのだと思えてしまうけれど、光年という単位はまさしく距離の次元が違う。


 先に説明した通り、一光年とは磁場や重力場などの諸々の影響を受けない光が一年の間に進む距離の単位であり、そもそも光の速さはどのくらいなのかというと、一般的な光の速さの解説として用いられるのが『一秒間に地球を七周半する』という例えであり、地球の直径が約一二七四〇キロメートル、円周を約四万キロメートルとすると、光の速さは秒速三〇万キロメートル、分速にして一八〇〇万キロメートル、時速に換算すると十億と八〇〇〇万という途方も無い数字となる。


 そして肝心の一光年の距離は、九兆四六〇〇億万キロメートル。 地球の引力圏を脱出するのに必要な速さである第二宇宙速度――即ち秒速十一.二キロメートルを超える速度を出す事の出来るロケットが秒速十五キロメートルの速度で航行を継続したとしても、二万年以上の時間が掛かる。


 平気で億の単位が出てくる宇宙にしてみれば、宇宙の年齢と言われている一三八億年のうちの二万年なんて六九万分の一、高々十と二年を生きただけの私にとっての九分と八.四秒。 ちょうど授業の合間の休み時間が終わる直前の感覚なのだろうけれど、私たち人間にしてみれば二万年という年月は退屈を我慢してどうにかなるレベルの問題ではない。 距離という単位で換算する事は出来るけれど、どう足掻こうが決して縮まる事の無い距離――だからこそ私は理央との学力の差を一光年という法外な単位で形容したのだ。

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