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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第五部 太陽は月を照らして
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第五十話 ほんの些細なこと 2

 そうして私は先生及びその背景に居た父母の望む通り、例の私立中学を受験する事を決意した。 決意したはいいものの、通常中学受験というものは小学三年生くらいから塾などをつうじて準備を進めるのが通例だから、その通例の道を三年前に通り過ぎてしまった上、塾にも通っていなかった私には一分いちぶの猶予も無い事も心得ていた。 それでも私は別段焦りを覚える事もなく普段通りの勉強をこなし、そればかりか休日には決まって自宅で父母と映画を鑑賞するほどの心の余裕さえあった。


 父母もまた、夏休みも後半だというのにまるで宿題に手を付けずに遊びほうける自身の子を発見した時のよう勉強勉強と口うるさく言わずに私を見守ってくれていた。 その事実は父母が私の学力を信頼してくれているという事の裏返しでもあったから、私はその信頼がたまらなく嬉しくて、いつしか私の私立中学を受験する目的は知識をむさぼる事でなく、親孝行の意をめて父母への経済的な負担を軽減させるという、当初のこころざしとは真逆のものに変化していた。


 それから時を経て十二月下旬の某日に受験校へ願書を出願。 いよいよ受験が迫って来たという実感が湧いてくる。 これまでほどほどに呑気していた私の心にも、ようやく受験生としての自覚が備わってきたなと感慨深くその感覚を噛み締めていたのも束の間――二月某日、気が付けば私は入学試験日を迎えていた。


 例の中学校へは私の地元から電車で約一時間半というお世辞にも近いとは言えない距離だったから、当然学校までの経路は電車を利用する事となる。 学校までの道のり自体は、先年行われていた学校説明会の際に母と共に足を運んでいたから問題は無く、しかし今回は入試当日というプレッシャーと、たった一人で受験という戦地におもむかなければならないという心細さが私の動作を鈍らせていた。


 いくら知識を得ようとも、そのじつは身も心も未成熟な小学生。 この時私は生まれて初めて、不安という感情を胸に蔓延はびこらせた。 けれども、その日父母共に仕事だったにもかかわらず、普段より早起きをしてまで入試に向かう私を駅前まで見送ってくれた母の暖かな激励と、父の無言の首肯しゅこうが、私の不安の一切を払った。

 この時点で私の精神的な問題は取り除かれていた。 あとはもう、私の実力次第。 私を信じてくれた父母に必ず良い結果を報告出来るよう、私は持てる力のすべてを余すことなく試験にぶつけた――


 ――率直な感想として、手ごたえは十分だった。

 試験日は都合四日間設定されていて、どうせ受けるならば成るたけ早い方が良いと判断した私は、初日午前の部で試験を受けた。 なるほど県内屈指の難関私立校というだけあって、その試験は小学校で行われる授業内容で得られる知識だけでは到底読み解けないほどに難解なものばかりだった。 しかし、解けない訳では決して無く、そのうえ父母に不安を取り除いてもらったその日の私の精神は自分でも驚くほどに安穏あんのんを保てていたから、私は周囲の筆音すらも聞こえない程に試験に没入し、最高の結果を出す事が出来たと自負していた。


 そしてこれは試験前から分かっていた事なのだけれど、試験の結果は当日の午後に発表される事となっており、時間の都合などでむ無く当日の合格発表に立ち会えない場合は当校のホームページで合否を確認出来たり、後日合格証を発送してもらえるような仕組みとなっている。


 しかし私はどうしてもその日に直接この目で私自身の合否を確かめたかったから、試験終了後も学校に残り、合格発表までの時間を過ごした。 昼食は学校側がもうけた待機所で、母の作ってくれた弁当を食べた。 思っていたより試験で頭を使ったからなのか、その日の弁当は一入ひとしお私の胃に染み入るような感覚があった。


 弁当を食べ終えた後、私は手持無沙汰となった。 当時は身分が小学生という事でまだ携帯電話を持たせて貰えなかったからそれで時間を潰す事も出来ず、しかし合格発表までは残すところあと一時間程度だったから、私は待機所の一席に座って時折辺りを見回しつつ時間が経つのを待った。


 その時に改めて私以外の受験者を眺めてみたけれど、受験者のほとんどに親が同伴していた。 もう既に試験会場を後にした受験者もいるだろうから断定は出来ないけれど、少なくともこの待機所に私のよう一人で待機している受験者は居なかった。 その事実を知った途端、私の心には父母が払拭ふっしょくしてくれたはずの不安が再び鎌首をもたげ始めていた。 同時に心細さも私を襲った。


 情けないことに、ここに来て私は年相応の臆病さを抱いてしまっていたのだ。 正直、泣きそうにもなった。 今すぐ父母に会いたかった。 もう、待機所を出て家に帰ろうかしらと何度も思い立った。 けれども、それでは合格していようがしていまいが父母に顔向けが出来ない気がした。 だから私は意志を強く持ち、きたるべき合格発表の時間が来るのを待ち続け――そうして、その時間はやってきた。


 待機所に学校関係者らしき人が現れたかと思うと「五分後に本校昇降口前にて合格発表の掲示を行います。 合格証受領は発表から三十分以内とさせていただきますのでお早めにお願いします」と案内を伝えてきた。 いよいよこの時が来たと、私はその場で固唾かたずみ込んだあと、重い腰を上げて一人昇降口へと向かった。

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