第三十九話 変身 5
「いよいよだな綾瀬君――いや、もう『優紀』ちゃんか?」
「はは、まだ気が早いよ山野君」
まるで普段の三郎太みたように僕の名前を呼んだ山野君だったけれど、別に僕をからかってそう呼んだ訳ではない。
接客担当の六人は担当が決まった翌週の文化祭会議の際、いわゆる源氏名というものをクラスのみんなに考えてもらった。 メイド役には女性らしい名前、執事役には男性らしい名前をそれぞれ与えられており、竜之介なら『竜子』、平塚さんなら『慎』など(真衣の真と慎を掛けた)、その人の名前に由来する漢字が組み込まれているのが特徴だ。 さらに客側から見ても一目で接客担当の名前が判明するよう、僕たちは自分自身の源氏名の入った読み仮名付きの名札を胸の辺りに付けている。
そして僕の源氏名は何故だか『優紀』で、僕の名前のままだった。 本当にこのままで良いのだろうかと山野君に訊ねてみると、そのままでも男っぽくあるし女の子っぽさもあって、呼び方も『優紀』にしているからという理由でその源氏名に決定したらしい。 なるほど筋は通っているけれど、僕だけ本名でこの役をやるようで少し恥ずかしかった。 しかしみんなに決めてもらった名前に文句を言える筈もなく、結局僕はこの源氏名を受け入れるしかなかったのだ。
「そんな事ないって。 あと五分もしない内にお客さんがわんさか来るんだから、今のうちにリハーサルしといても損は無いだろ?」と言いながら山野君は白い歯を見せながら破顔した。
「まぁ、それもそうかな」彼の爽やかな笑顔の前には反論する気すら起こらないのが不思議だ。 僕も彼と同様にして口元を緩めて一緒になって笑った。
「にしても、よくもあの思い付き思い付きの発想を全部ひっくるめた出し物がここまで形になったものだよ」と、山野君は変わらず笑みを浮かべつつ、廊下から教室の中を眺めながらしみじみとそう語った。
「うん、準備は結構大変だったけど、ここまでしっかり形になったら頑張った甲斐があったって思うよ」
「そうだなぁ、みんなには結構無理させちゃったかも知れないけど、それでもみんな文句も言わないで手伝ってくれたからほんと感謝しかないよ。 綾瀬君にも無理言って執事役押し付けちゃったし、俺はこういう役は向いてないのかもな」
少し俯いて顔の影を濃くしながら、山野君がえらく弱気になっている。
「ううん、ほんとに嫌なら断ってただろうし、今では山野君が僕を執事役に選んでくれて良かったとさえ思ってる。 それにここまで引っ張ってくれる人がいたからこその完成度だと思うし、僕は山野君がリーダーで良かったよ」
その言葉は建前でもなんでもなく、まさしく僕の本音だった。 玲さんのクラスでは実行委員が機能しておらず出し物の種類さえ決め兼ねていたらしいから、実行委員が決まったその日に出し物まで決める事の出来た山野君の先の言葉は謙遜にも程がある。 それに彼の功績はそれだけじゃあない。 クラスメイト全員の性質を理解した上でそれぞれの生徒に適材適所な仕事を任せたり、作業が遅れている箇所があれば率先して手伝いに行ったり、放課後の文化祭会議や準備も毎回最後まで残っていたと聞いた。
そうした山野君の熱意があったからこそ僕たちも彼に応えたいという気持ちが働いたのだろう。 よし僕が実行委員役を任されたとしても、彼のように立ち回れる気がこれっぽっちもしない。 だから僕たち一年一組の出し物がここまで完成度を高められたのは、まったく山野君のお陰に違いないのだ。
「はは、嬉しい事言ってくれるね。 あ、そうだ。 今日の文化祭の片づけの後に打ち上げやるつもりなんだけど、綾瀬君来れそうか? 高校の近くのファミレスでやる予定なんだけど」と、山野君が思い出したかのように僕にそう伝えてきた。
