第三十五話 思いはすれ違い 1
「お、来た来た。 ごめんねわざわざ」
例の非常階段最上階の踊り場へ辿り着いた僕は、クッションの上に横座りしていた玲さんに出迎えられた。 それから僕は玲さんの傍まで立ち寄り、非常階段の外周壁に背中を凭せ掛けるようその場にしゃがみ込んだ。
「いえ。 それにしても、ここもすっかり寒くなりましたね」
「そうなんだよー。 来週からまた寒くなるって言ってたし、今年は遅くても今週でこの場所ともお別れかなぁ」
そう言いながら玲さんは、少し寂しそうな横顔を覗かせながら空を仰いだ。 ここ数日は晴れ間という晴れ間も無く、数週間前まであれほど活発に地上を照らしていたお天道様は、今日も朝から雲の厚みの向こう側。 現在も空一面が白雲に覆われていて、まだ日中だと言うのにまるで昼の気配を感じられない。 気温の低さもさることながら、どこかうすら寒さを感じさせる空気が空に漂っているような気がする。
「ところで、僕に相談っていうのは」
食堂を出た時点で時刻はすでに十三時を回っており、あまり悠長にもしていられなかったから、僕は世間話もほどほどに玲さんに呼び出された理由を訊ねた。
「ああ、そうそう。 キミらのクラスの文化祭の出し物って、もう決まったの?」
「はい、先週の文化祭会議の時点でもう主題は決まってましたけど、それがどうかしたんですか」
「うん、実は私たちのクラスの文化祭の出し物、まだ何も決まってなくてね。 それでキミらのクラスの出し物がもし決まってたら参考までに何をするのか聞きたかったんだ」
玲さんは些か悄然の気味で僕を呼び出した理由を明かした。 それから彼女は簡潔に自身のクラス事情を僕に説明した――
何でも玲さんのクラスは文化祭の出し物を決めるに当たって、高校最後の文化祭だから、これまで誰もやった事の無いような思い出に残る出し物をやりたい『意欲派』と、就職の二次募集を控えている就職組と来年に受験を控えた受験組が結託し、日々の貴重な時間を文化祭に充てる事に対し難色を示している『消極派』と、何でもいいから早く決めてくれ、言われた通りにやるから、という『静観派』の三つの派閥に分断しているらしい。
その中でも静観派を除いた二つの派閥は激しくぶつかり合っている様子で、この二週の間に出し物の決定どころか、まともな議論さえも行われなかった始末だという。 なるほど玲さんの調子がいやに沈んでいたのはそうした理由だったのかと、僕は玲さんの心情を推し量りつつ、ひどく彼女の境遇に同情した。
「――まぁそういう感じでね。 どっちの言い分も分かるには分かるんだけど、どっちもがお互いの主張を譲らないから先生もどっちの味方をしたらいいのか困ってるくらいなんだよ」
「玲さんのクラスではそんな事が起こってるんですか。 確かにこれから受験とか就職を目指している人にとっては、高校最後の文化祭っていう特別感より、将来の自分の確保の方が大事なんでしょうけど」
「そうなんだよ。 そのうえ意欲派のほとんどが九月中に就職が決まったメンバーで構成されてるから、余計に消極派から疎まれてるんだよ。 『お前らはもう就職決まってるから日にち取られようと関係ないもんな』ってね」
「という事は、先輩も意欲派なんですか」
「ううん、私は静観派」
僕を呼び出して僕のクラスの出し物を参考にしたいと言っていたほどだったから、てっきり玲さんも意欲派だろうと思っていたけれど、どうやら当てが外れたようだ。
「それで、双葉も私と同じ静観派で、あの子も就職は決まってるんだけど、どちらかと言うと双葉は意欲派寄りの方だから、消極派の自分の都合しか通そうとしない姿勢が気に入らないらしくて、そろそろ爆発しちゃいそうなんだよ。 それでいて実行委員もあんまり動く気も無いみたいだし、だからせめて私がどっちの派閥も納得しそうな出し物のアイデアを探すしかないかなと思って、とりあえずキミのクラスの話を聞く事にしたんだ」
僕は無言で首肯を果たした。 なるほどこれまで玲さんや三郎太から聞き及んだ双葉さんの性質に鑑みるに、彼女は結構頑固で気に入らない事柄があれば真っすぐにぶつかってゆく人らしいから、ただでさえ二つの派閥が激しく火花を散らしているところに可燃物が介入してしまったら、玲さんの言うところの爆発が生じ、それこそ出し物どころの騒ぎではなくなってしまうだろう。
それに玲さん同様、双葉さんも就職が決まっていると言っていたから、下手に問題を起こした結果、就職の内定取り消しなどの弊害も起こり得ないとは言い切れない。 そしてその懸念の芽を予め摘んでおこうと動いているのが今の玲さんだという事だ。 双葉さんの為にそこまで動けるという事は、やはり玲さんにとって双葉さんは大事な友達なのだろう。 ならば僕も、二人の友情の為に出来る限りの助力を果たしてあげなければならない。
「なるほど、分かりました。 僕のクラスの出し物の情報がどれほど役に立つかどうかはわかりませんけど、それでよければ教えますよ」
僕がそう言った後、玲さんは微笑を浮かべながら「ありがと」と一言だけ口にした。 そうして僕は、僕のクラスの出し物の内容を玲さんに語り始めた――




