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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第三部 変わる人々、変わらぬ心
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第二十八話 祭の匂い 6

「あのっ!」


 成る丈周囲にも聞こえる程度の声量で、僕は彼らの注意を引いた。 すると彼らは先ほどまでのほがらかな顔色を一瞬にして無色へと変貌へんぼうさせ、極めて冷然とした視線を僕に向けてきた。 その視線はまったく敵意混じりのものである。 思わず身体がすくむ。 握っていた拳がふるふると震える。 我慢出来ずに目線も下げた。


 怖い。 ただただ恐ろしい。 僕が一言口を滑らせれば、たちまち隣の男が僕の肩に回している腕で僕の首を絞めてくるかも知れない。 はたまた、古谷さんの両隣に座っている彼らが立ち上がって、僕を殴りつけてくるかもしれない。 恐怖のあまり、今や呼吸をする事さえ大仕事だ。


 けれど、僕はこのままうつむき続ける訳には行かない。 僕は既に行動を起こしてしまった。 このまま僕が彼らに気圧けおされたまま黙っていては、僕はおろか古谷さんにすら危害が及びかねない。 そうさせない為に、僕は一時いっときの恐怖などにおののいているいとまなど無いのだ。

 僕は鼻からしっかり息を吸い込んだと同時に、消えかかっていた覚悟も取り戻した。 そうして僕は俯かせていた顔を上げ、重い口を動かした。


「――その子の隣に座るの、止めてもらえませんか。 すごく、怖がってるでしょ」


 しょぱなの通った声とは裏腹に、ようようにして僕が口にした言葉の声音は、周囲の喧騒けんそうに掻き消されてしまいそうなほどか細いものであった。 おまけに明らかな震え声で、これでは僕が彼らに怯えているのが完全に筒抜けだ。 情けない。 すると、僕の発言を聞いた三人は真顔で顔を見合わせた後、例の馬鹿笑いを周囲に響かせた。 僕は耳の傍でその笑い声を聞かされたものだから、耳がキーンと鳴った。


「何だよ人聞き悪い、まるで俺らがこの子の事怖がらせてるみたいじゃん。 違うよねー、ちょっと格好イイ男に囲まれちゃってるから緊張してるだけだよねー?」


 煙草の男が古谷さんの顔を覗き込みつつ、飄々(ひょうひょう)としらを切りながら適当な事を言っている。 古谷さんは「私は、その」と受け答えに困惑している。 彼女も恐らく、下手な受け答えをすれば自身や僕に危害が及ぶかもしれないと懸念しているのだろう。 下手に調子を合わせるよりは、曖昧に濁していた方がまだ牙が立たないから、彼女の対応は間違いでは無い。


「それにしてもさぁ、彼氏さんも彼女の為にもうちょっと男らしくしたらどうなの? 何だよさっきの、怖がってる『でしょ』なんて女みてーな口調。 男だったら『怖がってんだろ、やめろ!』ぐらい言おうぜ。 っていうかお前、よく見たら何か女みてーな顔してんな。 ほんとに男か? もしかして今流行りのコッチ系(・・・・)だったり、とか?」


 正面の黒マスクの男が散々僕の口調や容姿をあざけった挙句、指先をピンと張った右手の甲で左頬を隠すようなジェスチャーを取っている。 そのジェスチャーは、良く見た事がある。 中学生の時分、僕のセクシュアルマイノリティーがおおやけになってしまった後、一部の生徒から時折このジェスチャーで馬鹿にされていたからだ。


 このジェスチャーは、男性同性愛者――俗に言われるオカマやオネエという人達を指し示したものである。 一昔前には、そういった人達を題材にしたコメディなどもあったという話は聞いた事があるけれど、LGBTに関する問題が多く出回っている今日こんにちにおいては、たとえコメディや作り話の中であったとしても、そうした特定のマイノリティをあざけった表現は差別として扱われるに違いない。


 そして今、このジェスチャーを以って僕を『コッチ系』だなどとあざけってきた黒マスクの男は、僕が今どんなに酷い心持を抱いているのかを知るよしも無いだろう。 そればかりか、僕の心が傷付いている事すら分かっていないだろう。


 今の世の中、これだけ性差別への関心が広まってきているにもかかわらず、未だに何のはばかりも無く平気で性差別的な言動を働くやからが居るという事実にははなは辟易へきえきさせられる。 まったくもって不愉快極まりない。 でも、僕はそうした負の感情をいだかされるままで、何の行動も起こせやしない。 むしろ、相手が故意で無かったとはいえ、こんな遠方の祭りに来てまでぼくの事を引き合いに出されてしまい、僕は完全に萎縮いしゅくしてしまっていた。 先に取り戻した決意すら行方不明だ。


 あぁ、世界がぐわんぐわんと廻るようだ。 頭がふわつく。 もう僕は古谷さんを守ってあげられないだろう。 僕は僕を保つので精一杯だ。 やはり僕見たような曖昧あいまいな人間がいくら努力しようとも、本来自分の中に無い男になんてなれやしないんだと、僕は僕のこれまでの努力を水に流すような諦観さえ抱いた。


「なぁ、いつまでだんまりなんだよ彼氏さんよー。 お前が本当に男だって言うんなら俺らをビビらせてみろよ。 男だったらメンチの一つぐらいきれるだろ? それでもし俺らが少しでもビビったら素直にどっか行ってやるよ。 ま、お前みてーなおとこおんなには無理かな! はははは!」


 隣の男が僕の肩へ回していた腕で僕の身体を軽く揺さぶりながら、僕に発破を掛けている。 悔しいけれどその通りだ。 反論する余地すら無い。 僕に彼らをおののかせる事など、百年掛かったって不可能だ。 そもそも、僕が彼らを慄かせるほどの強面こわもての持ち主ならば、彼らははなから僕達に近付きさえしなかったろう。 だから先の彼の発言は、僕に対する挑戦でも何でも無い。 こんなのは彼らの酒のさかなに他ならない。


 僕が真に受けて先の行動を取りでもすれば最後、僕の精一杯の脅し文句(・・・・)を聞いた彼らは、ちっとも怯えやしないで例の呵呵かか大笑たいしょうを以って僕を大いにあざけってくるに違いない。 僕はまったく彼らに男として舐められているのだ。 僕はもう、指の一本すら動かせない。 まばたきをするのさえ息が詰まりそうだ。 いっその事、このまま世界が滅んでくれれば良いとさえ思った。


「おらぁ、何黙ってんだよ。 男なら『誰の女に手ぇ出してんだコラ』ぐらい言ってみろよー」

「――『誰の女に手ぇ出してんだコラ』」

「お? やれば出来んじゃん! ……って、え? 今の声どっから?」


 そうして全てを諦めかけた時、僕の後方に不意に誰かが現れた。

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