第四十話 努力の果てに 7
やはり僕は心のどこかで僕も知らぬ内に玲さんに会いたいという気持ちを募らせてしまっていて、吐息も凍り付くような大寒の夜更けに深々と降り積もる雪の如く、僕の目が醒めた頃にはその気持ちは積もりに積もっていたのだろう。
しかし、いくら僕が玲さんの存在に焦がれたところで彼女がこの場に現れるわけでもなく、それ以前に彼女がこの場に居ないと分かれば長見は無用だ。 下手な注視は余計なトラブルを生みかねない。 僕は僕の視線があの席に座っている強面の男子生徒たちに気づかれてしまわない内にさっさと視線を切り上げ、それぞれのグラスに注文通りの飲み物を注ぎ始めた。
そうして全ての飲み物を入れ終えた後、僕はちょっとばかり重くなってしまった足を動かして少し目を伏せながらみんなの居るテーブルへと向かおうとした――矢先、僕の正面から誰かが歩いてくるのが見えた。 僕は徐々に視線を上げ、その人の顔を確認した。 確認した途端、
「「あっ……」」
二人はまったく同じ調子でまったく同じ言葉を漏らし、その場で足を止めた。 僕はその人と顔を合わせた瞬間、思わず手に持っていたトレーを落としてしまいそうになるほどに動揺してしまった。 僕の目の前に居たのは、僕の姿を見て少し戸惑いを見せながら目を丸くしている玲さんだった。
何故、ここに居る筈のなかった玲さんがこうして忽然と僕の前に姿を現したのだろう。 もしや何かしらの事情があって、双葉さん達より少し遅れて今まさにこの店に訪れたのだろうか。
「玲さん、どうしてここに?」
居ても立ってもいられなかった僕は、藪から棒に玲さんへ問い質した。
「どうして、って。 私は双葉に無理やり連れられて文化祭の打ち上げに来てたんだけど」
きっと僕の質問の真意が汲めなかったのだろう。 玲さんは怪訝そうな表情を覗かせつつ、ちょっと困惑気味にそう答えた。
「でも、これまでどこに居たんですか。 さっきまで双葉さん達の席の方には居ませんでしたよね」
「あぁ、私ついさっきまでお手洗いに行ってたからね。 そりゃ居なくて当然だよ」
なるほどなと、僕は玲さんが双葉さん達の席に居なかった理由を把握した。 けれど、玲さんは一体どのタイミングでお手洗いに向かったのだろう。 双葉さんの存在を確認してから成る丈周囲に気を配っていたつもりだったけれど、双葉さんの時見たようには気が付けなかった。 誰かと会話していて気を取られている間に通り過ぎたのかも知れないとひとまずの断案を下しつつ、僕は――
「そうだったんですか」と言ったきり、頭が真っ白になってしまった。
せっかく数週間振りの玲さんとの対面だというのに、言いたい事、伝えたい事は山ほどあったはずなのに、いざ彼女の前に立った僕の思考回路はまるで熱暴走を起こして悉く焼き切れてしまったかのよう、うんともすんとも言わずに僕の頭の中を真っ白に染め上げていた。
当の玲さんはきょとんとした顔つきで僕を眺めている。 それもその筈だ。 何かを聞きたげな素振りで突拍子も無い事を聞き質してきた相手が、電池切れを起こした玩具の如く急に黙りこくって立ち呆けているのだから。
僕はただただ忸怩の念に苛まれた。
こんな僕では、とてもじゃないけれど玲さんに男だと認めてもらえないだろう。 次第に心さえ弱ってきた僕は、ついに玲さんから視線を反らしてしまい、トレーの上のホットココアの湯気立つさまをただじっと眺めていた。 すると玲さんは何を思ったのか突然「……ふっ、ふふっ」と失笑を溢し始めた。 僕の情けなさ極まりない佇まいがおかしかったのだろうか。
「――ねぇ、ちょっと外で話さない?」
「……えっ」
その言葉を聞いて間もなく、僕は湯気に向けていた視線を玲さんの顔の方へ送った。 そこには、僕の見慣れた玲さんの優しい微笑があった。
「このままこの場所で話すって訳にも行かないからさ、店の外のすぐそばの駐車場辺りで待ってるよ」と言い残し、玲さんは店の出口の方へ一人すたすたと歩いていった。
確かにドリンクバー付近で話し続けるのは他の客の迷惑にもなるし、双葉さん達や僕らのグループの生徒にも怪しまれるだろうから理には適っているけれど、そもそも一体全体どういった意図があって僕を店外へ呼び出したのかが一向に判然としない。
しかし、先の玲さんの表情から推察するに、あの時僕を突き放した際の態度はまったく残っていなかった。 即ち彼女はもう、あの時の僕の過ちを容赦している可能性が高いという事。 だったらそれほど臆病になる事もない。 わざわざ玲さんの方から僕を呼び出してくれたのだから、今更あの時の事を蒸し返されて叱りつけてもこないだろう。
ようやく思考回路に火の灯った僕は――よし、と今一度心の中で気合を入れつつ、それからテーブルへと戻って各自の飲み物を届けた後「ちょっと店の中が暑いから外の空気吸ってくるね」と断って、玲さんの待っているであろう店の外へと向かった。




