第二十八話 祭の匂い 8
当初は店主が僕達を助けてくれるものかと期待していたけれど、先の年齢確認のくだりから店主は眉間から怒りの色をまったく取り払って、すっかり客商売の愛想良い笑い顔をこの男達に呈している。 このまま店主が屋台の方へ引き返してしまえば、今度こそ僕達は彼らにどんな目を合わされるか分からない。 だから、今こそ最後の勇気を振り絞って、この男達の出鱈目を店主に伝えなければならない――
「おー、マジすか! ボクから揚げめちゃくちゃ好きなんすよ。 いやー、別の店で買おうと思ってたけど、店長さんが教えてくれて良かったっすよー。 どこの店すか?」
「おう、あそこの連続してテント張ってる所あるだろ。 あそこの手前から二番目の所だよ。 『日本一のから揚げ、自称』ってのぼりが出てるからすぐ分かるわ」
――今日ほど僕に勇気が無かった事を悔やむ日は無いだろう。
萎縮に萎縮を重ねられてこれ以上縮こまる事も出来なくなった僕はもう、声を出す事さえ侭ならなかった。 もはや、耳に聞こえて来る総ての音が耳障りな雑音にしか聞こえてこない。 僕は全てを諦めて、目をぎゅっと瞑った。
有り金を全て盗られる事も、暴力を振るわれる事も覚悟した。 それでも、古谷さんにだけは危害を加えてくれるなと精一杯の懇願はするつもりだ。 靴を舐めろというのなら舐めてやる。 土下座しろと言うのならアスファルトに額を擦り付けてやる。 それが、僕が古谷さんにしてあげられる最初で最後の献身だ。 その使命だけは、僕の矜持に代えてでも遂行しよう。
「あそこっすね! わっかりました。 後で買いに行くんで是非とも揚げたてよろしくっす」
「おう、任せとけ。 でもお前らも残念だったなぁ、食べ盛りキャンペーンって事で高校生以下の学生だったら身分証なり学生証見せるだけでから揚げがおまけで一つ付いてくるんだけどお前ら二十一だもんな。 ちなみにそこの兄ちゃんとその彼女さんにはさっき学生証見せてもらって、から揚げ一個おまけしてあげたんだぜ」
「へぇー、そりゃ残念っすねー、ボクも高校の時に来るべきだった――え、この子らが何て?」
「だからその二人は高校生で、から揚げ一個ずつおまけしてあげたんだよ。 ……それにしても奇妙だよなぁ、二十一の若者と高校生が友達同士だって言うんだから。 まぁ今はSNSとか流行ってるから歳の差なんて関係無ぇんだろうけど」
「そ、そうなんすよ! いやー、いい時代になりましたよねぇ。 今や歳の差なんて言ってそういう出会いを馬鹿にするのは時代遅れって感じで」
「そうだよなぁ、俺の店も若いのが多いから、あいつらと一緒に仕事してると若さを分けて貰えるしなぁ。 ――んでも、さっきその男、そこの高校生の兄ちゃんに『俺らは高校の同級生』って言って無かったか? この子らが現役の高校生なんだから、お前らが同じ高校生じゃねぇと辻褄が合わねぇだろうが。 苦し紛れにしょうもねぇ嘘ばっか付きやがって」
「ま、まさか最初から全部気付いて……」
「当たりめーだろうが、俺が何年客商売で人の顔拝んできたと思ってんだ。 こんな人の良さそうな二人が、お前らみてーな大学デビュー紛いの小物とツルむ訳ねーだろうが!」
「ひっ!」
「お、ビビったな? 確かちょっとでもビビったらこの子らに絡むの止めるって言ってたよなぁ。 で、どうすんだお前ら」
「……馬鹿っ、お前が適当な事言うからバレたじゃねーか」
「……無茶言うなよ、っていうか適当な事言い始めたのはお前だろうがっ」
「……いやまだ完全にバレた訳じゃねーっぽいし、また適当な事言って騙せば」
「いつまでコソコソ喋ってんだ! さっさと消えろっ!!」
「「「はいぃっ!!」」」
「ったく、手間掛けさせやがって。 ――兄ちゃん達、大丈夫だったか?」
――店主の人の優しい声色を耳にして、僕ははっと意識を取り戻したような感覚を得たと共に、ぎゅっと閉じていた目を開いた。 そうして辺りを見回してみると、先程の男達が忽然と姿を消していて、覚えず目をぱちくりさせて驚いた。
「あれ、あの人達は」
「ん、覚えてねーのか? まぁ兄ちゃん結構怯えてたみたいだし、仕方ないっちゃ仕方ないよな。 あいつらなら俺が追っ払ったよ。安心しな」
「そう、だったんですか。 何かすいませんでした、余計な気を遣わせてしまったみたいで」
「気にすんなよ。 俺の方こそもう少し早く助けてやりゃ良かったんだけど、今はネットである事ない事騒がれる時代だし、ちゃんと裏取ってから行動起こさねーと万が一が怖いからな。 だから、あいつらがデタラメ言ってたのは最初から分かってたんだけど、一応あいつらの年齢知るまでは大っぴらに強く言えなかったんだわ。 それまで怖い思いさせて悪い事したな」
店主の人がやけに慎重な対応を取っていたのはそういう理由があったのかと、僕は彼の大局を見据えた聡明な対応にひどく驚かされた。
なるほど昨今では、不特定多数の人々が内容を閲覧出来る公開型SNSによって謂れの無い誹謗中傷を広められて一企業の存続すら危うくなる場合もある、いわゆる『炎上』という現象が後を絶たない。
彼も屋台を営んでいるから、もしあの男達の言い分が真っ当なものであって、かつ彼が脅迫紛いの脅し文句で彼らを慄かせてしまっていたら、あの男達は間違いなく鬼の首を取ったかの如き勢いで彼を糾弾し、その上でSNSを利用して自分達が正義であると信じてやまずにこれ幸いと彼や彼の営んでいる屋台をこき下ろし、少なからずの損益を被らせていただろう。 だからこそ彼は、十中八九あの男達が悪者と判っていながらもたちまち行動を起こさず、完全に確証が得られるまでは敢えて下手に出て相手が馬脚を露わすのを待ち構えていたのだ。
頭で分かっていても中々実行出来そうにない事を、彼は平然とやってのけていたのだから、先程のあの男達を追い払ってくれた恩を含めて僕は「それでも僕達を助けてくれた事に変わりはありません。 ありがとうございます」と彼に敬意を表して礼を伝えた




