第五十話 ほんの些細なこと 4
私が受験校に通う事の条件、それは『私がいずれかの階級の特待生として選ばれる事』だった。 ただ、その条件は別に私の親が強制的に決めた事などではなく、私が私自身に課したものである。
物心ついた頃から私の家庭が裕福でない事を知っていた私は、私自身の知識の探求の為だけに両親に金銭的な苦労を掛ける事をひどく嫌った。 父も母も、合格さえ出来たらたとえ特待を取れなくとも通わせてやるとは言ってくれたけれど、私にはどうしてもその言葉が過ぎた献身に聞こえてしまい、到底受け入れられなかった。
だから私は受験校の特待生に選ばれなかった時は受験校に合格していようとも素直に地元の公立中学校に進学するつもりでいた。 その私の思惑を両親に語り聞かせた時、当然両親は私の案に猛反対した。 しかしながらその時分の頃から既に私は頑固一徹を極めていて、一度自分の決めた事は何が何でも曲げたくは無かったから、私は両親が納得するまで我を折らなかった。
そうして根負けしたらしい両親は「そこまで言うのなら好きにしたらいい、でも、受験するからには悔いのないように全力で頑張りなさい」と私の我儘を許容した上で励ましてくれた。
両親にそう言われたからじゃあ無いけれど、無論私は記念やお情けなどで難関校を受験するつもりなどこれっぽっちも無かった。 やるからには全力で――私のモットーを胸に、私は今日という日まで修学に修学を重ね、そして見事合格は果たした。 あとはもう、私の学力を信じるしかない。 私は昇降口を後にして、合格証の発行される受付へと向かった。
受付は昇降口から東に一分ほど歩いた先にあった。 私と同じく合格証を発行してもらう為か、私が受付に辿り着いた頃には受付の周辺には多くの受験生と保護者が列を成していた。 合格証発行は合格発表から三十分以内と案内にあったから、三十分以内にこの人数を捌き切れるのだろうかと少し不安を覚えたけれど、どうやら合格証の発行自体はたちまち終了するようで、見る見るうちに列は消化されてゆき、気が付けば私の番になっていた。
私は自身の受験番号表を受付に渡した。 それからしばし待っていると「おめでとうございます」という称賛の言葉と共に差し出されたのは一枚のケント紙仕様の紙。 私はそれを手に取って、その場で内容を確かめた。
そこには大きく『合格証』と記されており、その下部には私の受験番号と私の名前がしっかりと記載されている。 それからその下に、合格おめでとうございます。 新たな環境に身を置く貴方がたは――云々という学校側からの称賛の言葉がつらつらと並べられている。
私はそれを丁寧に一字一字読み通し、そうして、最後の行を読み終えてから目線を下にやると、先の文章とは明らかに字体の形式の違っている後付けされたような印字で『貴殿をA特待に採用する』と書かれてあった。 どうやら私はA特待の条件を満たしていたらしい。 その事実を自分のものにした途端、私の胸の奥から私にさえ制御する事の出来ない歓喜の源泉のようなものが身体中を駆け巡り、私は人目も憚らずに拳を力強く握り込みながら「よしっ!」と声を上げてしまった。
その一連の動作を見ていたらしい受付の女性に微笑を浮かべられ、はっと正気に戻った私は私の頑是ない姿を晒してしまった事による羞恥に襲われてしまい、「ご、合格証、ありがとうございましたっ!」と受付の女性に恭しく一礼してからその場を走り去った。
それから帰宅した私はすぐさま自分の鞄を開いて合格証を確認した。 合格証、受験番号四九、坂井玲、貴殿をA特待に採用する――確かに、今日の試験結果は夢でも何でもないらしい。 改めて自身の合格と向き合った私は、合格証を両手に居間をぴょんぴょんと飛び回った。 早く父と母が帰ってこないかしらと、私は合格証をいつまでも眺めながら居間で二人の帰りを待っていた。
先に帰宅したのは母だった。 玄関の開いた音がするや否や、私は玄関へと駆け寄り、母に合格証を見せた。 合格証を見た母は、目に一杯の涙を浮かべながら私を優しく抱擁し、「良かったね、良かったね玲」と心から私の合格を喜んでくれた。 母の感情を貰ってしまったのか、私もいつの間にか涙を流していて、「うん、うん」と声にならない声で母の言葉に応答していた。
父が帰宅したのは二十時過ぎだった。 夕食を終えて風呂に入ろうと洗面所で衣服を脱衣していたところ、玄関の開く音が聞こえたものだから、私は自分が下着姿なのも忘れ呆けて玄関で靴を脱いでいた父の元へと走り、今日の試験結果を伝えた。 父は「おめでとう、さすが玲だね」と言いつつ私の頭を撫でてくれた。 母には「何て格好してるの玲っ!」と叱られた。
そしてこれは後に母から聞いた話だけれど、私から直接合格の旨を聞いた父はそれほど感情を表に出していなかったけれど、私が入浴中の間に改めて私の合格証を目にした途端、微笑みながら目に涙を浮かべていたという。 これまで父が涙を流したという場面を見た事も聞いた事も無かったから、私の為に涙を流してくれる父母の存在が以前よりもずっと愛おしくなった。 そうして私は心に誓った。 父母の期待を裏切らぬよう、あの中学校で立派な学を修めようと。




