第四十三話 崩壊の序曲 3
そうして、食堂の喧騒さとは真逆の空気が私たちのテーブルを支配する中、「……おかしいよ」と、私の横でぽつりと呟いたのは真衣だった。 その声は若干震えているかのようにも聞こえた。
「サブくんも、千佳も、おかしいよ。 だって、千佳はこれまでずっと綾瀬くんの事が好きで、サブくんもそれを知ってた上で二人の仲を応援してたよね? そりゃあ綾瀬くんもちょっと千佳に無関心みたいなとこもあったけど、それでも昔よりはぜんぜん千佳に心を開いてたじゃないっ。 それなのに、これじゃあ、綾瀬くんがかわいそうだよ……」
真衣は私たちに今の心境を感情交じりにぶつけてくる。 怒りと悲しみが入り混じったような真衣の言葉を受けて、私の心はずきずきと痛み始めた。 以前の三郎太くんと同様、真衣自身も私とユキくんの仲を時には茶化しつつも応援してくれていたからこそ、ここまで感情的になってしまっているのだろう。
私が三郎太くんを選んだ時点でこうした事態が起こりうる事はあらかじめ覚悟していたはずなのに、いざその事態に直面すると、やはり精神に堪える。 私の選択は間違いだったのではと、後悔してしまいそうになる。 でも、今更後悔したところで私の選択の結果が覆る訳でもない。 ならば私は私の選んだ道を、そして、三郎太くんを信じるしかない。
「真衣ちゃんの言う事も分かるよ。 でも俺は正直、ユキちゃんがいつまでたっても千佳ちゃんの気持ちに応えない事にずっと違和感を感じてたんだ。 普通あれだけアプローチ掛け続けられたら、いくらそれまでぜんぜん意識してなくても、そのうち一定の情が沸いてくるもんだろ? それをユキちゃんは半年以上もの間、好きとも嫌いとも言う事もなく過ごしてたんだぜ。 そりゃもう無視と一緒じゃねーか。 だから俺は千佳ちゃんに告白したんだ。 これ以上千佳ちゃんの健気な想いが無駄になるのを見てられなかったからな」
三郎太くんは真衣の気持ちを汲み取りつつも、自身の思いを真衣にぶつけている。 ユキくんが私の想いを受け取らなかった――いいえ、受け取れなかったのは、トランスジェンダーである彼が男として私の事を好きになれなかったから。 きっとユキくんも、私の想いに応えられない事に対し、自身の不甲斐なさや焦燥を感じていたと思う。 それを知らずに私は彼にアプロ―チを掛け続けていたのだから、ひょっとすると私は知らずの内に彼の気持ちを追い詰めてしまっていたのかも知れないと思うと、やはり私の選択は、私の恋は、間違いだったのだろうかと弱気になってしまう。
でも、たとえ私の選択や恋が間違いだったとしても、ユキくんが自身の中の『女性』を殺してまで『男性』として私の事を好きになろうとしていた事は間違いなく本当だろう。 だから、彼が半年以上ものあいだ私の気持ちを受け取らなかった事には歴とした理由がある。 せめてその正当性だけでもユキくんの為に証明してあげたい――けれど、それを証明する為には、彼がトランスジェンダーである事をみんなに明かさなければならない。
ユキくんの行動の正当化の為だろうと何だろうと、私の独断で彼の性質を暴露する事は許されない。 それをしてしまってはいくら善意からとはいえ、やっている事は彼の中学時代の同級生たちとまるで同じだから、彼の行動の真意を知りながらも、私の口からその真意を語る訳にはいかない。
今更だと言われようとも、彼の私に対する信頼を私は裏切りたくないのだ。
それから真衣はしばらく黙っていた。 真衣の目の前のテーブルの上に置かれていたパンは、袋すら開けられていない。 真衣はいつもみんなが席に着いてから昼食を食べ始めるから、きっと今日も私たち五人が席に揃うであろう事を疑いもせず、空腹を感じながらも食べるのを待っていてくれたのだろう。 そうした背景を考えていると尚更胸が痛くなる。
「……ねぇ、神くんも、おかしいと思わない?」
しばらく俯いていた真衣がおもむろに顔を上げたかと思うと、今の今まで沈黙を貫いていた神くんへと話を振り、私と三郎太くんの関係が間違っているという自身の意見に対し、彼に同意を求めようとしていた。 神くんは三郎太くんから私たちが恋仲である事を知らされた時にはそれなりに驚いていたようだけれど、三郎太くんの話を聞き終えた頃には普段の冷静さを取り戻していたから、真衣とはまた違った感情を抱いているのだろうと理解していただけに、彼がどちらの味方をするのか、とても気になった。
「まぁ、傍から見とったら、サブが千佳ちゃんを横取りしたみたいには見えてまうわな」
「うん、そうだよ。 こんなの浮気と一緒だよっ」同意を得られて安堵したのか、真衣の声に幾何かの力強さが宿る。
「――いや平ちゃん、これは浮気とはまた別や」
「えっ? ……それ、どういう意味?」
神くんは、当初真衣の意見に賛同する素振りを見せながらも、完全に真衣の意見を肯定したわけではないといった様子でそう語った。 真衣はちょっと不機嫌気味に、神くんへ突っ掛かった。




