第四十八話 幸福の定義、初恋の行方 4
僕らの腰を下ろしたベンチの真後ろと正面には、葉の落ち尽くして久しいであろう枯れ木が肌寒げに佇立していた。 正面の木の隣にはやや支柱の錆び付いたブランコと、これまたところどころに錆を蔓延らせた滑り台が設置されている。 あれで遊ぶ子供たちの手はきっと遊び終えた頃には真っ茶色に染まっているのだろうなと妙な妄想をしている内に、「こうして、二人きりになるのも久しぶりですね」と古谷さんが正面を見据えながら口を開いた。
「うん。 もしかしたら、花火大会以来かな」
「多分、そうですね」
「……」
「……」
「三郎太とは、うまくやってる?」
「んー、どうなんでしょうか。 まだ実感が湧かないっていうか、なんというか、普段通りに接してるつもりではいるんですけど、どこかぎこちないというか、お互いに気をつかってるというか」
「そうなんだ。 やっぱり友達でいた頃と恋人同士になった今とで付き合い方が変わったっていう事なのかな」
「そう、なってるんでしょうね、多分」
「……」
「……」
何故だろう、あまり会話が弾まない。 ところどころに生まれる沈黙が妙に気まずく、僕の心に突き刺さる。 古谷さんが僕に何を伝えようとしているのかが未だに読み取れない。
わざわざ僕との二人きりの時間を作ってまで話したい事があったのだから、それは恐らく彼女にとって大事な内容である事は間違いないのだろうけれど、いくら彼女が言い渋っているからと言って僕の方から催促するのも野暮だ。 ゆえに、望まぬ沈黙に胸をちくちくと刺され続けようとも、僕は古谷さんが語ろうとしている内容が彼女の口から聞こえてくるまで待ってあげるしかない。
「……」
「……」
――とは言うものの、さすがにこの状況は僕もそう長くは耐えられそうにない。 そしてそれは古谷さんも同様だろう。
いくら僕との不和が解消されたからといえども以前の距離感がまったく元に戻った訳ではなく、昨日の昼休み以降と今日までの彼ら彼女らの僕に対する態度をある程度感じ取ってはいたけれど、とりわけ他の三人よりも古谷さんのそれがどこかぎこちなく、遠慮と言うべきか、一種の後ろ暗さとでも捉えるべきか、そうした彼女の距離感を僕はずっと感じていた。 そのうえで、彼女が僕に対しそうした距離感を取らざるを得ない理由に、僕はある程度の心当たりをつけていた。
きっと古谷さんは、今回の件で僕が孤立した原因を自分が作ったのだと思い込んでおり、今もなお自分自身を責め続けてしまっているのだと思う。 あくまで推測だから確証は無いけれども、僕が彼女と出会うきっかけとなった席替えの件が良い例で、人一倍他人に迷惑を被らせる事を嫌う古谷さんの事だ、先の推測もまったく的外れだという事もないだろう。
古谷さんの意思を尊重してあげるのも大事な事なのだけれど、先の理由で彼女が未だ僕に対し後ろ暗さを抱いているのならば、やはり僕の方から距離を詰めてあげないと可哀相だ――という結論に至った僕は、一度だけ鼻から深呼吸したあと古谷さんの方を向いて、
「「あのっ」」――と声を掛けると同時に、僕は僕と同じ行動を取っていたらしい古谷さんと間近で目を合わせてしまった。
「「あっ」」僕も古谷さんも思いがけぬ行動の調和に狼狽してしまったようで、また二人して似たような声を上げつつしどろもどろしていた。
「えっと、先に古谷さんの方からしゃべっていいよ」
居ても立っても居られず、僕はすぐさま古谷さんに発言を促した。
「あ、いえ、私は後でいいので、ユキくんの方から先に」
しかし古谷さんも僕と同様にして、僕に発言を促してくる。 それからまたしばし沈黙が続いて、しかし僕たちは互いに互いを見つめ合っていて、その一連の流れというか、絶妙な間というか、そうした一種の緊張感の中、たとえば目から火花を散らしてあわや一触即発大人同士の喧嘩秒読みの場に何の事情も知らない幼子が元気いっぱいご機嫌に歌を口ずさみながらその大人たちの間に割って入った時のような脱力感とでも言うべきか、自身では抗う事の出来ない気まぐれに場を乱されたという事実が妙に可笑しく思えてきてしまって、僕はつい失笑をこぼしてしまった。 その姿を見た古谷さんも一緒になって笑い始めた。
「もうっ、何なんですかこの空気っ」笑いながら古谷さんが僕に問い掛けてくる。
「何だろうね、僕にも分かんないよ」僕はいい加減に先の問いを放棄したあと、また口元を緩めた。
それから僕たちは寒空に負けない陽気な笑い声をしばらく公園中に響かせていた。 先程までは微妙な距離感に四苦八苦していて、今度は何だか距離を詰め過ぎて覚えず頭と頭をぶつけてしまったかのような、そうした気まずさはもちろんあったけれど、先の空気で確かに僕と古谷さんの距離は格段に縮まってくれたと思う。
そして僕は改めて認識した。 やはり彼女には笑顔が良く似合うと。




