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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第三部 変わる人々、変わらぬ心
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第四十話 努力の果てに 11

「そんな辛そうな君を見てきたからこそ、今日、執事役を女としてこなしてた君はまるで苦痛から解放されたかのように見えた。 私が見てきた君っていう人間の中で一番、君らしかった。 ――こんな事言うと何様だって言われるかも知れないけど、私はね、もう君が辛そうにしてるところを見たくないんだ。 今日の女としての君がみんなに認められてたように、いつか必ず君の前に本当の君を受け入れてくれる人が現れるよ。 だから君は無理に変わらなくても、君のままでいいんじゃないかな」


 永らく語っていた玲さんの口がぴたりと閉じた。 それから玲さんはうつむき気味に僕の顔から視線を逸らし、少し横を向いた。 夕日の赤が逆光となり、絵に描いたような濃いだいだいの色が玲さんの顔の輪郭をなぞっている。 その様が一枚の絵画の如く美しくもあり、また、ひとまたたきした途端に僕の前から存在が無くなってしまいそうなほど儚くもあり、結果的にひどく悲哀めいて僕の目に映じた。

 

「――それは駄目です。 玲さんも知ってるでしょ。 仮に僕が女として誰かを好きになって、その誰かが僕の想いを受け取ってしまったら、僕はその人を僕と同じ当事者にしてしまうんですよ。 そんな事、出来る訳ないじゃないですか。 そうならない為に僕はこれまで自分の中に男を作り上げてきたんです。 ……僕は、僕が好きになる人を当事者にしたくないんです」


 そして僕にはどうしても、先の玲さんの言葉を受け入れる事が出来なかった。 これまで玲さんが僕の力になり続けてくれた事への感謝は忘れた事は無い。 けれど、いくら返しても返しきれないほどの恩を受け続けている玲さんからの言葉だといえども、その提案は僕にとって到底受け入れられるものではなかった。


「もちろん、自分の事より相手の事を第一に気遣う君の優しい心も大事だと思う。 でも、もっと自分の事も考えてあげなくちゃ。 君がそうしなきゃ気が済まないって事は痛いほど知ってるけど、そんな事をずっと続けてたらこれからも自分自身が傷つく一方だよ。 ――私みたいに、君を君として受け入れてくれる人はきっと現れるよ」


「じゃあ玲さんは、女としての僕と付き合えるんですか」


 そう言い終えてから、僕は僕自身も気が付かぬ間に大胆な事を口走ってしまった事に気が付いた。 これではまるで告白じゃないか。 次第に胸の鼓動が早まってゆくのを感じた。 そうして玲さんは僕の言葉を聞いた後、静かにかぶりを振って、


「私は、君とは付き合えない」と静かなトーンでつぶやいた。


 勢いで言ってしまったとはいえ、僕の告白まがいの問いを玲さんに完全否定されてしまい、僕は訳も分からぬ内にひどい喪失感にさいなまれてしまった。 正式な告白でもないのに面と向かって振られてしまったような気分だ。 とてもじゃないけれど、玲さんの顔を直視し続ける事など出来なかった。


「――でも、勘違いしないでね」

 玲さんは言葉を続けている。 僕はそむけていた視線を少し玲さんの方に戻した。


「その付き合えない、っていうのは、別に私が君の事を受け入れてあげられないって意味でもないし、君の事を嫌ってるって意味でもないよ。 ……私にはもう、誰かを好きになる資格も、好かれる資格も無いんだよ。 だから君は何を間違えても、私の事なんて好きになっちゃ駄目だからね」


 僕は玲さんの言葉が理解出来なかった。 僕にその道を歩ませる為に咄嗟とっさについた嘘だったのだろうか。 それなら先の発言の突拍子の無さにも納得がいくけれど、僕にはどうしても玲さんのその言葉が、その時の玲さんの態度が、嘘偽りなどとはとても思えなかった。


 先の玲さんの発言、えてその内容を形容するならば、それは――呪縛。 玲さん自身が抱え続けている後ろ暗さだとか、罪悪感だとか、そういったたぐいのものだ。 ならば玲さんを縛っているそれ(・・)は一体、何の経緯で玲さんに纏綿てんめんしたのだろう。


 その探求の心は最早好奇というよりは、一種の確認に近かった。 そうして、玲さんにその件を問いただそうと口を開きかけた途端、玲さんは急にスカートのポケットの中からスマートフォンを取り出し、しばらく画面を見つめていた。 それから再び僕の方に視線を向けたあと、


「――ごめん、双葉に呼ばれちゃったからもう店に戻るよ。 君もそろそろ戻らないとみんなに怪しまれちゃうよ。 付き合ってくれてありがと。 それじゃ、行くね」と言い残し、玲さんは僕の真横を通り過ぎて再び店の方へと歩き始めた。 僕は一言も発する事無く、決して振り返る事も無く、僕の前から去ってゆく玲さんをただもくして見送った。 今、振り返ってしまったら、玲さんを呼び止めない自信が無かったから。


"……私にはもう、誰かを好きになる資格も、好かれる資格も無いんだよ"


 玲さんがこの場を去ってからも僕は、その場から動くことが出来ないでいた。 そうして、意味も無く自分の影に視線を落とした。


 強い西日に差された僕の影は尚もその色を濃くしつつ、ただただ無機質に東へと勢力を伸ばしている。 玲さんの意味深な言葉もまた、僕の心に影を落とし続けている。 光が強ければ強いほど、影は濃くなる。 今更改めるまでもない取るに足らない事象なのに、今の僕にはそれがとても恐ろしく、不気味に思えてしまった。

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