第三十四話 抜擢 5
「綾瀬君、ちょっといいかな」
週明けの月曜日、二回目の文化祭出し物会議が終了して間もなくの休み時間、会議が終わるなり壇上から僕の席に真っすぐ近付き、僕に声を掛けてきたのは山野君だった。 ちょうど僕の前の席の生徒が会議終了直後に席を外していた事もあって、彼はその座席に淀みなく座った。
「どうしたの山野君」
「……ちょっと綾瀬君に折り入ってお願いがあるんだけど」
お願い、という言葉を聞いて、僕は少し身構えた。 その言葉と山野君の控え目な態度から、ことによると僕にもメイド役のお誘いが来たのかと推察してしまったからだ。
「うん、何かな」
ただ、真実を知らない内に否定的な態度を呈するのも彼に悪いから、僕はあくまで平静を保ちつつ彼に対応した。
「まぁ、単刀直入に言うと、綾瀬君に接客をお願いしたいんだ」
果たして、山野君のお願いはそれだった。 僕は彼から目線を逸らした。
「多分、僕は接客とかうまく出来ないと思うよ」
「いやいや! 接客って言っても、衣装着てくれるだけで十分なんだけどね。 ダメかな」
「着るだけ……んー、でも僕は竜之介みたいにその格好を面白おかしく笑いに変えたりは出来そうにないから、やっぱり僕がメイド服を着ても――」
「あっ、違う違う! ごめんすっかり言い忘れてたけど、綾瀬君に着て欲しいのは執事服の方なんだ」
「え、そっち?」
思わず僕は目を見開いて、自身の早とちりを反省しつつ、山野君の言葉にただただ驚かされた。
――確かに執事服は担任の先生の調査により、この学校に三着残っていた事が判明した。(メイド服も三着あって、他のクラスも使わないらしいので、その二つの衣装が使用出来る事は先の文化祭会議で先生が教えてくれた)
けれどメイド服ならまだしも、執事服の着衣担当は女子でなければいけない筈だ。 だから何故僕が女子の担当して然るべき執事役を依頼されているのか、これがまるで分からなかったから、
「でも、執事服って女子が担当だよね。 だったらなおさら僕より女子にお願いしなきゃいけないんじゃないの?」と、僕は難色を示した。
「いやー、そうしたいのも山々だったんだけどなぁ」と言いながら山野君は手で後頭部辺りを掻いている。 どうやらそれなりに込み入った事情があるらしい。
「何か、問題でもあったの?」
僕がそう訊ねると、山野君は僕に執事役を依頼してきた理由を明かした――
何でも、十数年前に被服科の生徒が作ったと言われている執事服が今も廃棄されずにこの学校に残されてはいたものの、その執事服を作った女生徒の一人が女性にしてはめっぽう長身で、当時その女生徒の担任を受け持っていたという元被服科の先生が言うに、その女生徒の身長は百八一センチあったらしい。 百八一センチと言えば、僕より一センチも高い事になる。 それも女性で、だ。
そうした長身の女生徒が自らの身体に合わせて作成した服だから、勿論その服を違和感無く着こなせるのは当時でもその女生徒のみで、今現在の三学年の女子の中でも身長が一八〇を超えている人はいないらしく、僕のクラスの一番背の高い女子でも一七〇に満たない程度だから、実質この学校にその服装を着こなせる女生徒は存在しないという訳であり、そこで白羽の矢を立てられたのが、僕だったという話だった。
「――綾瀬君は聞いたところによると身長が一八〇ほどあるみたいだし身体の方もすらっとしてるから、俺の見立てだとばっちり似合いそうなんだよ。 無いと思ってた執事服が三着も借りれたし、どうせなら借りた分は無駄にしたくないから、綾瀬君さえ良ければぜひ執事役を引き受けてもらいたいんだけど、どうだろ」
理由を明かした後もなお山野君は熱心に執事役を依頼してくる。 ここまで深い事情を知ってしまうと断るに断れなくなる空気が漂ってくるもので、僕はまったくその空気に流されてしまいそうになっていた
「もし、僕が執事役をするとしたら、もちろん化粧とかはするんだよね?」
しかし出来る事ならば接客は避けたいという気持ちは変わらないから、ある程度の譲歩は匂わせつつ、僕は変わらず難色を示し続けた。
「そうだなぁ、役柄としては執事役は女性が男性に扮した姿っていう設定だから、設定だけで言えば綾瀬君はそのままでも問題無いとは思うんだけど、平塚と土井はメイクする気満々だったから、そこで綾瀬君だけメイクしないってのも違和感あるし、あの二人も多分メイクを勧めてくるはずだから、しない訳には行かなそうだなぁ」
「やっぱり、そうなるよね」
どうやら化粧からは逃れられそうにないらしい。
「まぁ、もし綾瀬君がこの件を引き受けてくれたとして、どうしてもメイクが無理って言うなら俺の方から二人には話つけとくつもりだけど、出来る事なら俺は綾瀬君にもメイクして欲しいな」
「どうして?」
山野君が面白い事を言うものだから、僕は反射的に聞き返した。
「あくまで俺の主観だけど、綾瀬君って結構女性よりの顔立ちしてると思うんだ。 だから、ある程度化粧したり髪型変えたりしたら可愛くなるなーって思っててね。 それに土井も俺と同じ事言ってたし、女子がそこまで言うんだから絶対お客さんにも受けると思うんだけど、やっぱり、難しそうかな」
「……」
僕はただただ押し黙り、山野君からの依頼に対する是非を頭の中で考え続けた。




