第四十九話 重ねた手、寄り添う心 6
玲さんが風呂から戻ってきたのは、僕が洗い物を済ませてから数分後の事だった。 僕が居間の掘りごたつで脚を暖めつつスマートフォンを触っていたところ、彼女が居間に現れたという流れだ。
「あれ、もう洗い物終わってたんだ、早いね」
先の口ぶりから察するに、玲さんの予想では僕の洗い物はもう少し時間が掛かるものだと思っていたらしい。
「はい。 と言ってもほんとについさっき終わったところですけどね」
「そっか。 それじゃ私の部屋行こっか。 悪いけど先に行っといてくれる? 私も用事済ませたらすぐに行くから」と言いつつ、玲さんは居間を抜けて台所の方へと足を運んだ。
台所にまだ何かしらの用事が残っていたのか、はたまた水分を取った後にヘアブローをするのかと思っては見たけれど、居間に現れた時点で玲さんの髪に濡れた形跡はなく完全に整っていたから、後者の線は無い。
よもや僕の洗い物がちゃんど出来ているのかをチェックするつもりなのではあるまいかと少し不安が走る。 しかしところどころでやましい妄想が頭を過っていたとはいえ洗い物は完璧に済ませたつもりだし、食器も全て無理なく並べて乾燥機に入れられたから、いくら玲さんといえども文句のつけようが無いという自信はある。
――ただ、玲さんの用事がそれであれ何であれ、僕があれこれ詮索するのは失礼だ。 だから僕は詮索の念の一切を振り払ったあと彼女の言葉に従って自身の手荷物を持って一人玲さんの部屋へと向かった。
玲さんの部屋には既に明かりが灯っていたうえエアコンで暖房が効かされていた。 彼女が風呂に入る前に段取りしてくれていたのだろう。 それほど気温設定を高くしていないのか、寒さは感じないけれど際立って部屋全体が温もっているという訳でもなく、言ってしまえば快適な気温だった。
それからふと部屋の中央部に目をやると、僕が玲さんの家を訪問する度に見かけた丸テーブルが無くなっていて、代わりに以前のテーブルの大きさと同程度の炬燵が設置されてあった。 あまり思い出したくはないけれど、僕が今日以前に玲さんの家を訪れた日――すなわち、彼女を力づくで押し倒してしまったあの日にはまだこの炬燵は設置されていなかったから、恐らくその日以降に用意したものだろう。
なるほど十二月にもかかわらず先週までは割と温暖な気候が続いていて、現今の急激な冷え込みは先週末辺りから始まったばかりだから、きっとその冷え込みに併せて段取りしたのだろう――などと、部屋に入った直後から玲さんの部屋の模様替えの経緯についてあれこれ考えていたけれど、このまま立ち呆け続けて玲さんを待っているのも間が抜けているから、僕は遠慮なく炬燵の一画に脚を入れた。
さすがに炬燵までは温もっていなかったけれど、部屋が良い按配の気温を保っているから炬燵の布団を下半身に掛けているだけでも十分暖かかった。
それから間もなく階段を上る足音が聞こえてきたかと思うと、「ごめーん、ちょっと手塞がってるから戸開けてくれなーい?」という玲さんの声が戸を隔てて僕の耳に入った。
何を持ってきたのだろうかと勘繰りながら僕は立ち上がって部屋の戸を開けた。 すると「ありがと。 食後のデザートにこんなのはどう?」と言いながら、両手に持っていたおぼんを少し前に差し出した。 おぼんの上に載っていたのはシャンパンと、二つのグラスと――二つの小型の皿に乗せられたそれぞれ種類の違うカットケーキだった。
「ケーキですか。 そんなものまで用意してくれてたんですね」
「うん、何てったって今日はクリスマスだからね」
玲さんはにこやかにそう答えつつ部屋に進入し、炬燵のテーブルの上におぼんを置いた。 それから彼女は配膳をこなしつつ「君はどっちのケーキがいい? 選ばせてあげるよ」と言ってきたので、僕は改めてテーブルの上に置かれた二つのケーキを見比べた。
二つのケーキはいずれもショートケーキ型で、その内の一つはケーキの上ににホイップクリームと苺の乗ったストロベリーケーキだ。 ケーキの中では定番中の定番だけれど、アイスと言えばバニラのイメージがたちまち思い浮かぶよう、定番であるが故に人気の高いケーキの一つだと言えるだろう。
もう一つはケーキの上には何も乗っていないけれど、見ているだけで口の中に甘さが広がってきそうなほど濃厚なブラウン色のチョコレートケーキだ。 僕の中ではチョコレートケーキはストロベリーケーキと双璧を成す存在だと思っている。
そうして二つのケーキを見比べてみたけれど、どちらも美味しそうで実に甲乙つけ難い。 どちらかと言えば僕はチョコレートケーキの方を好んで食べる方だけれど、普段そちらのケーキを優先して選んでいる傾向がある故に、こういう時だからこそストロベリーケーキの方を食べたいという願望も勿論ある。 かと言って、好物のチョコレートケーキを後腐れなく手放せそうにもない。
あぁ、どうしよう。 まるで優柔不断だ。 迷えば迷うほどにどちらも選べなくなってくる。 ケーキを提供してくれているのが玲さんなのだからこんな事は絶対口が裂けても言えないけれど、いっその事、どちらのケーキも二つずつあれば良かったのにと思ってしまった。
そうすればこれほどまでに悩みあぐねる事もなくどちらのケーキも食べ比べ出来たのに――いや、それぞれのケーキが一つだけでも、二つのケーキを食べる手段はある。 あるけれど、こんな子供染みたわがままを玲さんが肯ってくれるかどうか、それが問題だ。 それ以前にあまり無茶を言って玲さんを困らせたくはないし、やはりここは潔くどちらかのケーキを選ぶべきなのかもしれない――




