第五十話 ほんの些細なこと 6
軽躁な女の子の存在を除けば、入学式は極めて滞りなく終了した。 入学式の後はクラス分けだそうで、私たち新入生一同はクラス分けの場とされる運動場へと向かわなければならなかった。 その間、保護者は別の場所で待機していると言っていた。
それにしても、新入生の人数の多いのは先の入学式の時に思い知ったけれども、三〇〇人以上もの生徒のクラス分けはさぞ先生達の頭を悩ませるのだろうなと、まるで当事者見たような気取った想像が私の頭を過った。 そうした益体もない思考を相手しつつ、私は他の新入生たちの流れに乗って講堂を退室し、運動場へと向かった。
運動場へと向かうまでの道のりの途中、私は入学式で起きた例の少女との接触をふと思い出した。 あれは一体何だったのか。 いや、思い出すだけ馬鹿を見るだけだと、私は何度かかぶりを振りつつ先に接触を求めてきた女の子の存在を脳裏から振り払おうとした――
「ちょっと~」
「わぁっ!?」
――矢先、私は背後からいきなり誰かに抱き付かれた。 あまりにも突然の出来事で驚いたものだから、覚えず私は素っ頓狂な声を上げてしまった。 それと同時に私の前方を歩いていた新入生の男女数名がその場で足を止めてこちらを振り向いたかと思うと、何事も無かったかのよう姿勢を戻して歩を再開し始めた。
まったく、とんだ恥をかかされた。 私と同じくしてこの学校に入学した地元の同級生などは居なかったから、今私に接触しているこの人物は気さくに私の身体に抱き付いてくるほど親しい友人などではなく(そもそも私に友人などはいない)、現時点ではまったくの赤の他人である事は間違いない。 けれども、何かしらの事情で私の事をある程度知っている人物である事も判明している。 そして微かに聞き覚えのある声。 以上の観点から、今私の身体に抱き付いているこの人物は――
「やっ、さっき以来だね」
首を回して確認したその人物はやはり、先の入学式で私の右隣に座っていた例の軽躁少女だった。 私は一つ大きなため息をついた後、私の腹回りに巻き付いていた彼女の腕を半ば強引に引き離してから彼女と対峙した。
「もうっ! さっきから何なのあなたっ!」
入学式の途中から執拗にこの少女に絡まれていた事に対する苛立ちのようなものが募っていたのか、私は私らしくもなく怒りという感情を顕にし、少女に向かって怒声を浴びせかけた。
「何、って。 キミにあれだけ無視されちゃったら、何が何でも振り向かせたいって思うじゃない?」
頭を抱えるという慣用句は、こういう状況の際に使うのが正しいのだろう。 まさに言葉通り、両手で頭を抱えたくなるほど私はこの少女の存在に困惑している。
全体、何故私なのだ。 新入生三四三人の中で、何故少女は私に付き纏うのだ。 ただ入学式の際に席が隣同士になっただけじゃないか。 たったそれだけの理由で何故私がこのような不真面目極まりない少女にここまで付き纏われなければいけないのだ。
――しかしながら、私もこの少女を無視してしまったという罪悪感は少なからず抱いている。 だから本来抱かずに済んだであろう謂れの無い罪悪感を払拭する為、ここは一度だけ真摯に彼女と向き合い、そうして、面と向かって私はあなたのような人間とかかわりを持ちたくないのだとはっきり伝えなければならない。
「……確かに、あなたを無視した事については私にも落ち度があったと思う。 ごめんなさい。 でも、あなたもあなたで校長先生の話も碌に聞かないで欠伸したり私に喋りかけてきたんだから、私が無視をしたのはあなたにも原因がある事を忘れないでね。 それを踏まえた上ではっきり言わせてもらうけど、私は入学式当日に校長先生の話も聞かずに平気で喋り掛けてくるあなたみたいな不真面目な人とは付き合いたくないの。 だからもう、私には構わないで」
私は思いのままを少女にぶつけた。 少女も私にそこまで言われるとは思ってもいなかったのか、無表情のままきょとんと目を丸くしている。 少し言い過ぎただろうかと、またもや妙な呵責が私の胸を襲った。 ――いいえ、こうした手合いはこのくらい突き放して正解だ。 どうせこの少女とはこれっきりの付き合いだろうから、私が変に彼女を気遣うような真似もしなくていい。 それから私は「さよなら」と言い残して、一人運動場へと向かった。 太陽に向かって真っすぐ伸びる立派な木々が並ぶ緑豊かな広場を通り抜けて運動場へと辿り着くまでの間、あの少女の目線が私の背に刺さり続けているような気がした。
