第三十九話 変身 4
「――くん、綾瀬くん?」
「……! あ、ごめん。 メイクの出来が良すぎてびっくりしてた」
坂本さんの僕を呼ぶ声すら聞こえてこないほどに、僕はまったく私に見惚れてしまっていた。
「そう言ってもらえたなら私直々にメイクした甲斐もあったかな? まだ八時前だし、綾瀬くんの気になるところがあったら今の内に直すけど、どこか気になるところとかある?」
坂本さんにそう聞かれた後、僕は改めて鏡で僕の顔を眺めた。 角度を変えたり、ちょっと表情を変えたりして一通り眺めてみたけれど、まったく問題は無さそうだったから、
「ううん、素人目の僕が見てもよく出来てると思うから、直す必要は無いんじゃないかな」と彼女のメイクの腕を称賛しつつそう答えた。
「うん、わかった。 あーでも、お客さんのメイクする前に綾瀬くんでリハーサル出来て良かったよ。 さすがの私も見ず知らずの人相手だと緊張するからねー」
「少しでも坂本さんのお役に立てたなら光栄だよ」
「お、もう役作りに入ってるの? 綾瀬くん。 その調子なら男子はもちろん、女子だってイチコロだね!」
僕は本心でそう言ったつもりだったのだけれど、坂本さんにはそういう風に聞こえてしまったらしい。 彼女は片手でサムズアップの形を作りつつ、白い歯を見せながらにこやかにそう言ってきた。
「お、綾瀬君のメイク完成したのか! いやー坂本のメイク技術と綾瀬君の顔が揃ったら恐ろしいな」と言いながら、メイドグループの方から山野君がこちらへ歩いてきた。 その後に続くように竜之介を含んだ他の男子もこちらへ向かってきた。 山野君以外の男子の顔を見てみるとすっかりメイクが施されていて、それぞれ異なるウィッグも装着しているから、一見では本人の顔が思い浮かばない程に良く仕上がっている。
こんな事を本人の前で言うと怒られてしまうから決して口には出さないけれども、あの竜之介でさえウィッグとメイクのお陰で女性に見えてくるのだから、メイクの力はもちろんだけれど、髪型も女性を認識する為の要因として大事なのだなと思い知らされた。(その二点で女性寄りに彩色されていてもなお、彼の筋骨隆々な体躯は隠せなかったようだけれど)
ただ、一つだけ気になったのは、竜之介の口紅がやけに濃かった事だ。 他の男子の口元を見てみると僕と同程度の控え目な口紅の濃さだったから、恐らく竜之介本人が望んでそういう風にしたのだろう。 ウケを狙いに行ったのか、はたまた、竜之介にとってあれが彼の中の女性像であったのか――いずれにせよ、竜之介が本気でメイド役をこなそうとしている姿勢は大いに感じ取れた。 僕も彼に負けず、執事役を全うしなければならない。
それから僕を含んだ執事グループとメイドグループは互いの変貌具合を語り合った。 そうしている内にちらほらとクラスメイトが登校し始め、彼ら彼女らが教室に入る度に僕たちは驚嘆の声を受けた。 その声の中には、三郎太や古谷さんの声も混じっていた。
今僕は私になっているにもかかわらず、誰一人疑う事なく僕の事を男だと認識している。 当然その認識は、僕が完全なる男だという既知の情報があってこその認識なのだけれど、それでも僕は私を公に曝していてもなお僕の事を僕として見てくれているというこの状況が、たまらなく嬉しく思えた。
まるで私の存在がみんなに認められたかのような錯覚さえあった。 そしてその錯覚が現実になって欲しいという願望さえ抱いてしまった。 けれど今僕は私の力を借りているだけで、完全に私にすべてを委ねた訳ではない。
私という暴れ馬の手綱を握っているのは、僕だ。 どんな悪路を走らされようとも、振り落とされそうになろうとも、皮が破けて手に血が滲もうとも、僕はこの手綱を離すわけにはいかない。 僕は私を見事乗りこなし、そうして、男の容の完成という終着点へと辿り着くのだ。
ほどほどにクラスメイトの人数も集まった頃、時刻にして八時半前、開店三十分前という事で模擬店の設営が開始された。 クラスの皆で提供し合った男性らしい、女性らしい服装の数々はそれぞれハンガーラックに掛けられて衣服屋のような雰囲気を醸し出していて、お客様の着替える場所として段ボールで作製した更衣室はちゃんとドアも付いている(さすがに鍵は付けられなかったので、着替え中は更衣室の扉の前に必ず一人の生徒が付くようにしている)。
壁に貼り付けられた風船や紙の花やポップの数々。 今日の為に黒板に描かれたメイドと執事のアニメチックな絵は、消すのが勿体ないほどにうまく描かれている。 勿論、お客様をもてなす為の飲み物やお茶請けにも抜かりはない。 どの年齢層の期待にも添えられるだけの種類のものをクラスのみんなで用意したつもりだ。
そうして、教室内の設営が終わったのが八時五十分。 当初予想していた時間より開店ぎりぎりになってしまったけれど、何とか開店前に設営を完了する事が出来て良かったと、みんな胸を撫でおろしていた。
最後の仕上げとして、これまた段ボールで作製した自作の看板を山野君が教室前に設置し、全ての設営が終了した。 山野君は看板を設置したあと教室へと戻り、教壇に立ってみんなを鼓舞する言葉を投げかけた。 元々高まっていたクラス全体の士気が、山野君の鼓舞で更に上昇したように思われた。
それから模擬店開始五分前、僕たちは各自の持ち場についた。 僕は客引き要員として教室前に待機している。 すると、山野君が僕の方へやってきた。




