第十話 追憶 4
「オヨメさんはね、いつもかわいくないとダメなんだよ。 だってダンナさんはオヨメさんが世界で一番かわいいと思ってケッコンするんだから。 だから、優紀くんがオヨメさんになるんだったらもっとかわいくならないとダメ」
オヨメさんは斯くあるべしと語り終えた後、彼女は一体全体何を思ったのか卒然と僕の半ズボンに手をかけ、あろう事かそのまま下へ引っ張って脱がせ始めました。
「な、なにしてるの正美ちゃんっ?!」
当然僕は、半ズボンを脱がされまいと必死に抵抗しました。
「だってオヨメさんがそんな格好してたらかわいくないでしょ。 ほら、脱いで」
僕は彼女に言われるがまま、されるがままに、ついに半ズボンを脱がされてしまいました。
「恥ずかしいよ」
とても羞恥を感じました。 よもや同級生の女児に無理矢理ズボンを脱がされてしまうという仕打ちを受けるとは思ってもいませんでしたので、恥ずかしさのあまり泣いてしまいそうにもなりました。
幸い、僕の通っていた幼稚園の男児の制服の上着は女児のワンピースドレス丈に合わせた造りになっていまして、その丈長仕様のお陰で半ズボンが脱がされた今も下着が見えてしまうという事態は回避できていました。 つまりこの時の僕の格好は女児の制服同様、ワンピース調になっていたという訳です。 しかし、これが彼女の、女の子の言うところの「かわいい」なのでしょうか。 僕にはまだ理解出来ません。
「じゃあ次は髪型ね、ちょっとそこに座ってて」
僕は彼女の言葉に従い、上着が捲れて下着が見えてしまわないよう割座で座っていました。 すると彼女は自身の髪を縛っていたヘアゴムを外し、それで僕の両側頭部付近の髪の毛を耳の上辺りに束ねて縛り終えた後、次のような事を言いました。
「あ、優紀くんかわいいー」
どうやら僕は今、彼女の目から見て「かわいい」らしいのです。 自分ではその具合がよく分かりませんでしたので、教室内の壁に設置された大鏡の前に小走りで移動し、そして、思わず感嘆を漏らしてしまいました。
「……これが、僕?」
鏡に映っていたのは僕ではなく、私でした。
薄々自覚はしていましたが、どうも僕は女の子のような風貌をしているらしく、近隣の人や、それこそ家族にもその風貌を茶化された経験がありました。 そうは言っても、所詮まだ思春期にすら到達していない幼子の風貌などは未完成この上なく、何かしらの加減でそう見えてしまったのだろうと、僕はその言葉にとりわけ執着する事もなく聞き捨てていました。
しかし、今僕の目の前にいる、彼女の言うところの「かわいい」に彩色された私は、今し方彼女がぽつりと漏らした言葉通り、なるほど女の子に相違ありませんでした。 ありのままを伝えるなら、僕は私に見惚れていたのです。 それからしばらく僕は、大鏡の前で私を堪能していました。
両手を目一杯広げながらその場でくるりと一回転してみたり、どこかで見た事のあった、スカートの両裾を指でつまみ、下着が見えてしまわない程度にスカートを軽く持ち上げる動作(カーテシーという挨拶の一種のようです)をやってみたり、そうした女の子らしい動作をしている内に、不意に天佑を下されたような気がしました。 僕は、捜し求めていたピースの二つ目をようやく見つける事が出来たのです。
女の子とは、身形仕草が可憐であること。
軽い羞恥は受けてしまいましたが、その程度でピースを見つける事が出来るのならば、僕は丸裸にだってなってやります。 要するに、今回僕の受けた辱めなど、新たなピースを発見したという対価と比較すれば実に瑣末な問題でした。 そして、この嬉しさを誰かと共有したくてたまらなかった僕は大鏡の前を去り、再び彼女の元へ小走りで向かいました。
「ねぇ、わかったんだよ。 男の子と女の子の違い」
「ほんと? 教えて教えて」
「あのね、女の子ってのはね、格好とかしぐさがかわいいから女の子なんだよ」
「なーんだ、そんなの当たり前の事じゃない」
意外にも彼女は、僕と同じピースを既に持ち合わせていたようでしたが、ではなぜあの時、彼女に男と女の違いを訊ねた際にその答えを教えてはくれなかったのでしょうか。 彼女の対応にはどうにも納得が行きませんでしたので「知ってたなら教えてよ」と不満げに僕が言及すると、彼女は実にあっけらかんと次のように言い放ちました。
「だって、女の子がかわいく見られたいって思うのは当然の事でしょ? だから言う必要が無いと思ったの。 優紀くんは男だから分からないでしょうけど、女の子ならみんな、好きな男の子の気を惹きたくて、そう思ってるはずだよ」
どうやら今回見つけたピースを持ち合わせているのは僕だけではなく、女の子全員が「当たり前に」内包しているものらしかったのです。 これだけ苦労して探し出した二つ目のピースを、女の子は至極当然に持ち合わせているという事実は、少なからず僕の心に一種の悔しさにも似た念を覚えさせましたが、それと同時に、その当たり前は男である僕が持ち合わせている筈もない感覚だったと、きっぱり認めました。 当然でしょう。 だって僕は男であり、女ではないのですから。 男である僕が他の男性から可憐に見られる必要性などどこにもありませんでしたので、変に意固地になる必要性も無かったという訳です。
けれども、ひょんな事から僕は私に変身させられて、そして彼女に面向かって「かわいい」と言われた時、生まれて初めての感覚を胸の辺りに感じたのは、紛れもなく隠しようもない事実でした。 恐らくあの感覚こそが次のピースに違いないと、僕は信じて止みませんでした。
因みに家に戻ってから例によって、幼稚園の時とまるっきり同じ様の私に変身して父母に見せてやりましたが、思いのほか好評を受けたので、どうやら父母の求める「女の子」にまた一歩近づけたようでした。
とある日も、してその翌日も、僕はまた一心にピースを探し求めます。
その行為が自らを破滅に導く行為だとも知らずに、のうのうと。




