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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第三部 変わる人々、変わらぬ心
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第三十九話 変身 2

 それから僕の顔に坂本さんの指が接触する回数が減ってきた頃、顔に何やら柔らかいモノが当たっている感触を覚えた。 それ(・・)が肌に触れる度にちょっとくすぐったい。 この感触が指ではない事にはすぐ気が付いたけれど、顔全体にリズム良く当てられているこれ(・・)は一体何の道具で何の作業をしているのだろうと少し気になってしまったので、


「坂本さん、今ってこれ、何してるの?」僕は目をつむったまま坂本さんにたずねた。


「あぁ、これ? さっき塗った下地をスポンジで肌に馴染ませてるんだよー。 これしないと下地の肌への密着感が弱くなっちゃうんだ」


 なるほど先ほどから顔に当てられていたのはスポンジだったのかと、ようやく謎の物質の正体を知る事が出来た。 それにしても化粧にスポンジなどを使用するとは思ってもいなかったからただただ驚いた。 本格的にメイクが始まる前にポーチの中の化粧道具を一通り眺めてみたけれど、どれもこれも何をどのタイミングで使用する道具なのかさっぱり分からなかったので、そうしたものを使いこなしている女性を改めて凄いなと感心した。 僕の思っている以上に化粧の奥は深そうに思われる。


 程なくして「よし」という坂本さんの声が聞こえてきて、今の作業が終わったのだろうと推測した僕は一旦目を開いた。 坂本さんはポーチの中から別のチューブ型の容器を取り出している最中で、その容器の中身をまた指先に小豆あずき粒ほど取り出して、先の要領で僕の顔の各ポイントに置いた後、馴染ませるように顔に伸ばし始めたので、僕は再び目を閉じた。 それからその作業が終わった後、例によってスポンジで軽く顔を叩き込むようにして先ほど塗った化粧用品を馴染ませている。


 今日こんにちまで僕の想像上の化粧というものは、ベースとなる一つの化粧用品を顔全体に塗った後、眉毛を書いたり口紅を塗るぐらいで終わるものかと思っていた。 しかしこれまでの坂本さんの化粧の手順にかんがみても、僕の想像していた倍以上の手順があるように思われる。 なるほど化粧担当の彼女たちが僕たちに一時間早く登校してくれとせがんできたのにも納得が行く。


「そう言えば綾瀬くん、前から聞きたい事があったんだけど」と、僕の顔をスポンジで叩きながら坂本さんが突として言ってくる。


「何かな、坂本さん」僕は目を閉じたまま応えた。

「綾瀬くんってさ、古谷さんと付き合ってるの?」

「……えっ」


 坂本さんの思わぬ発言に、僕は今がメイク中だという事も忘れて目を見開き、真正面にいた彼女と目を合わせた。 僕と目が合うなり、坂本さんは口元を緩めながら少しだけ首をかしげて僕の反応をうかがっている。


「どうして、そう思ったの?」

 僕は僕の動揺を取りつくろう余裕も無く、どぎまぎしながら坂本さんにたずねた。


「どうして、って、そりゃあ普段からあれだけ仲良さげに喋ってるとこ見てたらそう思うのが普通でしょ。 真澄もそう思ってたって言ってたよね?」


「うん。 絶対そうだって思ってたんだけど、もしかして違うの?」

「……違うんだ。 僕と古谷さんは付き合ってなんてないよ」


「えーっ!?」と坂本さんと土井さんが二人して同じような驚嘆の声を上げた。 その声につられて、メイドグループの方もこちらに視線を向けてきた。


「そうなんだよ二人とも。 私も千佳と友達になる前はこの二人ぜったい付き合ってるでしょって思ってたんだけど、ほんとに付き合ってないんだよ綾瀬くんと千佳」


 二人の驚きようを見かねた平塚さんがメイクの手を止めて、僕と古谷さんの仲を証明してくれている。


「マジかー。 むしろよくあそこまで親密にしてて仲が進展しないもんなんだね。 逆にすごいかも」と坂本さんはうんうんとうなずきながら僕と古谷さんの関係性を咀嚼そしゃくしている。 その間もメイクの手を止める事は無く、よく他の事を喋りながら目の前の作業に集中出来るなと、僕の方も彼女のマルチタスク振りに感心した。


「でも古谷さんってぜったい綾瀬くんの事好きだよね」坂本さんは変わらず手を動かしながら、土井さんに向けて先の話題を振っている。


「あの感じだと隠す気も無いよね。 いま綾瀬くんの方から告白したら即オッケーなんじゃない? 髪切ってから前より断然可愛くなったし、私は悪くないと思うけどなぁ」


 坂本さんの発言を受けた土井さんも彼女の意見に賛同している。 僕はどう反応していいものやらすっかり返答に困ってしまった。 すると、


「まぁまぁ二人とも。 そういうのはタイミングも大事だし、その辺は綾瀬くん達にしか分からない事だろうから変に急かすのは可哀相だよ。 とやかく言わずに見守っててあげようよ」と、平塚さんが真面目な口調で土井さんと坂本さんを軽くたしなめた。 僕は自分が恥ずかしくなった。 僕はてっきり平塚さんも二人の発言に大いに乗っかって僕をからかってくるだろうと思っていただけに、僕の勝手な想像で少しでも平塚さんを浅ましく思ってしまった事に対し罪悪感めいたものを抱いてしまった。


「まぁ確かに、綾瀬くんの性格からしてガツガツするのは向いてなさそうだし、いっそのこと向こうから告白してくるのを待つのも一つの手かもね」


 坂本さんが僕の顔をスポンジでポンポン叩きながら、平塚さんの意見を聞き入れたであろう様子でそう言った。 僕は半年前すでに古谷さんから告白されているのだけれど、さすがにその話を今ここで持ち出すと余計に話がこじれそうだったから、間違えても言わないでおこうと心に留めた。


 そうして先の話題はようやく流れて、僕は執事グループの女子たちと閑談かんだんを繰り広げつつ、坂本さんに僕の顔の具合をゆだねていた。 例によって坂本さんは口を動かしながら手も動かしていたけれど、ながら作業で手の進みがおろそかになるという事もなく、僕のメイクの方は着実に完成に向かいつつあるようだった。


 それから先にメイクを終えた平塚さんと土井さんが僕の目の前にやってきて、「おー!」だの「よく似合ってるー」などという感嘆を漏らしながら僕の顔を覗き込むようにして眺めていた。 こうして複数の女子たちに囲まれて自分の顔をまじまじと見られるなどという経験は無かったから、髪型を変えていたりメイクをほどこして普段とは違う顔色を覗かせている二人の女性らしい有様をまさしく目の当たりにしている事も相まって、僕はまったく狼狽ろうばいしてしまった。

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