第三十話 おやすみは言えなくて 6
『……はぁ?! 何キミ、もしかしてこんな夜遅くに女の子の家に押し掛けたって訳?!』
案の定、玲さんは僕の行動を咎めようとしている。 こうなるであろう事は予覚していたけれど、彼女の鋭い語勢を耳にして、せめて経緯ぐらいは簡単に説明しておくべきだったと今更後悔した。
「ち、違いますってっ。 いや、違わない事も無いですけど。 こうなる前に色々あったんですよ」
最低限の否定は醸しつつ、かくして僕は玲さんに、僕が何故古谷さんの家に居るのかという事情を委細余さず説明した。
『――ふーん。 まぁ、聞く限りではどっちもどっちって感じだけど、やっぱりキミが素直に一人で帰っておくべきだったんじゃないの?』
一通り話を聞き終えた後、玲さんは僕の行動に関する言及をしてくる。
「やっぱり、そうするのが正解だったんでしょうか」
『そりゃそうだよ。 キミが変に意地張ってあの子のお手洗いを待ってた挙句に電車に乗り遅れちゃったからこそ、あの子はキミが電車に乗り遅れたのを自分のせいだと責任を感じて、せめてもの償いとして自分の家に泊まってくれって言ったんでしょ。 キミが一人で帰ってればあの子に余計な気を遣わせずに一件落着してたのは明白なんだから、その辺はちゃんと反省しないと駄目だよ?』
「はい……でも、あのまま古谷さんを置いて一人で帰ったら、その、男じゃないような気がして」
僕が自信なさげにそう言うと、スピーカーの向こうから『はぁ』という大きな溜息が一つ聞こえてきた。
『あのね、こういう時はまず目先の利益なんて放っておいて、後の事を考えるものなの。 キミが男らしいと思って起こした行動が誰かの迷惑になっちゃったら、いくら男らしい行動を取ったとしても何の意味も無いでしょうが。 だから、こういう時に第一に優先しなきゃならないのは自分の損得じゃなくて、相手の気持ち。 その時の思考に男だとか女だとかは一切関係ないの。 キミが男を目指してるのは嫌ってほど知ってるし、一日でも早くあの子の想いに応えてあげたいって気持ちも分かるけど、あんまり男らしい思考ばかりに囚われるのも良くないからね。 仮にそれが本当に男の思考であっても、必ずしもそれが相手にとっての正解とは限らないから、その辺は状況を見て自分で正しい方を選ばなきゃ駄目。 これがキミの今後の課題だね』
玲さんの大溜息の後は、大抵お小言が飛んでくる。 今回も例によって、僕は古谷さんの家に居ながら玲さんからの叱責を被った。 しかし玲さんはただ僕を叱りつけるのではなく、そうならない為にはどうすれば良いのかという対策を毎回のように講じてくれる。 叱責を被って嬉しいなどと声を大にして言うと白い目で見られてしまうだろうから決して口には出さないけれども、僕は玲さんからの叱責には都度感謝している。
こうして毎度毎度自分自身に足りない部分を彼女に暴かれる事によって、僕はその瑕疵と真摯に向き合う事が出来る。 そうして向き合った後は『こういう時はこうするのが正解なのだ』と自身に言い聞かせ、以後、僕の『男』としての言動に反映させている。 言うなれば玲さんの叱責は、僕の男の容を作り上げる為のピースなのだ。 だから僕は、玲さんから与えられた叱責の数々を余す事無く自分のものにしなければならない。
たった一つでも取りこぼしがあれば、僕の男の容は一生涯完成しないに違いない。 何故なら、玲さんは僕にとっての太陽であり、僕は太陽からの光を受ける事で初めて存在の証明を許される欠けっ放しの未熟な月なのだから。
『――まぁ、あの子の家に居る時にまでこんな事言われるのはキミも嫌だろうから、今回はこの辺で切り上げといてあげる。 あんまり言い過ぎてキミがしょげちゃったら、あの子にまで変な気を遣わせるかも知れないからね』
玲さんからの恩情により、今回のお小言は普段より早めに終了した。 彼女の叱責がピースの一つだとは言ったけれど、それでも僕が彼女に叱られているという事実に変わりは無く、まったく心にダメージが無いという訳ではないから、今回のよう早めにお小言を切り上げてくれるのは非常にありがたい。
「……分かりました。 今日言われた事は今後に生かせるよう反省しておきます」
『うん。 でも私の思ってる正解があの子とか他の人の正解とも限らないから、私の言葉ばかりにも囚われないようにね』
「はい、肝に銘じておきます」
かくして僕は、玲さんから与えられたピースを受け取った。 これまでに揃えたピースと照らし合わせても、それらが何処に嵌り込むかはまだ分からない。 けれど、きっとこのピースの数々が綺麗に嵌り込む日が来る筈だ。 その時が僕の男の容の完成の日であり、僕が古谷さんの想いに応えて上げられる日でもある。 その日が来るまで僕はこのピースの数々を失くさないようにしなければならない。 一つでも失くせば大事だ。
だからこそ、後生大事に胸中へ仕舞っておこう。 来るべき日が来るのを信じて。




