第十話 追憶 1
僕の生まれた時には、既にきょうだいが二人居ました。 きょうだいはいずれも男で、すなわち僕は三男坊。 末っ子という事になります。 長兄とは六つ、次兄とは四つ歳が離れており、彼らは僕にとっての良き遊戯相手であり、兄たちもまた、歳の離れた僕の事を頗る可愛がってくれました。
幼き僕は当然、世の中のしくみなどこれっぽっちも理解していません。 自分が何者であるかすらも、定かではありません。 五感で感じる総てのものに新鮮味を覚えて止まない年端も行かぬ頃、家内で僕が偶々耳にしてしまった「やはり最後は女の子が欲しかったね」という父母の言葉は今も記憶に新しく、その一言一句を当時の様子と共に間違いなく脳裏に思い起こす事が出来ます。
しかし、当時の無知極まりない僕に、父母が口にした言葉の真意などこれっぽっちも理解できませんでしたが、その言葉に対し僕は僕の感じたままを、家族に、周囲に、ありありと表現していました。 そうして、安易で無邪気な行動の果てに、暗澹で惨憺な結末が待ち構えているという事を、当時の僕は知る由もありません。
物心ついた頃から父母の喜ぶ姿が好きで仕様がなかった僕は、この度も例によって、父母が望んでいるであろう「女の子」になってあげようと、ひとり奮起しておりました。 しかし、一概に女の子と言いましても、当時の幼き自分には女の子を表現する為に一体全体何をしたらいいのやら、まるでさっぱり分かったものではありませんでしたので、例の言葉を耳の底に聞き留めてからまもなく、第一僕が学ぼうと努めたのは、女の子という名詞の概念についてでした。
女の子とは、何であるか。
僕が辿辿しくも会話出来るようになった時分には、人間の性別には二つの種類がある事を父母によって知らされていましたが、それが何に対しての区別なのか、幼い僕にはまったく判然としていませんでした。 そうして、味も形も無い曖昧な思考を稚拙な頭脳に巡らせていた頃、僕は確か幼稚園の年少組だったと思われます。
ある日の室内活動で粘土遊びに興じていた折、隣で同様に粘土を弄っていた男児が、妙に猥りがわしき面持ちを覗かせながら僕の耳近くで、ぼそと呟きます。
「お前、オンナのアソコ見た事あるか」
僕は、はてなと首を傾げました。 今でこそ、そう言ってきたその男児を、所謂おませさんとして鼻を鳴らしながらあしらう事も出来るでしょうが、如何せん当時の僕と言えば、それこそ純情が服を着て歩いていたようなものでして、彼の言うところの「アソコ」が、僕にはさっぱり理解出来なかったのです。
「アソコって、どこ」
ですので僕は率直に訊ねます。 すると男児は「ここ、ここ」と自身の下腹部辺りを指で示していますので、僕はまた率直に「おなか?」と訊ねると、男児は「違う、もっと下」と突然大股を開いて股間を指差していました。
この時僕は初めて、男児の言う「アソコ」が示す意味を理解しました。 では改めて、僕はオンナの「アソコ」を見た事があるのか。 答えは、いいえ。
答えを告げた矢先「オンナのアソコってのはな、オレらオトコみたいじゃなくて、何も付いてないんだぜ、すげぇだろ」と、男児。 僕の持ち合わせていない知識をこれ見よがしに披露した彼は、揚々とした様子で再び粘土作業に没頭し始めました。
これが僕が初めて知る、オトコとオンナの決定的な違いでありました。 しかし、その違いについて気になるところは当然ありました。 何も付いていないとは、一体どういう状態の事を示しているのだろう。 言葉の示す通り、僕達男に付いている「アレ」の場所に、女は何も付けていないのでしょうか。 それとも、付いていないように見えるだけで、別の何かが付属しているのでしょうか。 考えれば考えるほどに、しかし謎は深まるばかりでした。
この件について、一番手っ取り早く答えを知る方法は、確かにありました。 父母という「人生の手引書」に訊ねる事が出来れば、およそ苦悩などさせられずに済んだのです。 けれども、僕にはそれが出来ませんでした。 僕にとっての父母とは、この世で最も侵し難い聖域のような存在だったからです。
博識な父は、僕がいかなる疑問愚問を投げ掛けようとも間もなく答えを導き出し、聡明な母は、泣きじゃくる僕の心情を誰よりも理解し包み込んでくれる、当に聖人君子そのものでして、子供ながら生意気にも僕は、この二人を理想の夫婦像として、いつも心に映していました。
その例に従い平生通り父母に依頼すれば、恐らく僕が抱いている些末な疑問などには鈍間な蚊を打ち落とすが如く、容易く解答を寄越してくれた事でしょう。 しかしその時ばかりは例に倣う事を頑なに拒否しました。 僕のそういった「下」の疑問で、父母という聖域を汚したくなかったのです。
先の男児の様な発言が、いわゆる「お下劣」という種類に相当する事は既に知り得ていましたが故に、とても僕のような端者の口から聖人君子に対し、彼らという聖域を汚してしまいかねないお下劣極まる愚問などは、投げ掛けられる筈も無かったのです。
ならばその疑問を抱えたまま、僕は一向に飲み込む事の出来ない悶々とした苦い日々を咀嚼し続ける毎日に甘んじたのでしょうか。 いいえ。 旺盛な好奇心が、その妥協を認めやしませんでした。




