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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第三部 変わる人々、変わらぬ心
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第三十話 おやすみは言えなくて 10

「――ユキくん、入りますよ?」


 洗面所でヘアブローを済ませてから部屋に向かい、軽くノックをした後、私は部屋の中に居るユキくんへ入室の是非をたずねた。 しかし、返事は返ってこない。 私は音を立てないように扉のレバーハンドルを回し、そっと扉を開けて部屋の様子をうかがった。 すると室内は暗く、常夜灯のみが灯っていた。 そして私の用意した布団でユキくんがすやすやと眠っているのを確認した私は状況を理解し口元に笑みを作った後、そろりそろりと部屋へ進入した。


 やはりユキくんは寝てしまっていた。 よくよく考えてみればそれもそうだ。 私にとっては花火会場まで三十分程度の電車道だったけれど、ユキくんからしてみれば二時間近い長旅だったのだから。 私以上に疲労が蓄積していて当然だ。 でもユキくんは私の前で疲れたなんて言葉は一言も言わなかったし、ずっと私を楽しませようとしてくれていた。 ユキくんは自分の行動面に対して結構謙虚なところがあるけれど、あれは過小評価だと思う。


 私がユキくんを好きだという贔屓目ひいきめはもちろんあるけれど、その贔屓目を差し引いたとしても、私はユキくんの人間性に惹かれ続けている。 それはもう男だとか女だとかの性別の話ではなくて、綾瀬優紀という一人の人間に好意を抱いていると言ってもいい。 要するに私は、ますますユキくんの事を好きになってしまったという事だ。


 ――今日という日を経て、いっそうつのつのる彼への想いを確認した後、先ほど風呂場でキスだのエッチだのとよこしまな事を考えてしまっていた自分が急に恥ずかしくなってきて、一人頬を熱くしていた。 幸い暗がりだし、彼は夢の中だから私の顔の赤いのは誰にも見られないで済みそうだ。


 それから私はユキくんの為に用意していたお茶の容器を手に取って、中身をグラスに入れてそれを飲み干した後、寝支度を始めようとした――矢先、ベッドの上に置いていた私のスマートフォンの通知ランプが点灯しているのに気が付いた。


 私が風呂へ向かう前に確認した限りでは誰からの連絡も無かったから、恐らく私が風呂場に居た時に来た連絡だろう。 けど、こんな夜更けに誰からだろうと不思議に思いつつ、私はスマートフォンを手に取って通知を確かめた。 それはユキくんからのSNS宛のメッセージだった。


[おやすみ、古谷さん]


 彼からのメッセージはそれだけだった。 でも、私はそのメッセージを見た途端に思い切り破顔してしまった。 その笑みの理由は、面白いというよりは、嬉しいという意味合いを含んでいたと思う。 そのメッセージはただ単に『おやすみ』という就寝の挨拶と、私の名前を並べただけのもの。 でも私はその短い文章の中に、彼の優しさを見出していた。


 確かに私も、せっかくユキくんと同じ部屋で寝るのだから、彼とおやすみの挨拶くらい交わしてから寝たかったと思っていた。 でも、その挨拶が交わされなくっても今更私達の仲が険悪になったりなどはしないし、また、彼との距離が急激に縮まったりもしなかっただろう。 言ってしまえばその就寝の挨拶は、完全に私の希望的な願望でしか無かったから、別に在っても無くても何ら問題は無かったのだ。 恐らくユキくんも、私と同様の気持ちは少なからず抱いていたとは思う。


 だけど彼は、直接言えないならばせめてメッセージだけでも残しておこうと、私宛に簡単な就寝の挨拶を送ってくれていた。 その心は多分、私より先に寝てしまうという後ろめたさを抱いていたからだろうと思う。 私はそこに、ユキくんの相手を思いやる優しい心遣いを感じ取っていたのだ。


 ただ、そのメッセージが送信された時刻は零時四十五分ごろで、眠くなるぎりぎりまで彼が私を待ってくれていたであろう事がその送信時間からひしひしと伝わってくる。 ひょっとすると、私が変に臆病になって湯船で時間を潰していなかったら、彼に余計な気を遣わせずに、私は彼と面向かって『おやすみ』と言い合えたのかも知れない。


 そう思った途端に私は、彼と直接おやすみを言い合える千載一隅の機会チャンスを自分の意思で見逃してしまったような気分になって、地団駄を踏みたくなるくらいにもどかしい気持ちを胸の内にこしらえてしまった。


 馬鹿馬鹿と私の臆病だったのを心の中でののしりつつ、数回深呼吸して気持ちを落ち着かせ、寝ているユキくんの方に顔を向けた私は「おやすみなさい、ユキくん」とささやいた。 それから自身のベッドの布団に潜り込み、枕の上で首を回して彼の寝顔を今一度だけ堪能してから首を戻した私は、自然とやってきた眠気に抵抗する事も無くまぶたをゆっくりと閉じ、私にとって夢のようだった一日に幕を閉じた。

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