第四十二話 ひとひらの花びら 2
「ユキくん、今日の放課後って空いてますか」
一時間目の授業が終わって間もなく僕の席に立ち寄り、そう聞いてきたのは古谷さんだった。
「うん、大丈夫だけど、何か用事?」
今日は別段他の予定も無かったから、僕は迷うことなく古谷さんの誘いを受け入れた。 しかし、こうした形で古谷さんの方から放課後のお誘いなどを受けた事は無かったから、一通りの目的は聞いてみようと彼女に用事の内容を訊ねた。
「はい、ちょっとお話したい事があって」
「そうなんだ、場所はどうしようか」
「ユキくんさえ良ければ、実習棟のあの場所にしたいと思ってるんですけど」
「ああ、あそこね。 いいんじゃないかな」
「分かりました。 じゃあ放課後その場所でお願いします」
僕に用件を伝えた後、古谷さんは自身の席へと戻っていった。 結局古谷さんが話さんとする内容についてはまるで判然としなかったけれども、彼女が多くを語らなかったという点から、特定多数に聞かれる可能性のある教室内では語る事の出来ない内容である事は読み取れる。
それなら電話なりSNSを通じて僕に伝えれば、わざわざ僕を呼び出す手間も省けたろうに、それをしなかったという事はすなわち、そうした通信手段を通じてではなく、あくまで直接対面し、どうしても自分の口から伝えたい事柄を古谷さんは持ち合わせていたと考えて差支えないだろう。
だとすれば彼女は直接僕と二人きりになってまで一体何を伝えようとしているのだろう。 僕は様々な考を巡らせた。 先の古谷さんの妙に深刻な顔つき――特定多数の人間に聞かれたくはなく――電話などの通信手段を使わずに自分の口から伝えたい――以上の観点から推断するに、まさか古谷さんは、僕に再度告白を持ち掛けようとしているのではなかろうか。
必ずしもそうであるという確証は無い。 ひょっとしたらまったく別の相談事を持ち掛けて来ただけなのかも知れない。 そうであってくれるに越した事はないけれど、もし僕の想像している内容を古谷さんが伝えようとしているのならば、僕は放課後までに相応の心構えを拵えておかなければならない。
先週末、玲さんとの決裂があったばかりで心持も安定しておらず、あまり気乗りしないというのが本音だけれど、いくら玲さんの件があったとはいえ、文化祭準備期間中に僕が竜之介に語った『僕の方から古谷さんに告白する』という決意を口にしてから丸一か月経過してしまったし、これ以上その決意を先延ばししてしまうと、せっかく容になった僕の『男』に瑕が付いてしまう。 それを思うと、古谷さんは良い按配でそうした話(僕の想像通りの内容であった場合だけれど)を持ち掛けて来てくれたのではないだろうか。
――そうだ、玲さんも言っていたじゃないか。 私などに感けていないで古谷さんとの関係を大事にしろ、と。 玲さんとの関係は終わってしまったけれど、古谷さんとの関係はこれからも続いてゆく。 なればこそ僕は、あと三月もしない内にこの学校を卒業し去ってゆく玲さんより、少なくともこれから数年間は続くであろう古谷さんとの関係を大事にしなければならない。
恐らく玲さんも、彼女自身がこの学校から居なくなった後も僕が一人前の男としてしっかりと前を見て生きていけるようにと、心を鬼にして僕を千尋の谷へ突き落としたに違いない。 僕が谷を登り切った頃、もう玲さんの姿は頂上にはないだろう。 それで構わない。 そこで玲さんの姿を見てしまったら僕はきっとまた、彼女を頼ってしまうに違いないから。
玲さんの過去は今でも気に掛かる。 けれど、荒井先生にも忠告された通り、玲さん自身に過去を話す気の無い以上、僕はその意思を尊重しなければならない。 だからもうこれ以上、玲さんとの関係に固執するのは止そう。 玲さんから歩み寄ってくれればそれも良し。 玲さんが以降も断絶を決め込むのであればそれもまた一つの巡り合わせとして受け入れる。
――思わぬところで踏ん切りがついた。 自分でも驚くほどに心持も落ち着いている。 これならば、放課後までに古谷さんの件に対する心構えも難なく拵える事が出来そうだ。 もし僕の想像とは異なる内容であったとしても、古谷さんにとってよほど深刻な内容でない限り、その場で僕の方から告白を迫っても良い。 何、出し抜けという程でもない。 僕はこれまで古谷さんをさんざっぱら待たせてしまったのだから、告白は一日でも早い方が良いに決まっている。
そうして古谷さんと正式に恋人になった暁には、玲さんにも一報を入れてやろう。 十中八九返信などは来ないだろうけれど、僕と古谷さんが晴れて恋人同士になった事を知れば、玲さんもようように肩の荷が下りるだろうから、その事実が彼女に伝わってくれればそれだけでいい。 それで僕も玲さんも潔く、互いの関係に踏ん切りがつくだろうから。
僕の心の空が少し明度を取り戻した気がする。 陽の光が差し込むのも時間の問題だ。




