第三十八話 それは使命か願望か 3
「それにしても、サブじゃないけどいよいよ明日本番か。 文化祭の出し物が決まってからの一か月、あっという間やったような気がするわ」
辺りが少し薄暗くなり始めた頃、僕達は駅に到着していた。 駅のホームで電車を待っている中、横に居た竜之介がしみじみとそう呟いた。
「何かに熱中してる時の時間ってほんと過ぎるのが早いよね。 古谷さんはこの一か月の時間、どんな感じだった?」
「えっ? あ、私は――私も、そうでしたね」
何か他の事を考えていたのか、古谷さんの対応がちょっと遅れていた。 それから彼女は続けて口を開いた。
「特にここ一週間は色んな準備に追われて、気が付いたら十九時前とかだったので、大変なのは大変でしたけど、その分、充実もしてたと思います。 普段はあまり喋らない人たちとも結構喋れましたし」
「そう言えばそうやったなぁ。 千佳ちゃんが俺ら以外の男子とか女子と普通に喋っとるところを見て、千佳ちゃんも昔よりえらい成長したなぁって感動したわ」
「ちょっと神くんっ、そんな親戚のおじさんみたいな事しみじみと言わないでよっ!」
「ははは、あかんあかん、千佳ちゃんに怒られてもたわ。 でも、俺にもそんだけ言い返せるようになったんはほんま成長したと思うで。 そこは素直に自分を褒めたってもええんとちゃうか? なぁ優紀」
「うん、たまに僕にも言い返してくる時もあるからね」
「もうっ、ユキくんまで……」
僕たち二人にからかい混じりに褒められて照れ臭かったのか、古谷さんは首に巻いていたキャメル色のマフラーを鼻先まで被った。 その一連の動作が妙にしおらしく僕の目に映じ、僕は口元のにやつきを抑えるのに苦労した。
それから僕と竜之介の乗る西方面行の電車が到着し、僕たちは古谷さんを残して先に電車へ乗り込んだ。 生憎座席は満席だったから、しばらくは座れそうにない。 間もなく電車は出発し、古谷さんは姿が見えなくなるまで僕たちに手を振ってくれていた。
「千佳ちゃん、ほんま変わったよな」
僕の隣でつり革を握っていた竜之介が正面を向いたままぽつりと呟いた。
「うん。 でも、変わったと言うよりは、多分あれが本来の古谷さんの性格なんだと思うよ」
「まぁ、そうかも知れんな。 やけど、その本来の性格を引き出したんは間違いなく優紀やと思うで」
「そう、かな。 僕だけじゃなくて、みんなと一緒に過ごしてた影響の方が大きいと思うけど」
「アホ、そこは素直に認めとけや。 ――もうそろそろ、優紀の方から千佳ちゃんへの想い、伝えたってもええんとちゃうか?」
三郎太と違って、僕が竜之介に『アホ』と言われる事は極めて稀だから、彼から受けた言葉も含めて僕は妙に緊張してしまい、生唾をごくりと飲み込んだ。
しかし、竜之介の言う事もご尤もなのかも知れない。 正直なところ、僕は五月のあの時に古谷さんに好きだと伝えられてからこの半年間、彼女に対する僕の明らかな好意を彼女に明示した事は無かった。 それが出来なかったのには、僕が未だ男の容を自分のものに出来ていないからだという理由も勿論ある。
けれども古谷さんからしてみれば、この半年間の僕の態度は素っ気なさ極まりなかったろう。 しかし古谷さんは、好意らしい好意も向けてあげられなかったこの僕を今日の今日まで好きで居続けてくれた。 だからこそ僕は、これ以上彼女を待たせる訳にはいかない。
幸いな事に、僕の男の容は間もなく完成を迎えようとしている。 明日の執事役を、僕の中に眠り続けている女の容を利用しつつ『男』のままやり遂げた先に、きっと僕の男の容はある。 それさえ手に入れれば、僕は歴とした一人の男として自信を持って、いよいよ永らく温めていた古谷さんへの想いを打ち明けられる。
「……うん。 文化祭が終わってから、僕のこれまでの気持ちを固めた後に、僕の方から告白してみるよ」
そうして、とうとう僕は竜之介の前でそう宣言してしまった。 いや、これぐらい嘯いてでも自分を追い込まなければ、僕はまたずるずると古谷さんとの関係を引き延ばしてしまうだろう。 だから今ここで、竜之介が僕の事を煽ってくれたのは天啓だったのかも知れない。
「そうか。 そこまで言えるようになった優紀も、えらい変わったな」
「そうだと、いいんだけどね」
この世の理は諸行無常、飛花落葉。 永久不変のものなど存在しない。 その理は果たして、生まれながらにして世の理から道を踏み外した僕にさえ適用されるのだろうか。
――いや、適用されるのを待つなんて怠けた事を今更出来るものか。 この世の理に適用されるんじゃない。 僕がこの世の理に適応しなければならないんだ。
男として――半年前には聞きたくも無かった言葉だけれど、今ならその言葉の本質を理解出来そうな気さえする。 きっとその本質を理解した先に、僕の望む男の容は有るはずだ。
だから僕は変わりたい。 いいえ、変わらなければならないんだ。




