第二十九話 号砲は耳に響き 2
そうして僕達は花火会場に辿り着いた。 花火の打ち上がる間際に会場に来たものだから、観覧場所はどこもかしこも既に満員のようだった。 この様子だとひょっとしたら立ちっぱなしで花火を見続けなければならないかも知れないと覚悟しながらきょろきょろと空いている席を探していると、二人の幼子を連れた三十台前後の夫婦の隣に、僅かながら空きスペースがあった。
ただ、目測ではあるけれど、面積で言うと半畳在るかさえ疑わしく、恐らく僕と古谷さんが体を寄せ合った上で何とか二人座れるといったところで、一言で言えば、ただただ狭かった。 その狭苦しいスペースを何の憚りも無く陣取っていいものかという良心が僕の心に働いていて、しかしこのスペースを逃してしまえば僕達は立ち見を強要されてしまうだろうと予覚していた僕は、先の騒動の時にどうしても出せなかった勇気を今ここで出すべきだと決意した後、
「あの、すいません。 そこの場所って空いてますか」と子連れの夫婦に訊ねた。
「ん? ああ、さっきまで誰も座ってなかったので大丈夫だと思いますよー、どうぞどうぞ」
ちらと空きスペースを確認した後、母親の方が気さくに答えてくれた。 僕は「わかりました、ありがとうございます」と礼を述べた後、少し前の方で場所を探していた古谷さんを呼んで、場所を確保出来た事を伝えた。 それから僕は、自身のボディバッグの中からレジャーシートを取り出した後、それを先のスペースの上に敷いた。 その動作を横で見ていた古谷さんは「準備いいですねユキくん」とやけに感心したような口吻で言った。
「多分座って見るだろうと思って持ってきてたんだ。 でも小さめのやつだから、かなり体を近づけないと二人座れないかもしれないけど」
「それでも地面に直接座るよりは良いですって。 助かります」
そうして僕たちはレジャーシートの上に腰を下ろした。 一時はどうなるかとひやひやしたけれど、何とか座れる場所を確保する事が出来てほっと溜息が出た。 ただ、座る前から分かってはいた事だけれど、実際こうして二人で座って見ると、その狭さが顕著に窺える。 況や、最も横幅を取る胡坐などはかけたものではないから、自然僕達の取る座法は体育座りとなる。
長時間座っていなければならない状況で、一つの座り方しか出来ないのは殊の外辛いものである。 足を伸ばそうにも前方はすぐに通路で、ことに往来も多くて伸ばすに伸ばせない。 ましてや立ち上がりなどは絶対にご法度だ。 後方の観覧客の邪魔になって非難を浴びる事は必至だろう。
しかし、この状況を口にして嘆く訳にもいかない。 いくらスペースが空いていたと言っても、比較的小柄な古谷さんと出来る限り体を寄せ合って辛うじて二人座れるほどの狭隘なスペースだったのだから、隣の家族は快く僕らとの相席を受け入れてくれたけれど、きっと多少なりとも煩わしさは覚えたに違いない。
無理を言って入れてもらった僕達がこの狭さに対して不平不満を述べるという事は烏滸がましさ極まりなく、だからこそ僕はこのスペースで座れている事に感謝はしても、不平不満を口にする資格など無いのだ。 庇を貸し出されて母屋を取ってしまうような厚顔無恥極まりない行為だけはしたくない。
その点で言うと古谷さんはしっかりしている。 この場所の狭いのを予め理解していたのか、完全に座り切る前に隣の夫婦を含む周囲の観覧客に「すいません、狭い所失礼します」と一言挨拶していた。 「気にしないで」と言ってくれた夫婦以外の客は無言だったけれど、軽い首肯は果たしてくれていたから、彼女の気遣いはちゃんと伝わっていたと思われる。
誰の占有権も無い共有の場所だからと言って、そうした気遣いをせずに居座る人も居るには居る。 それが悪とも言わない。 けれども古谷さん見たく周囲に気を配る事で、ある程度の穏和な空気を作り出す事が出来る。 恐らく、古谷さんにとっては当然の気遣いだったのだろうけれど、その当然を当然としてこなせる人というのは殊の外少ないものだ。 だから僕は、古谷さんを一人の人間として尊敬した。
それからしばし古谷さんと雑談を交わしていると、どこかに設置されているであろうスピーカーからアナウンスが流れてきて、打ち上げ開始三十秒前だと伝えてきた。 そして十秒前になったら来場者全員でカウントダウンをしようというリクエストがあり、まもなく十秒前に差し迫った。
『『『じゅう! きゅう! はち! なな! ろく!』』』
来場者数万人の声が一丸となって、一秒一秒力強く詠み唱えられてゆく。 その一丸の中には勿論、僕と古谷さんの声も入っている。 こうした人前で大声を出すという行為は慣れていないから当然恥ずかしさもあるけれど、隣で凛々と秒を叫んでいる古谷さんを見て、恥ずかしがる事の方が恥ずかしいのだと思い知らされたから、
『『『ごぉ! よん! さん! にぃ! いちっ!』』』
僕も声が枯れるぐらい、目一杯叫んだ。
『『『ぜろーーっ!!』』』
零の大合唱と共に、ひゅるひゅるひゅると複数の火の軌跡が夜空へ舞い上がった数秒後、遥か上空で鮮麗な花がいくつも満開に咲いた。 それから少し遅れてやってきた耳を劈く轟音は、鼓膜だけでなく僕の心も震わせた。
こうして、花火大会が幕を上げた。




