第四十六話 Eclipse 9
「私もついさっき来たところだから気にしないで。 それよりそんなに慌てなくても私は気にしなかったのに」
「いえっ! 私の方から相談を持ち掛けておきながら私がもたもたして玲先輩を待たせるのは悪いと思って」
私も何とも健気な後輩を持ったものだ。 隙さえあれば言い訳を働こうとする生意気くんとは大違いだ。 彼が男として彼女を本気で好こうとしていた理由がそこはかとなく理解出来た気がする。
「ほんといい子だね、古谷さんは」
彼女の殊勝さにすっかり心を打たれてしまった私は、思わず古谷さんの頭を優しく撫でてしまった。
「えっ?! あっ、その、ありがとうございますっ!」
突拍子も無く私に頭を撫でられたからなのか、古谷さんはあたふたしながら頭を下げて感謝の言葉を口にした。 何の感謝なのだろうと不意に笑ってしまいそうになるのを堪えながら「それで、私に相談したい事って何だったのかな」と、古谷さんの狼狽も落ち着かない間に本題へと入った。
古谷さんがここに来たのがちょうど十三時。 昼休みはあと二十分あるとはいえ、込み入った話になると二十分なんてあっという間だ。 だから私は矢継ぎ早に話を本題に移したのだ。
「はい。 その話なんですけど、玲先輩は私がユキくんじゃなくて三郎太く――あ、双葉さんの弟を選んだ事、もしかしてもうユキくんから聞いてますか?」
古谷さんの言葉から真意までは読み取れなかったけれど、相談の内容は果たして彼関連の事だった。 私がそれを知り得ている、または知り得ない事で彼女はどういった方向に話を進めてゆくのか多少訝しみはしたけれど、この殊勝な彼女の事だから、生意気な彼のように変に思惑を深読みする必要は無いだろう。
「うん。 直接あの子から聞いてる」
だから私は別段言葉も態度も濁す事無く、はっきりとそう伝えた。 それから古谷さんは「そうですか。 だったら説明する手間が省けました」と言った後「実は――」と言葉を続けて、私に以下の事情で悩んでいると明かした。
――あの日、ユキくんではなく三郎太くんからの想いを受け取ったと彼に伝えてから、明らかに彼は人が変わったかのよう塞ぎこんでしまった。 私や三郎太くんはもちろんだけれど、別の二人の友達の事も避けているようで、そこからなし崩し的に私たち五人の間柄は見る影も無く崩壊してしまった。
正直、ユキくん一人の存在で私たちの間柄がこれほどまでに変わってしまうなんて事は想像もした事がなかった。 けれど今回の件を経て、ユキくんが私たち五人の間柄を纏めている調和的な存在だったのだと思い知らされた。
あの日以来、ユキくんを除いた私たち四人が一堂に会する事は無い。 もし、私が気持ちを揺らがせずユキくんの事を好きでい続けていれば、ユキくんもみんなも、こんな辛い思いをせずに済んだのではないだろうか。 私が三郎太くんを選んだ事は、間違いだったのだろうか。
私はやはり、ユキくんの事を好きでい続けるべきだったのだろうか――時折言葉を詰まらせつつ辛苦な面持ちで語った古谷さんの相談の内容は以上の通りだった。
なるほど人数の多い友達グループほど、そのグループの存続を左右するほど影響力のある者が存在するものだ。 そしてその者は必ずしも積極性や話題に富んで常に人の一歩前を進み先導してゆくグループの中心的な者――リーダーとは限らない。
時に静観し、時に共感し、時に辛辣、時に寛容。 リーダーのように力強く上から引っ張るのではなく、人知れず下から組織全体を支える縁の下の力持ち――いわゆる均衡者と呼ばれる役割を、どうやら彼は古谷さん達のグループの中で担っていたらしい。 それもおそらく自分の意思ではなく無自覚で、だ。
彼はところどころで献身の気を匂わせていたから、均衡者という軸を失ってしまった古谷さん達のグループの和がたちまち崩れてしまったのは然もありなんといったところだろう。 しかし――
「……確かに、あの子がそんな事になっちゃったのは、君が双葉の弟くんを選んだからだろうね。 でも、君がそこまで自分を責める事はないよ。 君たちはまだ、付き合ってもいなかったんだから」
なるほど半年以上も前から隠す事も無く彼の事を好きだ好きだと宣言し、彼をその気にさせておきながらも双葉の弟くんを選んでしまった事については、古谷さんにも少なからずの責はある。 けれど、彼は彼で古谷さんの想いを半年以上も受け取らなかった。
もちろん受け取らなかった理由はあるし、彼もその理由によって彼女に必要以上の心労を掛け続けていた事を素直に認めていた。 だから、決して喧嘩両成敗ではないけれど、古谷さん本人が双葉の弟くんを選んだ事について気に病む必要は無いのだ。




