第十話 追憶 14
その中でも、第一の理由はどう解釈したとしても完全なる僕の失態でした。 恐らく僕は、彼女に見初められた時からずっと、自惚れていたんだと思います。 自分から距離を詰めなくとも、自然と距離を縮めてくれる彼女の積極性に甘え切っていたんだと思います。 だからこそ僕は、ただでさえ衰えていた察知力を自らの意志で完全に放棄してしまったのです。
しかし、例え何れかの折に察知力を取り戻していたとしても、彼女という情熱の炎で心の目を盲いた僕に、彼女の本性を暴く事は叶わなかったでしょう。 結局、どれほど事細かに原因を究明しようとも、僕はこの事態を避ける術など持ち合わせていなかったという、虚しく非情な現実を突き付けられるだけなのでした。
「あ、そうだ。 もしかしたら他のみんなならアンタの事受け入れてくれるかもよ? 私はムリだけど」
何やら思いついたかのような彼女の唐突で恣意的な口ぶりに、僕は猛烈な不安を覚えました。 よもや僕のセクシュアルマイノリティを他の生徒に口外するのではという懸念を与えられてしまったのです。 果たしてその懸念は現実のものとなって、たちまち僕に襲い掛かりました。
卒然とその場から走り去った綾香は、階段を駆け下り始めたのです。 彼女は完全にやるつもりでした。 何が何でも阻止せねばと焦燥を覚えた僕は、彼女の後を追うようにして走りました。
「ちょっとみんな聞いてよー! 綾瀬って実はさ~!」
時は既に遅かったようでした。 早くも綾香は同校舎三階に位置する一年三組の教室から僕のセクシュアルマイノリティを大声で口外していたのです。 早く止めなければと危機感に煽られた僕は走る速度を上げ、二組の教室の入り口に差し掛かろうとした彼女の左腕を半ば強引に捕まえました。
「痛っ! ちょっと! 離してよ!」
手加減する余裕も無く、力任せに彼女の腕を握ってしまったものですから、彼女は痛苦に顔を顰めつつ叫び、僕の手を振り解こうとしました。 しかし、事が事でありましたので、彼女にどう思われようとも、周囲に冷ややかな目線を送られようとも、僕はその手を離す訳にはいきませんでした。
「ひどいよ、綾香ちゃん。 さっき授業で習ったよね? 人のセクシュアルマイノリティを勝手にばらしたりするのはルール違反だって。 なのにどうして……」
「いいから離してって言ってんでしょ!」
会話に集中していて掴む力が弱まっていたのか、彼女の腕を掴んでいた僕の手はその隙を突かれて振り解かれてしまいました。 それから彼女は、先程まで僕の手に握られていた左腕の手首辺りをもう片方の手で労わるようにさすりながら僕の顔をきっと睨み付け、こう言い放ちました。
「ルール違反? そんなの知ったこっちゃないし。 そのルールもLGBTとか言う訳分かんない連中が自分達の為だけに勝手に作った自己満のルールなんでしょ? いきなりそんな連中が現れたってだけでも理解出来ないのに、なに後出しでルール押し付けてんの? 被害者ヅラしてえらっそうに! 何で健全な私達がアンタらみたいな異常者に気ぃ使わないといけないの?! 少数者なんだったらアンタらが私らのルールに従いなよ! バカなんじゃないの?!」
彼女が怒声を張り終えた頃には、その声音に誘われるかのように教室内の生徒が野次馬精神を抑える事も無く僕達の周囲にぞろぞろと集まり始めてしまいました。 これ以上の騒動になるのは厄介になりそうだと懸念した僕は、ひとまず興奮状態の綾香を宥める為に彼女の傍へ近寄ろうとしました。
「……っ! 来ないでっ!」
僕の接近を察知した彼女は、僕に対する不快の態度を隠す事も無く、大きく一歩後退りました。 彼女の真に迫る拒否を真正面から受けたものですから、僕はそれ以上歩を進める事も出来ず、その場に佇立させられてしまいました。
それから騒動を聞きつけた先生が僕達の仲裁に入り、程なくして騒動は鎮静されました。 その中でも綾香は僕のセクシュアルマイノリティを公に口外したものとして、こっぴどく先生達に叱られていたようでした。
こうして綾香によって引き起こされた騒動はひとまずの沈静を迎えた訳ですけれども、彼女の残した爪跡は、殊の外奥深いところまで抉ってしまっていたようなのです。




