第四十九話 重ねた手、寄り添う心 1
時刻は十七時半。 僕はマフラーに手袋、そして黒のダッフルコートを身に纏い、ボストンバッグを片手に改札を通り抜けて高校最寄りの駅舎の前に立っていた。
――古谷さんと別れたあと、僕は一度帰宅して予定の時間までを過ごし、再びこの地域を訪れた。 理由は言わずもがな、僕の大事な用の為だ。
「――くしゅんっ!」
不意の寒風に煽られて、僕はくしゃみを催した。 家を出る前に風呂を済ませてきた事もあって、余計に寒さが身に堪える。 完全に湯冷めしてしまったようだ。 夜の帳も下り切っているし、このまま外に居ては身体が冷える一方だ。 体調はほぼ万全に近いけれど病み上がりな事に変わりはなく、ここで無理をしてぶり返しては事だ。 僕はマフラーを鼻先まで深々と被ったあと、寒さに首を竦めながら目的地へと歩き始めた。
「ん、雪?」
目的地へと向かっている途中、何やら白いものが緩やかに視界の前をちらちらと通り過ぎているなと思って空を見上げたら、どうやら小ぶりではあるけれど雪が舞っているらしかった。 なるほど吐く息も殊更に白くなる訳だ。
見上げた際にマフラーの防護から外れてしまった鼻っ面に一降りの雪が乗って、微かに冷たさを感じてまもなく体温ですぐ溶けた。 現状、積もりに積もるような雪ではないらしい。
しかし、近年の十二月は暖冬続きで、この時期に雪が降るなんて事はここ数年の内には無かったけれど、今年は中々どうして寒冬のように思われる。 どうりでここまで厚着に厚着を重ねているというのに寒さが身に堪えるはずだと、僕は今年の冬の寒いのを身を以って体感しながら少し早足で目的地に急いだ。
目的地へは五分ほどで辿り着いた。 上空の気温が一層低下したのか、初めて雪を認識した時より雪が激しく舞っていて、僕の肩の上にはそれなりの雪が乗っかかって白く染まっていた。 ここに来るのがあと数十分遅れていればこれ以上の大雪に見舞われていたかもしれないなと、僕は肩に乗った雪を手で払いのけながら、雪の激しくならない内にここまで来る事が出来た事をひどく安堵していた。
それから僕は玄関の引き戸を開け「玲さん、来ましたよ」と家の中に声を響かせた。 僕は今日、玲さんに誘われて彼女の家に宿泊しに来たのだ。
間もなく「はーいっ」という玲さんの快活な声が家の中から聞こえてきたかと思うと、その声に遅れて玲さんが小走り気味に玄関廊下に現れた。 料理の最中だったのか、体にはエプロンが装着されてあって、髪も一本結びにして纏めてある。
そして、これまで僕は玲さんの私服という私服を見た事がなく、覚えている限りでも僕が彼女の私服を見たのは、僕が花火大会の時に購入したお土産を彼女に渡しに行った時だけだ(その時もTシャツとハーフパンツというラフな格好だったから、あれを玲さんの私服の一つとして捉えるのはどうかと思うけれど)。
だからだろうか、黒のハイネックのリブセーターにネイビーブルーのジーンズという玲さんの私服らしい私服と、これまで僕に見せた事の無い髪型を今まさに初めて目の当たりにした僕の心は、ひどく動揺していた。 その動揺というのも、別に玲さんの服装なり髪型がまったく似合っていないという訳ではなくて、むしろ似合い過ぎていたからこそ僕はこうも動揺を呈してしまっているのだ。
そうして見慣れない玲さんの身形にすっかり見とれてしまっている内に「ん、なんか頭とか肩とか濡れてるっぽいけど、雨でも降ってたの?」と、玲さんはちょっと首を傾げながら僕の頭や肩が濡れている理由を知りたそうにしている。
「え? あ、いや、雨じゃなくて雪が降ってるんです」
見とれている最中に本人に声を掛けられたものだから思わず言葉に詰まってしまった。 そうした僕の動揺とは裏腹に玲さんは「えっ、雪? ほんとに? どれどれっ」と、下駄箱から手早く靴を取り出し土間に置いたかと思うと、それを素早く履いて玄関先へと出ていった。 僕も玲さんの後を追った。
「うわー、ほんとだ! 結構降ってるじゃん。 この時期に雪が降るなんて珍しいよねー。 今日はホワイトクリスマスかぁ、何年ぶりだろ。 積もるのかなこの雪」
玲さんは雪の掛からないカーポートの庇の下ぎりぎりから雪の降り頻る夜空を見上げている。彼女はすっかり雪の虜のようだ。 大人びた印象を持つ玲さんの事だから、僕はてっきり雪になんてとりわけ興味を示さないだろうと思っていたけれど、何の事は無い。 雪が降っているという情報を耳にした途端にまるで子供見たように目を輝かせつつ玄関を飛び出した玲さんは紛れも無く子供の部類だ。
そう確信した途端に玲さんが妙に可愛らしく思えてしまって、僕は覚えず口元をにやつかせてしまった。 こんな顔を玲さんに見られてしまったらそれこそ事だから、僕は口元の緩みが戻り切るまでマフラーで口元を隠し続けた。
それからほどほどに雪を堪能したらしい玲さんに「そろそろ家入ろっか。 体冷えちゃうし」と促され、僕は「はい、それじゃあお邪魔します」と訪問の挨拶を果たしたあと、玄関廊下を踏み鳴らした。




