第四十話 努力の果てに 8
思わず目を細めてしまうほどの強い西日は駐車場全域を橙に染め上げていた。 その光線を受けた多数の車の影々はアスファルトの上を滑るようにして長く長く東へ引き延ばされている。 その様はまるで秋という時節が著明に冬へと進んでゆくのを描写しているようにも感じられた。
玲さんは店から少し離れた駐車場の一画に後ろ手をしながら一人佇んでいた。 僕は少し小走り気味に彼女のもとへと向かった。
「お、来たね。 ごめんね急に外行こうだなんて言い出したりして」
足音で僕の気配に気が付いたのか、玲さんは僕が声を掛ける前にこちらを振り向き、唐突に僕を店外へと呼び出した事を軽く詫びてきた。
「いえ、僕も玲さんに色々話したい事があったのでちょうどよかったです。 ――玲さん、あの時は生意気な事を言ってすいませんでした」
僕は玲さんと本格的に話し始める前に、以前学校で彼女に呼び出された際に感情の任せるままに無礼を働いてしまった事を謝罪した。 当日には謝罪の一つすら寄こさず、こうして時間が経過してからほとぼりが冷めた頃を見計らって改めて謝罪をするのは卑怯極まりないという事は承知している。 けれども、この件にだけはけじめをつけておかなければ僕はこれから先、玲さんという人間と本気で向き合えないような気がしていた。 だから今更だと呆れられようと、ずるい卑怯だと罵られようと、僕は今ここで彼女に謝罪を果たしておかなければならなかったのだ。
「いいよ、もう気にしてないから。 私の方こそ、あのとき君を突き放すような事言っちゃってごめん。 実は私もね、ずっと君に謝りたかったんだ。 でも私も変に意地になっちゃって、それで結局今日の今日まで君に謝れなくて。 だから、君が今日ここに居てくれて良かった。 何だか胸のつっかえが取れたような気がするよ。 ありがとね」
玲さんは物憂げな表情を匂わせつつ、時折僕から視線を逸らしながら淡々とそう語った。 言葉の最後に見せた優しい微笑は、僕の目には何故か物悲しく映った。 どうやら僕と同じくして、玲さんの方もあの日の事を玲さんなりに引きずっていたらしい。 そして数週間もの間、玲さんにそうした要らぬ気苦労を掛け続けてしまっていたという事実は、僕の心に深い影を落とし込んだ。
僕が素直にこの件についてその日にでも詫びを入れていれば、少なくとも玲さんはそこまで心持を悪くしなかったに違いない。 それが出来なかったのは、僕も玲さん同様、変に意固地になってしまっていたからだ。 だから、
「いや、ありがとうって言わなければならないのは僕の方ですよ」と、ちょっと語勢を強めながら玲さんに伝えた。
「いやいや、私からの感謝くらい素直に受け取っときなよ」
「いえ、この件は僕が玲さんに食って掛かってしまったのがそもそもの発端ですし」
「その発端の一役を担っちゃった私にも責任はあるでしょ」
「でも、僕が感情的にならなければここまで玲さんを怒らせる事も無かったですよね」
「ううん、君が思ってるより私は怒ってなんてなかったよ」
「え、ほんとですか? あの時の玲さんの態度とかすごく怖かったんですけど」
――しばらくそうした言い争い紛いの会話を続けていると、玲さんは何故だか出し抜けに堪え切れないといったような笑いを余すことなく発散するかの如く、お腹を抱えつつ白い歯を存分に見せながらアハハハハと豪快に笑い始めた。 僕はなぜ玲さんが何の脈絡も無く笑い始めたのかが解せなくて、はてなと首を傾げつつ「何がそんなに面白かったんですか」と彼女に訊ねた。
「――ははは、いや、ごめん。 何ていうかさ、君はやっぱり君なんだなって思っただけだよ」
笑い過ぎて涙が出たのか、指で下瞼を拭いつつ、玲さんは妙に確信めいた事を言ってくる。
「何ですか、それ」僕には理解できない感覚だったから、僕はたちまち玲さんに訊ねた。
「私の感謝も素直に受け取れない生意気な子には教えてやれないなぁ」
玲さんはそう言いつつ悪戯っぽく笑っている。 その彼女の無邪気な笑みを目の当たりにした途端、僕の心に長らく堆積していた負の滓が悉く取り浚われたように思われた。
久しく拝んでいなかったその屈託なき笑顔は、今日の西日よりも眩しいくらいに僕の瞳に焼き付いた。




