第五十話 ほんの些細なこと 12
「いや、別に嫌いって訳じゃないけど」
写真に写った私の意地っ張りな態度と改めて向き合って気恥ずかしさが込み上げていた最中だったから、私は少女の問いに対して可とも否とも言えない曖昧な返事をした。
すると少女は「じゃあもうちょっとだけ撮っていい? 今度はカメラ目線でよろしくね!」と言った後、スマートフォンを熟れた手つきで操作し始めた。 先の発言から、恐らくスマートフォンのカメラ機能を起動させようとしているのだろう。 それからカメラの起動を確認したらしい少女は右手でピースサインを作りつつ私の左腕辺りに自身の身体を密着させると共に、スマートフォンを持っていた左手を思い切り前に伸ばしてカメラの付いているであろう部分をこちらへ向けてきた。 その行為に対する名称は私も知っていた。
今少女が行おうとしている事、それは、携帯電話の機能の一つとして内臓されているカメラで自分自身を撮影する『自撮り』というものだ。 ただ、その行為を知ってはいたけれど、私はもちろん未だに携帯電話など持っていないし、誰かにこうした行為をせがまれた事もなかったから、何だか荒波一つ立たないの浄土の湖を渡る船に悠然と乗っていたら、流行という俗世の波に卒然と揺られ煽られてしまった挙句、周囲にその様子が露見してしまったかの如き照れ臭さを覚えてしまう。
これほどまでに人がごった返している中、いちいち私や少女の行動を気にかけている人などいる筈も無いだろうに、しかし私などが、碌な友人関係すらも結ばずに知識の探求に明け暮れていたこの私が『自撮り』などという承認欲求を象徴する行為を憚らずに享受しようとしているという事実は、私に最大級の羞恥を覚えさせるのには十分過ぎた。
この見せしめとも言える仕打ちは、浮世離れした私への応報だったに違いない。 どうやら、知識を詰め込んだ頭だけでは目まぐるしく流行り廃りの移り変わってゆく現代社会をうまく生きていけないように思われる。 私はこの学校で新たな知識と共に、そうした方面のお勉強もしなければならないようだ。
「ほらー、また別のとこ向いてるー。 カメラここだから、ちゃんと見てよ?」
「う、うん」
そうして私は少女の勢いに押されるがまま、自撮りで写真を数枚撮られた。 それから少女は先ほど撮影した写真を確認していた。 何を気に入ったのか、少女は私の写っている写真を眺めながら口元を緩めていた。 私も少女の傍からその写真を覗き込んだ。 先の先生が撮影した写真とは違い、確かに私はカメラ目線にはなっていたけれど、口元には一つの笑みもなく、どこか戸惑いを匂わせつつ表情が強張っている。
ひょっとすると少女の笑みの原因は私の無愛想な相好が原因だったのだろうかと思ってはみたけれど、私には少女の笑みがそれによって引き起こされたのではなく、どちらかというとその笑みは、憧憬だとか、慕情だとか、そうした一種の好意的なものに見えた――いいえ、見えてしまった。 何故そうした答えに行きついたのかは私にも分からない。 けれど不思議とその答えは、私にすんなり納得の二文字を飲み込ませた。
「いやー、何だか今日は良いコトいっぱいだったなぁ」
スマートフォンをスカートのポケットにしまい込んだ後、少女は数歩前に歩みを進め、私に背を向けて両手を天に伸ばして背伸びしながらそう言った。
「良い事、って?」と、私もつい反射的に少女へ訊ねた。
「まず、キミに会えた事」と言いつつ、少女は私の方を振り返った。 その口元に笑みは浮かべていたけれど、それはおちゃらけや冷やかしとはまったくの別物で、笑ってはいるけれど、目の奥から力強い一つの意思を感じさせるような、とても真面目な顔をしていた。 私はこれまでの少女らしからぬ真面目な様にすっかり翻弄されてしまい、口を噤んだまま目をぱちくりさせる事しか出来なかった。
「それからキミと同じクラスで席が隣同士になった事。 最後に、私の好きなこの数字でそれを叶えられたって事かな?」
少女はあらかじめ返答を決めていたかのよう、すらすらと言葉を紡いでいく。 そうして最後に語った言葉と共にスカートのポケットの中から取り出した一枚の小さな紙は、私の胸を大きく震わせた。
「え、その数字が好き、って」
「うん、四九。 私この数字が好きなんだ。 こんな事言っても何言ってるんだって思うだろうけど、ぱっと見素数に見えるのにちゃっかり七で割り切れるひねくれ感っていうのかな、一言で言うと――」
「「生意気」」
私は少女と声を揃えて少女が言おうとしていた事を言い当てた。 よもや自身にしか理解出来ない感覚を私に言い当てられるとは思ってもいなかったであろう少女は、目を丸くしながら私の顔をじっと見つめている。
「どうして、分かったの?」
少女はひどく驚いた様子でそう訊ねてきた。
「私も、あなたと同じ考え方をしてたから」
私は少女の顔を見据えながらそう答えた。 すると少女は「……くくっ、あははははっ!」と出し抜けに大笑を呈したかと思うと「やっぱり私の目に狂いは無かった! キミ、最っ高っ!」と言いながら周囲の目も憚らずに正面から私に抱き付いてきた。
「わっ! ちょっ?! えっ?!」
少女の行動はまったくの意想外だったから、もちろん周囲の目も気にはなったけれど、それ以上に少女の口から先ほど発した「私の目に狂いは無かった」という言葉に、私はただただ狼狽えと驚倒を覚えるしかなかった。 けれど、その言葉から察するに、やはりこの少女は入学式の時から意図的に私と接触を図ろうとしていたという事になる。 ならば一体、何の為に?
――でも、今となってはそんな些細な事はどうでもよくなっていた。 少女が私を見つけたように、私もまた、私と同じ感覚を持ち合わせるこの少女を見つける事が出来たのだから。
「あ、そういえばまだキミの名前聞いてなかったね」
少女は抱擁を解いたあと、思い出したかのようにそう言ってきた。
「私は、坂井玲」
「アキラ? あははっ! 何か男の子の名前みたいだね!」
「……そう言われるの気にしてるんだからあんまり言わないで」
私はちょっと不貞腐れながら不満を露わにした。
「はは、ごめんごめん。 でも、可愛いと思うよ。 女の子でアキラっていう名前」
「ほんとに?」
「ほんとほんと」
少女は白い歯を覗かせながらにんまり笑って見せた。 私の玲という名前を可愛いと言ってくれたのは両親を除いてこの少女だけだったから、何だか無性に嬉しくなった。
「そっか。 ありがとう。 そういうあなたの名前は?」
「私は内海理央、玲さえ良かったら理央って呼んでよ!」
早速私の事を名前で呼び捨ててきたこの少女の人との距離の詰め方の率直で正直な様に私は失笑を禁じ得なかった。 そして私が少女の前で初めて見せた笑顔がそれだったという事には、きっと少女も気が付いてはいなかっただろう。
これが私の、内海理央という少女との邂逅だった。




