第四十話 努力の果てに 3
「えとですね、最後の賞なんですが、これまで受賞を終えた賞の全てがクラス全体とかグループに対してだったんですけど、最後の賞は生徒会と先生との話し合いの結果、クラスではなく個人に贈らせてもらう事になりました。 というのもですね、この賞に対するお客様からの声のほとんどがその個人に向けられたものだったんですよ、名前付きで。 まぁもちろんクラスとしての出し物があってこその結果だとは思いますし、一人だけ個人で賞をもらうのは気が引けるかも知れないですけど、お客様の反応も大きかったので、ぜひ胸を張ってこの賞を受け取ってください」
どうやら最後の賞は個人宛のようだ。 しかも多数の来場者から名指しで支持を得るとは一体どのようなパフォーマンスをした人なのだろう。 よもや本当に三郎太の言っていた『インパクトが強すぎるで賞』が竜之介に贈られるのではと勘ぐった。 まさかそんな筈はと思いつつも、ここに来て彼の冗談が現実のものとなって現れるのではなかろうかと、僕は一人心を躍らせていた。
「では最後の賞、『女の子にしか見えないで賞』を受け取るのはこの人っ! 一年一組の模擬店『チェンジカフェ』で執事役をしていた綾瀬優紀さんです! 壇上へどうぞっ!」
「――え、もしかして、僕?」
「もしかしなくてもユキちゃんだろ! ほら、行ってこいよユキちゃん」
正直、状況がまるで飲み込めなかった。 これは夢か何かだろうかと現実すら疑った。 でも僕の意思ははっきりと僕の心の真ん中にあって、手は汗を握り、足は地を踏みしめ、耳は僕の名を呼ぶ声を聞き、視線は壇上を見据えている。
これは確かに、他の誰でもない、僕の現実らしい。
「あれ? 綾瀬優紀さーん? いませんかー? いやそんな筈はないですよね。 今日だけヘルプで別の学校から超絶可愛い子を呼んでてもう帰ったとかそんなオチはないですよねまさか。 一年一組のみなさん、綾瀬優紀さんに壇上に上がるよう声を掛けてあげてくださーい」
「ほら呼ばれてるぜユキちゃん」三郎太が僕の背中をばしばし叩きながら僕を壇上へと上がらせようとしている。 ――いや、何を臆しているんだ僕は。 せっかく男の容が完成を迎えたというのに、こんなところでうじうじしていてはまた逆戻りだ。
「――わかった、行ってくるよ」
そうして僕はその場に立ち上がり、壇上へと向かった。
「やったな綾瀬君」
「さすが綾瀬くんっ、やったね!」
「すげーな綾瀬」
「俺のオカンを唸らせただけの事はあるな優紀」
「まぁ私のメイク力にかかればこんなもんよ!」
「優紀ちゃん結婚してくれーっ!」
「ユキくんすごいですっ!」
壇上へ向かうまでの間、僕は一年一組のみんなから称賛の声を浴びていた(一部称賛と言っていいのだろうかという声もあったけれど)。 それらの声を背中に受けつつ壇上への階段を昇り、僕は司会の女生徒と対面した。
「ようやく来てくれましたね。 賞の受け取りを拒否されるのかと思ってひやひやしました。 あなたが、執事役をやっていた綾瀬優紀さんでよろしいですか?」
司会の女生徒は自分が喋った後、マイクを僕の口元へと向けてきた。
「はい、でも一つだけ訂正したい事があるんですけど」
「え、なんでしょう」彼女は器用にマイクを行き来させている。
「あの、優紀っていうのは出し物用の名前で、僕の本当の名前は優紀なんです」
「あ、これは失礼しましたっ! いやー私てっきり字面から優紀だ優紀だとばかり思ってて、ごめんなさいっ!」
僕としては軽い訂正のつもりだったのだけれど割と本気で謝られてしまってちょっと焦った。 この女生徒、司会役というキャラクター上では陽気に振舞っているように見えるけれど、根はとても真面目な人なのかも知れない。 今訂正するべき事柄では無かったなと反省しているうちに、女生徒は表彰状を読み上げ始めた。
「賞状、『女にしか見えないで賞』、一年一組、綾瀬優紀さん。 以下同文です。 おめでとうございましたっ!」
賞状を読み上げた直後の拍手に包まれながら、僕は司会の女生徒から賞状と、何やら一封の封筒を受け取った。 そう言えば他の受賞者も賞状と一緒に封筒らしきものを受け取っていたなと思い出し、さすがに現金は入れられないだろうから、恐らく商品券辺りが封入されているのだろうと予測した。
「さて綾瀬くん、あなただけ個人受賞という形になりましたが、今回の文化祭の自身の出し物について何か一言感想の方をお願いします」と伝えられた後、司会の女生徒は僕にマイクを手渡してきた。 どうやら拒否権は無いようだ。 僕はマイクを受け取り、客席の方を見渡した。
全校生徒が僕の事を見ている。 少し注視すれば、個人の顔だって判明出来る。 生まれてこの方、こうした大勢に注目されるという場面は無かったから、思わず足が竦む。 マイクを持っていた手が自分の意思とは関係無く震えた。 司会の女生徒は球技大会や今この場でよくも微塵たりとも緊張の色を見せずに一人であれだけの司会進行を果たしてきたなと尊敬の念さえ覚えた。
昔の臆病で女々しい僕ならば、数百の視線の矢に体中を打ち貫かれた時点で声を出す事すら儘ならず、一言も喋らないまま司会の女生徒にフォローされ、醜態を晒していたに違いない――
「……僕が、今回の文化祭で執事役として女装する事になったのは、正直成り行きみたいなものでした」
――でも今は、違う。 僕はもう、昔の僕じゃない。
緊張していない訳では無いのは確かだ。 今だって足は竦んでいるし、マイクを握っている手も揺れている。 声だって若干震え気味だ。 けれど、この状況に対応出来なくは決して、無い。
「――という経緯で任されてしまって、任された直後は不安だったんですけど、クラスのみんなが僕の役に期待してくれていたから、僕もその期待に応えられるようにひたすら頑張りました」
自分でも驚くくらい、端からスピーチの文句を考えていたみたく次から次へと言葉が出てくる。 今だけ司会の女生徒の魂でも乗り移ったのだろうかと益体も無い思考を巡らす余裕さえあった。
「――結果的にこの賞は僕個人として受け取る事になりましたけど、僕自身は、この賞を取れたのはクラスのみんなのお陰だと思っています。 クラスのみんながサポートしてくれたからこそ僕は、お客さんの注目を浴びるような役づくりが出来ました。 だからこの賞は、一年一組のみんなと一緒に噛み締めたいと思います。 ――あ、以上です。 ありがとうございましたっ!」
スピーチを終えた後、僕は客席に向かって恭しさ極まりないお辞儀を放った。 その瞬間、頭が真っ白になって何も考えられなくなった。 きっと過度な緊張から解放された事による安堵から来た脳のクールダウンみたいなものだろう。 しばらくは何も考えられそうにない。
辛うじて、僕に向けられたであろう拍手喝采の音のみが認識出来た。 でも、満足はしている。 結局僕の臆病はまだ残っていて、劇的な変化こそ来してはいなかったけれども、先のスピーチを経て僕は確かに変われたのだと実感出来たのだから。
閉会式の終わるまで、拍手喝采の音はいつまでも僕の耳底に響き続けた。




