第三十九話 変身 3
「よし、完成っ!」と僕の唇に口紅を塗り終えた坂本さんが宣言した。 時間にして約三十分弱、ようやく僕のメイクが終了したようだった。
途中、特殊な器具でまつげをカールさせるという作業をやられていた時は若干の恐怖を感じてしまったけれど、特に問題も無くメイクが終わってくれて胸を撫でおろした。 ただ、僕はメイク施工前から鏡を一切見させてもらっていないから、今自分自身の顔がメイクによってどういった変貌を遂げているのかは未だお目に掛かれていない。 そろそろ自分の顔の具合が知りたくなってきて、そわそわする。
「あとは髪型だけど、平っちと真澄はどんなのがいいと思う?」と坂本さんが僕の髪型について二人に問い掛けた。
「そうだなぁ、そのままでも悪くはないと思うけど、これだけ化粧で女性寄りになってるんだから、髪型も女の子っぽいのにした方が良さそうだよね」
顎に軽く手を添えつつ、僕の顔を真正面から見据えながら平塚さんが答えた。
「でもそこまで髪が長いって訳でもないから出来る髪型は限られてるよね。 そうだなぁ――なら、アップスタイルなんてどうかな。 ちょっと纏めづらいとは思うけど、首筋見せてるだけでも大分女子っぽくなると思うんだ」
土井さんがしばし思考を巡らせた後、一つの髪型を提案した。 僕にはそれがどのような髪型なのかは分からなかったけれど、首筋を見せる、アップスタイルという言葉から、後ろ髪を上にあげるような髪型なのだろうというある程度の推測は出来た。
「お、それ良さそうだね。 んじゃその方向性で」どうやら坂本さんもその案に乗り気のようだった。 そうして坂本さんは化粧道具の入っているポーチの中をごそごそと探って、髪を束ねるのに必要なのであろう道具類を次々と机の上に広げていった。
それから僕は坂本さんを始めとした、平塚さん、土井さんの三人に囲まれてああだこうだと言われながら髪の毛を弄られていた。 彼女たちは僕の背後に立って僕の後ろ髪を触っていたので先のメイク以上に何をされているのかさっぱり分からずにちょっと不安になってしまったけれど、あまり不必要に頭を動かしてしまうと彼女たちの作業の妨げになってしまうから、僕は美容院で髪の毛を切ってもらっている時の如く目線を真っすぐに据え、頭をぴくりとも動かさなかった。
「こんな感じ?」
「もうちょい団子の位置上げた方がいいんじゃないかな」
「うなじの毛、もうちょっと垂らしてた方が可愛いかも」
「ほい了解っ――これを――こうして――よし、これでどう?」
「お、いいんじゃない?」
「おー、一気に女子っぽくなったね!」
彼女たちの口ぶりで、僕の髪型は完成を迎えつつあるように思われた。
「後はちょっとだけ縛りを緩めてふんわりさせて――こんなもんでしょ」坂本さんが僕の髪に手直しを加えた後、髪型の完成を宣言した。
「おー、すごいすごいっ。 こんなの一般の人が見たら絶対女の子と勘違いしちゃうでしょ」と平塚さんが軽く拍手しながら今の僕の容姿をそう評した。
「こうして見ると綾瀬くんってほんとに女性寄りの顔立ちしてるんだね」
土井さんも平塚さんと同等の感想を述べ立てた。
「それじゃ綾瀬くんお待ちかねの、綾瀬優紀女装バージョンのお披露目と行きますか。 はい鏡」
坂本さんはそう言った後、僕に手鏡を渡してきた。 いよいよ長らく気になっていた僕のメイク姿を拝む瞬間がやってきた。 しかし、待ちに待ったはずの時間なのに、今になって僕は少し怯えている。 そうなってしまうのも無理はない。 この鏡の映す先に、いつぞやの時の私の簡易的な変身とは比べ物にならないほどに彩色された私の姿があるのだから。 けれど僕はこの姿を武器にして、これから半日間私を制御しなければならない。
――そう、私の姿は武器だ。 僕を真の男へと昇華させる為の戦場で無くてはならない武器なのだ。 戦う前から武器も持たずに怯えていては男じゃあない。 今更それを手にする事を恐れてどうするんだ、僕。
――僕は心の中で決意を固めた後、おもむろに手鏡を自分の顔の前に移動させ、そうして、数年振りの私と対面した。
「……これが、僕?」
そう呟いた後、僕はまったく言葉を失ってしまった。 少し紅潮したように見える頬は僕の温度ではなく、普段より大きく見える目元はやけに艶めかしく見えて、主張し過ぎない程度に塗られた口紅は如実に女性らしさを際立たせている。
――そこに映っていた僕はまさしく私だった。
僕が物心ついた頃から心の中に描いていた私そのものだった。




