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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第四部 月は太陽を蝕んで
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第四十一話 献身の代償 12

「否定もしないという事は、それを認めるという事でいいんですね」


「……」


 僕の追求からのがれる事を諦めたのか、玲さんはうつむいたままわずかに首肯しゅこうを果たした。 十中八九そうであろうという事は荒井先生との対談を経て分かり切っていた事だけれども、それでも万が一にその推測が間違いであれば玲さんに警戒されてそれ以上の事を聞き出せなくなってしまうという懸念もあったから、彼女がその事実をうけがってくれたのは以降の僕にとって大きなアドバンテージとなるだろう。


 ――それにしても、これほどまでに弱々しい玲さんを見たのは初めてだ。 いつもの覇気はそこに無く、まるで別人とさえ思えてくる。 これまでは、僕が粗相を犯してばつの悪い思いをしながらうつむき、玲さんからのお小言を頂戴するのが常であったのに、今の状況はまったくの真逆だ。 別に僕は玲さんをとがめている訳ではないのだけれども、ここまで意気いき阻喪そそうとしている玲さんをまさしく目の当たりにしていると、かえって僕の方が気がとがめてしまいそうだ。


 しかし僕はもう既に、玲さんの不可侵領域に足を踏み入れてしまった。 今ならまだ、引き返せるかもしれない。 けれど、引き返して何になる。 これだけ踏み込んでおいて逃げ出すのは、玲さんを見捨てるも同然の行為だ。 だから僕は、見つけなければならない。 この果てしなき五里霧中のどこかに膝を抱えて助けを待っているであろう、弱き玲さんを。


「わかりました。 それを踏まえた上で玲さんに聞きます。 あの発言に関与しているのは、中学時代に玲さんの友達だった、内海理央という女子生徒ですか」


「――!」僕の口から内海理央という名を発した直後、玲さんは永らくうつむけていた顔をがばと上げ、目を見開きながら僕の顔をじっと見つめてきた。 その顔からは、悲哀というべきか、悔恨とも言うべきか、あるいは、憤慨ふんがいともとらえられるような複雑な表情を覗かせていた。 それから間もなく「誰から、聞いたの?」と、おもむろに口を開いた玲さんが僕にそう問いただした。 その声色はどこか震えているようにも受け取れる。


「荒井先生からです」今更隠しても仕様が無いのは分かっていたから、僕は素直に情報源を明らかにした。 すると玲さんは「全部、聞いたの?」と先の調子と同じくして僕に問いただしてくる。


「いえ、僕が先生から教えてもらったのは、その人の名前だけです」と僕が語ると、玲さんは「そっか」と一言だけつぶやいた後、少しだけ顔をうつむかせた。 その顔には、かすかに安堵の色が混じっていた。


「すいません、玲さんの過去を勝手に嗅ぎ回るような真似をしちゃって」

 少し間を置いてから、僕は玲さんのあずかり知らないところで彼女の過去をあばこうとしていた事に対する軽率をびた。


 玲さんは僕の言葉を聞いた後もしばしもくしていて、それからうつむいたままかぶりを振った後、「ううん、君にそうさせてしまったのも、私があんな事を言っちゃったせいだから」と弱々しい口吻こうふんつぶやいた。 てっきりその行為についてはとがめられてしかるべきだとあらかじめ覚悟していたから、玲さんがかぶりを振った上でその行為をうけがった時には僕も動揺を禁じえず、僕はうんともすんとも言えず、ただただ口をつぐんでいた。


 そうしてまた、僕と玲さんの間には沈黙が流れ始めた。 正直なところ、これほどまでに玲さんが消沈するとはこれっぽっちも考えておらず、まるで予想だにしない事態を前に僕は、これからどういった風に話をつけていくべきか、まったく思い浮かべずにいた。


 当初は激怒される覚悟で玲さんとの対談にのぞんでいただけに、綱引きで同等かそれ以上の張力を掛けてくるものかと予測して、開始の合図と共に力任せに綱を引っ張るやいなや相手がまったく綱を引かず、そのままの勢いで後方に倒れて尻餅を付かされたかの如きの肩透かしというか、一人相撲というか、暖簾のれんに腕押し、柳に風。 そうした虚無感すら僕は覚え始めてしまっていた。


 こうした事態におちいってしまうくらいならば、まだ玲さんが激怒してくれていた方が幾分話を通しやすかったとさえ思えてくる。 ひょっとすると僕は、決して踏み込んではいけない玲さんの領域に足を突っ込んでしまったのかもしれない。


 生唾がごくりと喉を鳴らした。 玲さんは未だうつむいたまま押し黙っている。 空気が重い。 やはり、軽率だったろうか。 情報不足だったろうか。 そうした後悔の波に押し寄せられるがまま沖合に投げ出された僕は完全におかへ戻るすべを失ってしまった。 苦しまぎれに菓子鉢の中に入れられてある菓子の個数を数えてみる――数え終えた頃にはより焦燥がつのるだけだった。


 そうして、数分にも及ぶ沈黙の重圧に押し潰されそうになっていた僕の耳に飛び込んできたのは、「――君は、何も知らなくていいよ」という玲さんの言葉だった。 その言葉がまるで、これ以上詮索してくれるなという意味にも聞こえてしまった僕は「知らなくていい、って?」と恐る恐る玲さんにたずねた。


「何となくだけど、君がいつもの一時的な好奇心にそそのかされて昔の私を探ってたんじゃなくて、私の力になろうとして動いてくれていた事は分かるよ。 でも、これは私の問題であって、君に直接関わる事じゃあない。 君にそこまでしてもらう義理はないんだよ。 だからもう、あの時の言葉はきれいさっぱり忘れて、私の事は放っておいて」


「――っ」

 少し、頭に来た。 放っておいてくれ? 僕の過去は知ろうとしてきたくせに自分の過去は韜晦とうかいするなんて、あまりにも虫が良すぎる。 玲さんが気丈な人だという事は嫌というほど心得ているし、だからこそ第三者に――とりわけ僕などには弱きをていしたくないという気持ちも痛いほど分かる。


 けれど、それとこれとは話が別だ。 こんな時に強情になってどうする。 それは気丈でも何でもない。 ただのわがままだ。 ただの強がりだ。 ただの痩せ我慢だ。 もう、相手が先輩だとか、僕の恩人だとかは関係ない。 僕の目の前であからさまに弱り果てている一人の人間が居る――理由はそれだけで十分だった。 それだけで僕は、心と体を動かす事が出来る。

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