第三十話 おやすみは言えなくて 2
「――気持ちはすごく嬉しいんだけど、時間も時間だし、それに古谷さんが僕を家に連れて行っちゃったら、その、古谷さんの家族にも気を遣わせる事になるから」
以上の理由から、僕はその申し出には肯えないと古谷さんに伝えた。 古谷さんの父の存在をあえて『家族』として括ったのは、彼女にも例の父親事情を意識させてしまいかねなかったが故の、僕のちっぽけな配慮である。 しかし、次の古谷さんの言葉で、その配慮がまるで無意味であった事を僕は知る事となる。
「あ、それなら大丈夫です。 両親と姉は揃って家族旅行に行ってるので、実は家には誰も居ないんです。 本当は私も行く予定だったんですけど、ユキくんとの先約があったので今回は断ってたんです」
まさかの事実を告げられた僕は、彼女の父という最大の難関を乗り越えた事による安堵から、それならお言葉に甘えてと、あっさり掌を翻した――これが、僕が古谷さんからの申し出を受け入れた理由だ。
そして僕は今、古谷さんの自室に居る。 何というか僕の勝手なイメージで、女の子の部屋というものはもっとハイカラで、カーテンは濃すぎない明るめな赤系統のものだったり、抱える事の出来るほど大きなキャラもののぬいぐるみ――いわゆる抱きぐるみがベッドの上に転がっていたりと、いかにも女の子らしい部屋を想像していた。
しかし彼女の部屋はと言うと全体的に暗めの配色で、机やシェルフやテーブルなどもどこかアンティーク感のある重厚な雰囲気を醸し出しているから、何も知らされていないままにこの部屋に連れてこられて「この部屋は男性の部屋です」と説明されても、僕はまったく驚かない自信がある。 逆に「この部屋は女性の部屋です」と言われれば驚かない自信がない。 要するに、古谷さんの部屋は僕の感覚の目からして、あまり女性らしさというものが無いように思われた。
ただ、それはあくまで第一印象としての感想であり、彼女の部屋に入室してから失礼にならない程度にちらちらと目線を動かして辺りを見回してみると、テーブルの上に女性用のファッション雑誌のようなものが数冊置いてあったり、オープンクローゼットにお洒落そうな服が掛けられてあったり、部屋の所々に手の平サイズの動物のぬいぐるみが置いてあったりと、よくよく観察してみるとこの部屋の女性らしさが段々と見えてきた。
却ってその慎ましやかな女性らしさが僕に古谷さんへの奥ゆかしきを覚えさせてきたかと思うと、今になって急に、僕は今まさしく女の子の部屋に居るのだという現実を突きつけられた気がして、平静を保っていられなくなってしまった。
片や古谷さんの方は「さてと」と自身の荷物をベッドに置いたかと思うと、おもむろにシャツワンピースのボタンを外し始めた。 まさか彼女は僕の目の前で着替えようとしているのではあるまいかと勘繰ってしまい、咄嗟に古谷さんから視線を逸らした後「ごめん、部屋、出てた方がいいかな」と弱々しく進言した。 すると彼女は「大丈夫ですよ。 上着脱いでただけですから」と平気な顔をして部屋を出る必要は無いと僕に伝えてきた。
何だか以前にもこうした場面があったようなと思っていた矢先、いつぞやに玲さんの自宅へお邪魔した際に彼女が僕の目の前で思わせ振りな態度で制服を脱ぎ始めた時と似ているなと思い出し、あの時から僕の女性に対する反応はまったく変わっていないのだなという事を思い知らされて、些か消沈を被ってしまった。 その内に古谷さんはシャツワンピースを脱ぎ終え、それにハンガーを通してオープンクローゼットに掛けた。
「そうだ、ユキくん、お風呂入りますよね?」
「えっ、お風呂?」
突然意識もしていない風呂の事を聞かれて、僕はオウム返し的に返答してしまった。
「はい。 多分祭り中に汗も掻いたと思いますし、そのまま寝るのは体がべたついて気持ち悪いでしょうから。 お風呂自体は私が家を出る前に予約をセットしてたので、もう沸いてる筈です」
なるほど彼女の言う通り、行動時間が日の落ちた夜間で大汗こそ掻いていないとは言え、気温自体は三十度を若干下回る程度だったので、いくら日は落ちていると言ってもそれなりに歩き回れば多少の発汗は免れない。 現に僕も駅から屋台通りに辿り着いた頃には発汗を被っていたから、多少身体はべたついている。
それでなくとも、一日に一度は必ず風呂に入らないと体も心も落ち着かないし、今日は彼女と同室で睡眠を取らなければならないのだから、彼女に汗臭いと思われてしまうのは尚更避けたいところである。 とすると、僕の取るべき行動は一つしか無かった。
「……うん、分かった。 ありがたく入らせてもらうよ」
「はい、遠慮なくっ。 それじゃ案内するので、ついて来てください」
こうして僕は古谷さんに連れられて、風呂場へと向かった。