「文化祭の終わるのが十四時で、片づけ終了の予定が十六時前だったっけ?」
「そうそう。 片づけも今日全部やるんじゃなくて、教室が機能するだけ片付けられてたら残った分は来週に用意してある片付けの時間の時で構わないって生徒会が言ってたから、そんなに時間も掛からないと思う。 俺の予想だと多分、十六時前ぐらいから打ち上げ開始かな?」
十六時前開始なら一時間丸々参加していたとしても帰宅時間には影響は無いだろう。 しかしさすが文化祭実行委員なだけあって、山野君は文化祭の流れもよく知っている。 僕は今日のうちに文化祭で使用した全てのものを片付けないといけないと思っていたから、その話を聞いて少しほっとした。
「それぐらいの時間からなら大丈夫そうかな。 あんまり遅くまでは居られないかもしれないけどね」
「いやいや顔出してくれるだけでも嬉しいよ。 詳しい場所と時間はまた後で伝えるからよろしく頼むよ」
「うん、楽しみにしてるよ」
「んじゃ出し物頑張ろうな! あ、そうだそうだもう一つ言い忘れてた」
用を済ませて教室へと戻ろうとしていた山野君が、また何かを思い出したような口ぶりを呈しつつ踵を返してこちらへ戻ってきた。
「綾瀬君の考えた出し物の名前、けっこうみんなに評判だったみたいだよ」
「え、そうなの?」僕は目を丸くして驚いた。
教室の黒板に、そして教室前に設置してある看板に書かれている僕たちの模擬店の名前。 実はこの名前は、僕のひょんな発言から決定されたものだった。
――二週間ほど前の放課後の準備の時にまだ模擬店の名前が決まっておらず、明後日に模擬店の名前を含めた出し物の詳細を生徒会に提出しなければならなかったらしく、準備の合間にクラスメイトがそれらしい名前を出し合っていたけれど中々思うような名前が出てこず、完全に決めあぐねている時に僕がたまたま思いついた名前を口にしたら――何故かその名前が採用されてしまったのだ。
「うん、名前はシンプルだけど、うちのクラスの出し物の雰囲気がその名前に詰まってるって言ってた人もいたな」
「そうなんだ。 僕も完全に思いつきで発言しちゃったから、ほんとにこの名前で良かったのかなって思ってたけど、そう言ってくれてる人がいるならちょっと嬉しいな」
「ちなみに俺も結構気に入ってるよ、この名前。 ――お、いよいよお客さん来たみたいだな」
廊下の窓から校門の方を眺めていた山野君が、来場者を確認したらしい。
「それじゃ後は頼むよ、最悪人手が足りなかったら接客のヘルプ頼むかも知れないけど」
「うん、その時は遠慮なく言って」
「おっけー」そう言い残して、山野君は教室の中へと戻っていった。
僕も廊下の窓から外を眺めてみた。 駅の方から続々と来場者らしい人々が集ってきている。 校門前で受付を済ませた人はもう、校舎内に入っている事だろう。 僕らのクラスに客が来るのも時間の問題だ。 僕は窓から離れて配置に付いた。 そうして数分後、子連れの母親が教室の前にやってきて、
「あの、ここってもうやってるんですよね」と僕に訊ねてきた。
「はい、営業中ですよー」
「ママー、ここおもしろそうだよ! 男の人が女の人の格好出来るんだって!」
「へぇ、面白そうだね。 それじゃちょっとお邪魔しちゃおっか」
「うん! ぼく女の子の格好してみたい!」
「ふふ、そう? それじゃあ素敵な執事のお嬢さん、案内してもらえる?」
「かしこまりました、こちらへどうぞ。 二名様ご案内でーす!」
かくして僕たち一年一組の模擬店『チェンジカフェ』に記念すべき一組目のお客様がやってきた――