例の少女に足止めを食らったためか、私が運動場へ辿り着いた頃には既に多数の生徒が運動場のちょうど中央辺りに集合していた。 私も慌てて同じ場所へと集合し、先生からの指示を待った。 それから生徒全員が集合したのを見計らったであろう一人の先生がマイクを片手にクラスの割り当てについての説明を始めた。
何でもこの学校の通例として、新入生のクラス分けはくじ引き形式で行っているらしく、一組から十組までの十のクラスそれぞれにクラスの人数分だけの無作為な数字が予め割り当てられていて、私たち新入生が引いた数字とそれが合致したクラスに割り振られるシステムだという。 たとえば、一年五組に二〇〇という数字が割り当てられていて、私がその二〇〇と書かれた紙を引けば、私は一年五組に所属するという事だ。
なるほどこれならば先生達がクラス分けに頭を悩ませる必要も無く、くじ引きとはいえ自分自身が選んだ結果だからある程度の公平性も保たれる。 中には○組が良かった、〇〇君、○○ちゃんと一緒が良かったなどと駄々を捏ねる生徒も少なからずは居るだろうけれど、組の良し悪しなんてのは新入生の私たちには到底読み解ける訳もなく、ことに私にはこの学校に小学生時代の同級生など一人もいないから誰とクラスメイトになろうとも――いえ、ある一人を除いて誰とクラスメイトになろうとも構わない。 その一人というのは最早言うまでもない。
――ふと、こんな回りくどい事をしなくても、引いた紙に一組だの二組だのと記載していればもっとクラス分けに掛かる労力が簡略化出来るのではという思考が頭を過ったけれど、まるで私の思考を読まれてしまったかの如く伝えられた先生からの補足として、割り振られた数字がクラスだけでなく座席の位置情報も兼ねている事と、単純に組の情報だけを与えてしまうと、全員がくじを引き終わらない間にその場でクラスの割り振りが判明してしまい、先にくじを引き終えた生徒同士が一喜一憂して収集が付かなくなってしまうから、あくまで現段階では数字としての情報のみを与える、との事だった。 後者は私にとってはあまり関係の無い事だったけれど、前者は確かに理には適っているなと、私は人知れず浅く首肯を果たした。
かくしてクラス分けの説明が終わった後、いよいよ自身のクラスを決定するくじ引きが始まった。 新入生の総人数に対する配慮か、くじの入れられた箱は都合六つ用意されている。 それらは長机の上に置かれていて、左の長机に置かれている三つの箱が女子用で、右の長机に置かれている残り三つの箱が男子用らしい。 くじという形式上、男女ともに同一の箱からくじを引いてしまうと場合によってはクラスの男女の割合がひどく偏る事もあるだろうから、男女比を均一にする為の配慮だろう。
次に私たち生徒一同は先生達の誘導でそれぞれのくじの入った箱の前に振り分けられた。 私は一番左の列に並んだ。 私の場合は集合に出遅れてしまって後方にいたから、列の順番はかなりの後尾の方になってしまった。
ただ、生徒の数が三四三人、それを六等分して約五七人、先生のくじを引く際の諸注意として語っていた『くじは選ばずに手に持った紙を一枚速やかに引く事』という言葉を加味して生徒一人のくじを引く際に掛かる時間は多く見積もって五秒前後、それらの条件を基に推測すると、全生徒がくじを引き終わるまでに要する時間は五、六分もあれば十分だろう。
ゆえに列の位置は取るに足らない問題だ。 何より重要なのは、あの少女と同じクラスにならない事だけだ。 こればかりは運を天に任せるしかなく、確率も十分の一という決して高くもなければ極端に低いとも言えない絶妙に安心出来ないものだけれども、これまでの経験から踏まえると十分の一の一をここぞという時に引き当てる方がよほど難度が高いという確かな感覚があるから、過度な心配をするだけ損だ。
――私の心は何故ここまで未だ名前も知らないあの少女に振り回されているのだろう。 まったく解せないと、あの少女の事を思考に過らせているうちに私は覚えずあの少女を探してしまっていて、そうしてしばらく辺りを見回していると、見覚えのある栗色の髪をした例の少女を左から三番目の列の中央付近に見つけた。 同じ列でなかっただけでも私はほっとした。
あれだけ突き放したにもかかわらず、あの少女は私の姿を見るや否や声を掛けてきそうだという妙に確信めいた予覚があったからだ。




