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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第四部 月は太陽を蝕んで
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第四十二話 ひとひらの花びら 1

 玲さんとの対談から翌日の金曜日。 僕は普段通りの電車で学校に向かっていたけれど、気分はよろしくない。 昨日の対談を受けて精神的に参っているからだ。

 寝ても覚めても――と言うほど時間は経過していないけれど、ふとした拍子に引き戸を締め切る前の玲さんのはかなげな横顔が頭をちらついて、何をするにもまるで身が入らなかった。


 あの横顔が僕の脳裏をちらつく度に、玲さんは僕の事を本当に見捨ててしまったのだろうかと勘繰ってしまい、心持を悪くしていた。 ――いや、見捨てたというのは少し違うような気もする。 玲さんはあくまで、僕が男のかたちを完成させたから自分が教える事はもう何もないという事実にかんがみて僕との交流を取り止めたのであって、見捨てると言ってしまうと僕の中の玲さんの印象が悪くなってしまうから、その表現はあまりよろしくない。 かと言って、それ以外の言い方であの顛末てんまつをどう表現すればいいのかと言われても、代替だいたい案など思い浮かぶはずもなく。


 えて言うなれば、巣立ちして親鳥から離れた若鳥のような立場だという方が聞こえはいいだろうか。 今更どう表現したところで、僕と玲さんの関係が終わってしまった事に変わりは無いのだけれども。


 本当に玲さんとの関係は、こんな中途半端な形で終わってしまったのだろうか。

 もちろん、玲さんから[ちょっと言い過ぎた、君の悩みくらいなら聞くよ]というメッセージでも届いたものならば、僕は今電車に乗っているという事すらはばからず、口元の緩みを抑える努力をはなから放棄してにやついてしまう自信がある。 つまり僕は、玲さんとの関係が終わった事を未だ認めたくなかったのだ。 けれど、そんな都合の良い事は多分、いや、きっと起こらない。 何故なら『そうなるかも知れない』という希望が、まったくと言っていいほど沸いてこないからだ。


 これまで僕は、玲さんを何かしらの粗相や失態で怒らせてきた。 その回数は恐らく、片手では数え切れないだろう。 その片手でも数え切れないほど玲さんを怒らせてしまった時のいずれの際にも、僕自身の感覚であり、確証などまるで無かったけれども、玲さんは僕の事を許してくれるのではという希望があった。


 以前の文化祭準備期間の際に僕の出過ぎた態度が原因で玲さんと仲違なかたがいした時にはさすがに彼女との関係の継続を諦めかけたけれど、その時も不思議と、いずれは和解出来るはずだという訳も分からぬ確信が僕の心にはあった。 きっとその確信は、これまで幾度とない軋轢あつれきを起こしておきながらも、最終的に玲さんは僕の事を許してくれたという事実にかんがみた甘えにも似た希望から生み出されたものに違いない。


 ――しかし、今回はどうだ。 状況で言えば以前の文化祭の時と似通っていて、玲さんの過去を嗅ぎ回るという軽率を働いてはしまったけれど、彼女は僕の愚かな行為を許容した上で僕に絶交を突き付けた。 落ち度と言ってしまうと語弊ごへいが生まれてしまうけれど、今回は玲さんが一方的に僕を拒絶したのだから、彼女の方も引け目というか、後ろ暗さというか、そうした少なからずの罪悪感が芽生えているはず。


 だからこそ今回も、玲さんが僕の方に歩み寄ってくれるかもしれないという希望が生まれる筈だったのだ。 生まれて然るべきだったのだ。 だというのに、その希望が、僕の心からちっとも沸いて来やしない。


 先週の玲さんとの対談を経て、僕が玲さんを信用出来なくなってしまった訳ではない事は確かだ。 現に僕は今も懲りずに玲さんとの関係が元に戻ればいいと心より願っているし、図々しくも僕の方から彼女に歩み寄ってやろうかとさえ画策していたくらいだ。 しかし、例の希望が全く心に沸いてこない所為せいか、その画策さえもまるで形に出来ず、僕の胸中に不定形のままふわついている。


 何故だろう、何故だろうと必死に理由を探した。 理由を探したって何の解決にもならない事は分かっている。 いっその事、僕の言葉をまったく受け入れる気色の無かった玲さんを悪者にしてしまう手もある。 はなからそうしていれば僕の心持はここまですさまずに済んだろう。 実際僕の心の片隅には "そうしてしまえば楽になる" という逃げの気持ちも芽生え始めていた。


 そうした気持ちが芽生えてしまうのも無理はない。 いくら僕が心の中でああだこうだと打開策を練ろうが、当の玲さんにその気がなければ机上の空論もはなはだしい。 受信する気の無いコミュニケーションは雑音に成り下がる。 きっと僕の声はもう玲さんにとって雑音でしかないだろう。 僕はそんな雑音こえを玲さんに聞かせたくはない。 やはり、一刻も早く僕の心持を回復させる為には、彼女を悪者にするしか――


 ――そんな事、死んでもするものか。

 例え玲さんが僕を心底嫌おうとも、僕が玲さんを嫌う理由にはならない。 それ以前に、これまで玲さんから受けた恩をあだで返すような事があってしまったら、僕は僕を生涯許せなくなってしまう。 だから僕は心の中で玲さんを悪者にしようとしている卑怯な僕を一喝した。 卑怯な僕は鼻で僕をわらった後 "ならそのまま鬱屈にさいなまれ続けるがいい" という捨て台詞を残して消え失せた。


 それでも構わない。 玲さんを悪者にするくらいならば、一生僕の心にもやが掛かり続けようともその現実を受け止めてやる――と、胸中で気炎を吐いたはいいものの、僕はそれほど痛みには強くないほうだから、いざその事態におちいった際、心の痛みに耐えられるかどうかは僕にすら読めたものではない。 そうした切実な懸念を思考に巡らせている間に「はぁ」と大げさなため息が僕の口から漏れた。


 覚えず出た一つの深いため息ですらこの鬱屈は吐き出せそうになく、僕は今週も小説を読む事もせずに窓からの空を呆然と眺め続けていた。 先週と同じくして空は白んでいるには白んでいるけれど、以前の空よりややどんよりとしていて、まるで今の僕の心持を具現化しているのかとさえ思えてくるような、そうした晴れない色が空一面に張り巡らされている。


 そう言えば、今日の明朝の天気予報では、今週は全体的に曇り空で、気温はそれほど下がらないけれども、ひょっとすると思わぬところで突然の雨に見舞われる可能性がある、と言っていた事を思い出した。


 もう、傘に困ろうとも、玲さんは僕を頼る事など無いだろう。

 ――また一つ、溜息が出た。 卑怯な僕は、僕を見てわらっているに違いない。

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