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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第四部 月は太陽を蝕んで
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第四十一話 献身の代償 1

 時刻は七時前。 電車内の窓から見上げた夜の明け切ったばかりの白んだ空は薄寒うそさむげにどこまでも広がっていた。 ふと、電車内の冷房に日々ありがたみを感じていた夏の日々が脳裏に思い起こされ、改めて師走という時節を噛み締めたような心持を覚えた。 今はまだ凍えるほどの気温でもないけれど、あと数週間もすれば吐く息を殊更ことさらに白く染めながら寒い寒いと我が身を震わせなければならなくなるだろう。


 そうして夏の日々を思い出した次は文化祭の事を思い出した。 ――先月、大いに盛り上がりを見せた文化祭も幕を閉じ、その二週間後に行われた期末考査の結果はあまりかんばしくなく、以前に修めた学年十位台には程遠い出来を目の当たりにした時には覚えず深い溜息をついた。

 かと言って、とりわけ試験内容の難度が高かったという訳でもなく、勉強の時間が取れなかったという訳でもなく、それならなぜそこまで順位を落としてしまったのかという問いには、僕の精神的動揺が関係していたと言わざるを得ないだろう。


 文化祭後に行われた打ち上げの途中、奇しくも数週間振りに玲さんとばったり出会い、それから店を抜け出して、ようやく彼女との空白の時間を埋められたと安堵していたのも束の間。 玲さんは自分自身が誰かを好きになる資格も誰かに好かれる資格も無いという言葉を残して僕の前から去っていった。


 僕はあれからずっと、あの時玲さんが消え入りそうな声調で呟いたあの言葉を頭の中で咀嚼し続けていた。 けれども噛んでも噛んでも、いくら咀嚼を続けようとも、その言葉は僕の思考に一片の味も残さなかった。 そうした日々が文化祭後から期末考査実施当日まで続いてしまっていたものだから、無論勉強に精が出る筈も無く、今回の期末テストは散々な結果に終わってしまったのだ。


 以前の期末考査に比べるとどうしても成績が極端に落ちたように受け取れてしまうけれど、結果だけを見れば上位二割には食い込んでいたから、実際それほど悲観するほどでも無いと自身に言い聞かせつつ、今はそんな些末な事(・・・・・・・)に思考を割いている余裕は無いという事も自覚していた。


 期末考査が終わった今もなお僕は、玲さんのあの言葉を咀嚼している。 未だ味は確認出来ていない。 いっその事、玲さん本人にあの言葉の真意を直接聞いてやろうかと何度も思い立った。 けれども、僕がその件についてたずねたところで、きっと玲さんは答えなど寄こしてはくれないと確信していた。 玲さんは、自分の弱いところを見せるのが嫌いだからだ。


 僕が玲さんの弱いところを見たのは後にも先にも一度だけ――僕が初めて玲さんにぼくの事を明かし、それから玲さんの家を出ようとした際、彼女は嫌に僕の体調を気遣って、まるで子供にお遣いを頼む時見たような調子で僕の行動一つ一つにあれこれと注文を出してきた。 僕にはそれがどうしてもお節介に聞こえてしまって、つい冗談交じりに玲さんの言葉をないがしろにしてしまった。

 すると彼女は部屋に響き渡る声音を以って激昂し、僕をたしなめた。 それから玲さんは弱々しい口吻で、今日はさんざっぱら甘えさせてあげたのだから、最後に私のわがままの一つくらい聞いてくれと懇願してきた――その時の彼女の態度と以前の彼女の態度の性質は非常に似通っていた。


 ただ、前者の方は万が一に僕の生命に関わる事だったから、玲さんがああした態度を僕に呈してきたのもまだ理解出来る。 しかし、今回はどうだったろう。 ぼくに関連する話はしていたものの、あの場面で生命の危機に瀕する事柄があった訳でもなく、かと言って、僕が玲さんの気遣いを蔑ろにした覚えも無い。


 それに、あの聡明な玲さんの事だ。 経緯はともあれ僕をぼくへ誘導したかったのであれば、もっと巧いやり方があったはずなのだ。 なのに彼女はわざわざ自身の弱きを呈してまで、今更になって僕にぼくの道を歩ませようとしてきた。 玲さんは一体何を思って、一体僕に何を伝えようとして、あんな事を言ったのだろう。


 分からない。 考えれば考えるほど、思考は渦を巻くばかりでまるで纏まる事も無く、そればかりか渦に巻かれて目が回りそうだ。最早小説を読む集中力さえ保てない。 僕はまた例の件を咀嚼しながら意味も無く、つくねんと窓からの景色を眺め続けていた。


 ――誰かを好きになる資格も、誰かに好かれる資格も無い? 一体全体、何の罪や過ちを犯せばそうした閉塞的な思考に辿り着くというのだ。 現時点で僕が考えられる推測は都合二つ、それは軽度と重度に分類される。 第一に軽度の方は、その昔恋愛事で相手を傷つけてしまった事があり、それが原因で誰かを好きになる事や誰かに好かれる事を恐れているからこそ、ああした罪悪感めいた感情に囚われているのではなかろうか、という推測。


 しかしそうした軽度の要因ならば、わざわざあの場で僕にその弱きを晒す必要も無かったのではという思いも勿論あった。 下手な事を言えば僕にその件について言及されるであろう事を玲さんが理解していない筈も無く、よってこの推測はまったく当てにならない事は明白。 軽度の推測はたちまち僕の思考から放棄された。


 もう一方の重度の方は、過去に何らかの原因で取返しの付かないほど第三者の人生を狂わせてしまい、未だその罪悪感に苛まれ続けているのではなかろうか、という推測。 しかし玲さんの人となりにかんがみても、この推測も僕の中ではあり得なかった。

 何故ならば、あの玲さんが、僕というどうしようもなく不完全な人間をここまで導いてくれた明朗めいろう闊達かったつあの(・・)玲さんが、誰かの人生に土足で干渉し、破滅へと追い込んでしまったとはとても思えなかったからだ。

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