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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第四部 月は太陽を蝕んで
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第四十六話 Eclipse 2

 窓を完全に閉め切っているにもかかわらず、雨のざぁざぁという喧騒がはばかりもなく私の耳を打つ。 もう十二月も後半だと言うのに、まるで梅雨みたいな雨の降り方だ。 私は腕に頭を預けたまま首を回し、窓の方を見た。 横殴りの雨が、ばたばたと窓ガラスに打ち付けている。 これじゃあ、傘を差したところで何の意味も無い。 傘を差そうが差さまいが、雨に打たれた瞬間にずぶ濡れになる事だろう。


「――あの子、傘、持ってたのかな」


 雨を眺めている内に覚えずそうつぶやいたと共に、梅雨時に彼と相合傘で下校した時の事をふと思い出す。 つい先ほどあれだけ悪態を付いていたのに、何故私は今更になって彼の心配なんてしているのだろう。 馬鹿馬鹿しい。


 そもそも彼が私の家を飛び出した頃にはまだそれほど雨も降っていなかったし、傘が無かったとしても大して濡れてはいまい。 今頃は電車に乗り込んで、どうすれば自分の鞄を私の手から安全に取り戻せるか、算段を立てているに違いない。 私が心配するだけ損だ。


 私はスマートフォンに付けているあの(・・)アクセサリーを指で何度かいじった後、また首を回し、テーブルに突っ伏した。 すると、どこからともなく、雨の音にまぎれて救急車のサイレンが聞こえ始めた。 この大雨のなか出動とは救急隊員も大変だなと、妙に達観した気分で彼らの働きを胸中でねぎらった。


 それからしばしサイレンの音を聴きつつ救急車の走っているであろう方角を耳で辿たどっていると、どうやら妙に私の家に近いところに来ているようだった。 この近辺に救急車が訪れる事など、私が覚えている限りでも小学生くらいの頃に一度しか無かったと記憶に残っていたから、私の情緒が不安定だった事も助けて、近所で何か起きたのだろうかと、少し不安になった。


 それから上体を起こして、再度サイレンに耳を傾けていると、ようようにサイレンの音が鳴り止んだ。 どうやら私の家から西の方角辺りで救急車が止まったらしい。 尚更不安になってきて、私はついとその場に立ちあがり、窓のそばに寄って救急車の停止しているであろう西の方角を窓から眺めてみると、わずかに救急車の警告灯らしき明かりが視界に入った。 そしてその場所は――高校最寄りの駅周辺だった。 駅で何かあったのだろうかと想像を巡らせていた矢先、不穏な熟語が私の脳裏を直感的によぎった。


 自殺。


 その言葉を私の思考に認めた途端、私はひどい胸騒ぎに襲われた。 まもなく息苦しささえ感じ始めた私は、左胸辺りを手で押さえつつ、深呼吸を試みながら先に脳裏によぎった言葉を改めて思考に落とし込んだ――


 ありえない。 彼がそんな事をする筈が無い。 しかし、今日の彼は私の知る彼では無かった。 だから、私がこれまで見てきた彼の人となりなど、まるで当てにならない。 ならば、まさか、本当に。


 居ても立っても居られなくなった私はスマートフォンを手に取り、すぐさま彼に通話を試みた――けれど、無駄だった。 彼が通話に応じるどころか、呼び出し音すら鳴らなかった。 電源を落としているか、電波が届かない状況にあるのだろうか。 いや、これまで私が彼に通話を試みて、呼び出し音すら鳴らなかった事など一度も無かった。 ひょっとすると誰かと通話中だったのだろうかと、少し間を置いてからもう一度通話を試みた――けれど、結果は変わらず。


「あのバカっ、何でこんな時に繋がらないのさっ!」


 彼と連絡が付かなかった事で、皮肉にも私の胸騒ぎは更に助長されてしまった。 不安と焦燥がなくあふれてきて、今にも胸が張り裂けてしまいそうだ。

 まさか、私はまた同じ事を繰り返してしまったのか? あの子たち(・・)のSOSに気づいていながら、また、見捨ててしまったのか? 私はまた私の軽率な行為で、あの子たち(・・)の人生をかき乱してしまったのか?


 ――私の心に刺さっているどす黒いくさびが、私の心の深いところをえぐり始めた。

 久しく忘れていたこの痛み。 刃のこぼれたカッターナイフで力任せに胸を内側から乱暴に切り刻まれるかのような、耐えがたい激痛。 先の不安と焦燥すら感じる暇も無いほどに、痛みは私の心を、思考を、完全に支配した。


 私はたまらず頭を抱えてテーブルに突っ伏した。 それから何度も何度もつぶやいた。 ごめんなさい、ごめんなさい、と。 謝って済む問題じゃあ無い事くらい理解している。 それでも、その謝罪が何の意味も持たない空虚なものだと知っていながらも、そうやってわずかでも罪の意識からのがれていなければ、私は痛みに耐えられない。 私は情けないほどに、弱い人間だから。


 そうして、空っぽの謝罪を麻酔に罪の痛みに耐え忍んでいると、再び救急車のサイレンが鳴り響き、私の家付近から遠のき始めた。 それからサイレンが完全に聞こえなくなった頃、私の心には一つの意思が芽生えようとしていた。


"すべてを確認し終えた後でも、後悔は遅くない"


 先の不穏な思考はあくまで私の行き過ぎた予感。 最悪のケースとして起こりうる結果であり、実際のところ何の根拠も無く、まったく確信的なものではない。 だから、あの救急車が何の目的で駅周辺に停留していたのかなど、確認してみなければ分かる筈もない。


 幾何いくばくかの希望が私の心を照らしてまもなく、罪の痛みがやわらいだのを感じた私は、行動するなら今しかないと悟り、すぐさま部屋から飛び出して、傘も持たずに土砂降りの中を駆け出し、救急車の止まっていた最寄りの駅へと向かった。

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