第三十二話 触発 12
[実は、体育大会の事でちょっと相談があって]
古谷さんはそう切り出した後、とある競技のアンカー役を任されるかもしれなくて悩んでいるという旨を私に伝えてきた。
彼女がアンカー役を期待されている競技は、三輪車リレー。 幼児用の三輪車に乗り込み、一番早くゴールに到着した走者が勝ちというシンプルな競技だ。
この競技は、私が高校一年の時の体育大会から行われていた、生徒の間では割と盛り上がる競技で、肉体的にはもう大人に近い高校生が、自分の身体の半分以下のサイズの幼児用の三輪車に身体を窮屈にさせながら乗り込み、足もまともに乗らない小さな小さなペダルを健気に漕ぎ続けてゴールを目指すという、簡単そうに見えてその実は中々に難度の高い競技である。
私が一年の頃の三輪車リレーはいわゆる体育大会の中の箸休め扱いの競技で、首位になろうとも獲得点数は極めて低かった。 だからクラスの中のムードメーカー的な生徒や比較的身体の大きい男子生徒が率先して出場し、当人の必死さとは裏腹にまったく前へ進む事の無いシュールな映像を全校生徒に届け、点数よりも笑いを取る事に重きを置いていた。 しかし次の年から生徒会の意向で、体育大会で行われる総ての競技の点数方式が一新される事となり、その中でも三輪車リレーは競技性の大幅な改善を求められたらしい。
これまでの三輪車リレーは、体育大会の順位を決める上においての重要性の低さの割に競技時間は長く、いくら生徒達が楽しんでいるからと言って、おふざけで競技時間を引き延ばして良い理由にはならず、他の競技の進行に影響を及ぼしているという事実は看過できないという点から、真っ先に改善の目を向けられたそうだ。
改善案は色々と出ていたようで、現在使用している幼児用の三輪車の使用を止め、大人でも乗りこなせる競技用の三輪車に差し替えるか、いっその事三輪車リレーをプログラムから外してしまうか、しかし競技自体の生徒人気は高いので、下手にプログラムから外せば生徒達から顰蹙を買いかねないし――と、生徒会及び先生達の侃侃諤々の議論の結果、最終的に三輪車リレーの獲得点数を引き上げる事で話は纏まったらしい。
かくして三輪車リレーの獲得点数が大幅に引き上げられた事により、この競技の重要性を改めて見直した生徒達は真面目に三輪車リレーに取り組むようになり、去年に比べてこの競技の扱われ方ががらっと変化した。 勿論、一番問題視されていた競技に掛かる時間も劇的に減少したのは言うまでもなく。
かつては点数より笑いを取る事が本命だったこの競技も、この年から笑いそっちのけで点数に重きが置かれた。 その中でも一番変化したのはやはり、三輪車リレーに参加する人の特徴だろう。
当初の三輪車レースの人選は、先に述べた通りクラスのムードメーカーや身体の大きい者だったけれど、体育大会の総合結果を左右しかねない点数を振り当てられたこの競技は最早お笑いの要素など誰も望んでいる筈もなく、真っ先に身体の小さい者が選手に抜擢された。
三輪車に乗る幼児の身体は極めて小さい。 故にこの競技は他の競技と比べて身体の小さい者が圧倒的に有利なのだ。 だからこそ最下級生といえども、比較的体の小さな古谷さんがアンカーに抜擢されたのも決して在り得ない話ではなく、三輪車リレーにそうした背景があったからこその正当な差配と言えるだろう。 だから私は、
[一年生でアンカーなんてすごいじゃん。せっかく期待されてるんだから、そのまま引き受けちゃいなよ。]と彼女にアンカー役を勧めた。
[でも、もしアンカーの私が何かやらかしたり最終的に抜かされたりしたら、他の先輩達に白い目で見られそうで怖いんです]
成程と、私は彼女がアンカー役に難色を示している心情を察した。 確かに、あの高校の体育大会は全学年混合で行われ、毎年きっちり勝敗も決まるから、上級生がやる気だと結構勝敗に煩くなる事もある。 私の一年生の時の体育大会がまさにそれで、私の同級生がとある競技でミスをやらかして最下位になってしまった際、競技が終わったあと当時三年生だった先輩達に呼び出され、ひどい悪態をつかれたという話も耳にした事がある。
下級生にとって見知らぬ上級生というものは畏怖の存在でしかなく、私にはそうした経験は無かったけれど、当時はその話を聞いただけで背中に悪寒が走った覚えがある。
幸い、その年の三年生の柄が極端に悪かっただけで、私が二年生に進級した頃には学校の治安(というのも大袈裟かもしれないけれど)もすっかり良くなり、昨年はギスギスしていた体育大会もその年には全校生徒が大いに盛り上がっていた。
それでもやはり、下級生からしてみれば上級生というものは怖いものだ。 向こうがその気でなくとも、どこか威圧感がある。 その謂れの無い恐怖こそがきっと、今古谷さんが抱いている悩みに直結しているのだろう。 そして私は彼女から相談を持ち掛けられたのだから、その恐怖をある程度は取り払ってやらないといけない。




