第四十二話 ひとひらの花びら 4
「……どう、して」
僕は完全に困惑し、狼狽えていた。 あれほど僕に思慕の念を抱いてくれていた古谷さんが何故三郎太と恋仲になっているのか、まるで理解出来なかったから。
「三郎太くんが、私の事を好きだと言ってくれたから」
僕の狼狽とは対照に、古谷さんは表情一つ変えず淡々とそう答えた。 それから古谷さんは三郎太に告白された日の事を始めとした、三郎太の古谷さんに対する好意の方向性を簡潔に語った。
三郎太が球技大会辺りから古谷さんを意識し始めた事――体育大会の際、僕を三郎太に嫉妬させるという名目で僕と古谷さんとの交流の時間を減らし、自身の古谷さんとの交流の時間を増やしていた事――なるほど言われてみれば思い当たる節はある。
特に顕著だったのは、球技大会後に三郎太たちと公衆浴場へ赴いた際に三郎太が僕に向けて発した、僕がもたもたしていると自分が古谷さんを取ってしまうぞ、という言葉だ。 三郎太が古谷さんへの好意を認めたのがちょうど球技大会中だと聞いたから、ひょっとするとあの時点で三郎太は恋敵として僕を瞳に映していたのかも知れない。 とても複雑な気持ちだ。
そうして、ある程度の推察は冷静に果たしたつもりだったけれど、内心はまったく穏やかでは無かった。 古谷さんの三郎太と付き合っているという宣言からずっと嫌な動悸が治まってくれず、とうとう息苦しささえ覚え始めた。 脚も震えてしまっている。
恐らく、僕の顔も酷い事になっているだろう。 僕は今、どんな顔を古谷さんの前に晒しているのだろうか。 きっと百年の恋も醒め切ってしまうような、ひどく情けなく、ひどく悲しく、ひどく哀れな顔をしているに違いない。 何故なら、古谷さんがひどく心配そうな顔をして、僕の顔を見つめているからだ。
「……ごめんなさい、ユキくん。 ユキくんを好きだって言っておきながらこんな事するなんて。 でも、私は、三郎太くんに好きだって言われて、生まれて初めて男の人に必要とされて、それが嬉しくて、もちろんこれまでずっと、ユキくんの事は好きだった。 最初は本当に、ユキくんの傍でユキくんの事を好きだと思えてさえいれば満足だった。 でも、やっぱり、そんなの無理だった。 好きな人の傍に居続けて、その人がずっと私の方を振り向かなくてもいいなんて嘘でも言いたくない。 だからいつしか私は、本気でユキくんを振り向かせたいと思うようになってました」
古谷さんは俯き気味に胸中を吐き出し始めた。 僕は相槌も打たず、それをただ黙して聞いていた。
「私なりに、色々頑張ったつもりです。 ユキくんを花火大会に誘った時には心臓が口から飛び出そうなくらい緊張してて、ユキくんが私の部屋で寝泊まりした時には明日死ぬんじゃないかってくらい一人で舞い上がってました。 でも、そんな事があってからもユキくんは普段通りで、ユキくんが私にいつ振り向いてくれるのかずっと不安で、ユキくんの後ろの席に居た真衣にさえ嫉妬して、ユキくんに三郎太くんを嫉妬させるような真似までして、それでもやっぱりユキくんは、私の方を振り向いてはくれなかった。 そんな時に隣でいつも私を励ましてくれたのが、三郎太くんだった」
三郎太が嫌に僕の古谷さんへの対応に煩かったのは、きっと古谷さんのそうした苦慮を間近で見聞きしていたからなのだろう。 古谷さんは尚も言葉を続けようとしている。
「三郎太くんはユキくんの事で落ち込んでいる私を見かけては、きっとうまくいくって励ましてくれた。 それで文化祭の準備で二人で買い出しに言った時、私は三郎太くんから告白されて、その時に、私は気づいちゃったんです。 ユキくんと同じくらい、ずっと私の事を見てくれていた三郎太くんの事を好きだったって事を。 最初は戸惑いました。 三郎太くんを好きな事は認めましたけど、あくまで私が本気で想っているのはユキくんだったから。 でも、私の事を好きになってくれる人なんて、この機を逃したらもう無いんじゃないかって思ったら急に怖くなって、ずっと考えて、それから文化祭が終わった後、打ち上げには参加せずに私は三郎太くんを呼び出して、三郎太くんの気持ちを受け取りました。 ……私、最低ですよね」
古谷さんの胸中を全て聞き終えた後、僕は手に爪を立て、自らが犯した過ちを戒めた。
――最低なのは、僕の方だ。
僕は古谷さんからの好意を約七ヶ月間、受け取ろうとしなかった。 七ヶ月――とても長い期間だ。 あと三月と十日を足せば、赤ん坊だって生まれてしまう月日だ。 その長い月日の間、古谷さんはずっと僕に好意を送り続けてくれていた。 僕がその好意に対し毎度毎度脈などこれっぽっちも無いのだと言わんばかりの素っ気ない態度を取りながらも。
仮に僕が誰かの事を好きになって、相手が僕の好意を受け取らないと分かっていながら、七ヶ月という月日の間、好意を送り続けられるだろうか。 ――僕には到底無理だ。 恐らく途中で心が折れてしまう。 良くて一ヶ月前後が関の山だろう。
いや、きっと僕だけじゃあない。 大抵の人間は、種も植えられていない植木鉢にありったけの愛情を込めて毎日水を差し続ける事など出来やしないに決まっている。 それは最早狂気の沙汰だ。 ならば古谷さんの行為も狂気だったと言えるのだろうか。 ――いいえ、それだけは断じて違う。




