第三十四話 抜擢 1
体育大会の盛り上がりも懐かしく、神無月も早や中旬。 僕は今日も普段通りの電車に乗って、窓から季節の移り変わりをこの目に映じていた。 夏の頃にあれだけ碧碧としていた山の木々もすっかり色褪せ、紅葉交じりの趣深い色彩を以って、ただただ静謐に人々へ秋の訪いを仄めかしている。
先月までは厳しい残暑に見舞われ、秋の季節は何処やらといった気味で世間を翻弄していた気候も十月に差し掛かってからはめっきり腰を下ろしたようで、ことに近頃は朝晩の冷え込みも激しく、日に日に冬という季節に接近してゆくのが肌で感じられる。 ただ、日中はまだ暖気を匂わせており、朝が冷えるからといって厚着をして出かけてしまうと、下校する頃には余計な荷物が一、二枚ほど増えてしまうから、あと半月ぐらいは多少の寒さを被ろうとも薄着で出かけた方が賢いだろう。
薄着といえば、最近の出来事として、ちょうど先週末に僕の通う高校の衣替え期間が終了した。 ついこの間までは夏服の学生シャツでの登校が当たり前になっていたので、数か月ぶりに着る学生服はちょっと重々しさを感じてしまったけれど、上半身をしっかりと包む黒の学生服を着ていると不思議と男というものを芯から感じられるから、僕は衣替え期間初日から学生服を着て登校した。
さすがに初日から冬服へ移行する生徒は少なかったようで、僕のクラスでも僕を含めて三人ほどしか衣替えを行っていなかったからちょっと目立って恥ずかしかったけれど、その分僕はいち早く学生服による『男』を堪能出来たので、悪くない気分だった。
そしてもう一つ最近の出来事というべきか、強いて言えば報告、という事になるのだろうけれど、これまた先週末の夜、僕は玲さんから就職先が決定したという旨をSNSを通じて突然伝えられた。 しかも玲さんの就職が決まったのは先月中旬との事で、当然一年生の僕は三年生の就職事情などこれっぽっちも気に留めていなかったから、彼女の就職が決まってから一か月以上もその話題を放置していた事になる。
そんなに早く分かっていたのなら、先月の内に教えてくれたら良かったのにと若干寂しさを覚えてしまったけれど、玲さんは玲さんできっと忙しかっただろうから、僕に報告が遅れるのも仕方の無かった事だったのだろうと納得した。 納得はしたけれど、何の職業に就いたんですかとSNSのメッセージで僕が訊ねると、玲さんは[内緒]と簡単に答えたまま正解をはぐらかして、結局未だに僕は彼女が何の職業に就いたのかさっぱり分からないままでいるからちょっともどかしい。 しかし、こういう場合に無理に問い詰めると玲さんは意固地になって何が何でも正解を寄越してくれないから、もどかしさは残るものの、いずれかの機会で彼女の方から教えてくれるまではどうにもなりそうにない。
それから、僕の周囲の話題で言うと、体育大会の時に諍いを起こしていた古谷さんと平塚さんの二人は、借りもの競争で古谷さんが平塚さんを選んだ事がきっかけとなり、今ではあの軋轢が嘘のように仲睦まじく日々を過ごしている。
あの日、古谷さんが教室で平塚さんを怒鳴った時はどうなる事やらと一人肝を冷やしていたけれど、やはり仲違育大会などという仰々しいジンクスも本物の友情には敵わなかったようだ。 そればかりか、以前より彼女たちの仲が深まったような気さえする。 所詮ジンクスはジンクスでしかなかったという事だろう。
仲が深まるというと、体育大会後から、古谷さんと三郎太の仲も妙に深まったような気がしている。 二人は体育大会の練習期間から本番まで赤組陣営で、僕たち5人グループの中での唯一の友達同士だったこともあり、たった二週間ばかりの短い期間ではあったけれども、打倒白組を掲げて友と共に厳しい練習を重ね、同じ釜の飯を共有してきた者同士だからこそ培われる友情もあるだろうから、恐らくそうした感情が二人の間に作用したに違いない。 それに元々古谷さんと三郎太は馬が合うところがあったようだから、成るべくして二人の仲は更に育まれたと言っても差し支えないだろう。
そして今週からは、学校行事の中でも一、二を争う大規模イベントである文化祭の準備期間が始まる。 文化祭開催日は約一か月後だ。 どのクラスもまだ何も決まっていないだろうから、まず第一に決めなければならないのは出し物だ。 高校の文化祭は中学と比べて規模が数段違うと聞いているので、例の事情で中学の文化祭を思うように楽しめなかった僕からすると、今年の文化祭は楽しみで仕様がない。
こうして僕が何の後ろ暗さも無く学校行事を満喫出来るのも、ひとえに玲さんという存在や古谷さんを始めとする友人達のお陰だ。 感謝してもし尽せないほどの幸せを、僕は心の底より感じている。 僕の中の男の容も大分固まってきたような気もしている。 後は、僕が私を振り払えさえすれば、もう玲さんに迷惑を掛ける事も無くなるだろう。
――玲さんに迷惑を掛けなくなった時、すなわち僕が男の容を完成させた時、彼女は、僕にどう接するのだろう。
これまで通り、からかい気味に接してくれるのだろうか。 それとも――いや、きっと玲さんの事だから、僕が男だろうが女だろうが、接し方は変わらないに違いない。 何故なら、相手はあの玲さんなのだから。




