第二十八話 祭の匂い 4
「――ふう、結構食べ応えあったね」
「ですねー。 たこ焼きは一人前にしといて正解でした」
僕達が全ての食べ物を食べ終えたのは十九時過ぎだった。 二人で食べたのは、焼きそば二人前、から揚げ二人前、たこ焼き一人前、お好み焼き一人前。 全体的な量としてはそれほど多いという訳では無かったけれど、から揚げ以外の食べ物が炭水化物を多く含む食べ物だったから、さすがにお腹は膨れた。
「それにしても、ユキくんが猫舌なのには驚きました」
「うん、昔から熱い食べ物は苦手でね。 それでいて熱々の食べ物が好きだから、よく口の中を火傷しちゃうんだよね」
「私は熱いのは平気な方ですけど、熱々のまま口に放り込みたいっていう気持ちはよく分かりますよ。 やっぱり熱い内が一番おいしいですもんね」
「そうそう、だからから揚げだけは一番に食べたかったんだ。 ――ところで古谷さん、お腹の方はもう一杯?」と僕が聞くと、古谷さんは自身のお腹をさすりながら「んー」と満腹具合を確かめていて、
「食べられると言えば食べられますけど、あんまりがっつりしたものは入らないかもです」と、腹八分目程度にはお腹が膨れていると思われる返事をしてきた。
「そっか、じゃあ、ソース系統の食べ物も多かったし、口直しの食後のデザートにこんなのはどう?」
僕は思わせ振りにそう言った後、自分寄りに置いていた紙袋からある物を取り出し、古谷さんに見せた。
「あ、クレープじゃないですか!」
僕が古谷さんに見せたのは、屋台通りで食べ物を買っていた時、彼女に内緒で購入していたクレープだ。 これを見た途端、古谷さんの目が輝き出した時にはつい失笑を溢してしまいそうになった。
「でも、どこでそんなの買ってたんですか? 全然気が付きませんでしたけど」と言いつつ、古谷さんは首を傾げている。
それから「僕がたこ焼き、古谷さんがお好み焼きで並んでる時に僕の方が早く買えたから内緒で買ってたんだ」と僕が伝えると、古谷さんは「あー、あの時だったんですね」と数度うんうんと頷きながら納得した様子を見せていた。
「それで、古谷さんの好みが分からなかったから、カスタードとクリームのダブルクリームクレープと、一番売れ筋だったチョコバナナクレープを買ったんだけど、どっちがいい?」
「それじゃあ、チョコバナナの方にしようかな。 あ、でも、これお金は――」
「いいよ、僕が奢るよ」
「それは悪いですよ! 他の食べ物も二人で出し合って買いましたし、それだけユキくん持ちっていうのは」
「それじゃ、これは古谷さんのお願いのおまけって事と、期末テストで全学年一桁台を取ったお祝いって事で。 ……駄目かな?」
咄嗟に思いついたそれらしい理由を引き合いに出しては見たけれど、古谷さんは変わらず腑に落ちない表情を浮かべている。 以前にも貰いっぱなしは嫌だと言っていたから、一方的に何かしらの施しを受ける事に抵抗があるのだろう。
玲さんのデート指南で、女の子には食後に甘いものを用意してあげたら喜ぶ筈だと教えられていたから、それに倣って独断で用意していたのだけれど、彼女の反応を見るに些か出過ぎた真似をしてしまったかも知れない。 しかし、今更金銭をどうこう言うのはいかにもあたじけなくて男らしくない。 どうしたものだろう。
「……ずるいですよユキくん。 そう言われたら断れなくなっちゃうじゃないですか。 ――今回は、素直に奢られておきます。 でも! 今度は私の方から何か絶対奢らせてもらいますからねっ!」
口を尖らせながらも何とか承諾はしてくれたようで、僕は注文通り古谷さんにチョコバナナクレープを手渡した。 すると先程の曇った表情はどこへやらといった気味で、彼女は「うわぁ、美味しそう」とすっかりいつもの明るさを取り戻していた。 やはり女の子はこうした甘いものが好きなのだろうか。 かくいう僕も甘いものには目が無いのだけれど。
そうして僕も手元に残ったダブルクリームクレープの外観を一通り眺めた後、おもむろに口に含んだ。 ソース系統の食べ物を食べた直後という事もあり、カスタードと生クリームの甘さが際立って口の中に広がるように浸透してゆく。
デザートは別腹だとは良く言われているけれど、なるほどそれなりにお腹が張っていたにもかかわらず、甘いものはいくらでも胃の中に入りそうな錯覚さえするほどに、最初の一口を頬張った後はクレープを口に運ぶ手が止まらなかった。
「クレープって久しぶりに食べたけどこんなに美味しかったんだね。 癖になりそう」
古谷さんの為に買ったクレープだったけれど、僕の方もすっかりこの味に嵌ってしまっていた。
「生クリーム系はシンプルですけど、その分味にバラつきが無いから最後までおいしいんですよねー。 ――って言ってたら、ユキくんの方のクレープも食べたくなってきました」
「良かったら食べてみる?」と僕は自身のクレープを古谷さんの前に差し出した。 すると彼女はいきなりテーブルの上に身を乗り出して、僕の手に持っていたクレープにぱくっと齧りついた。
「――うんうん、やっぱり生クリームは王道でおいしいですねっ! ……ん? どうしたんですかユキくん」
古谷さんの行動があまりにも卒然で大胆だったから、僕はクレープを前に差し出したままの状態ですっかり固まってしまっていた。
「いや、そういう食べ方をしてくるとは思ってなかったから、ちょっとびっくりして」
「……実はこういうの、ちょっと憧れてたんで思いきってやってみたんですけど、やっぱりちょっと恥ずかしいですね」
急に思い出したかのように、古谷さんは今になって顔を赤くし始めた。 僕の方まで少し気恥ずかしくなった。
「……じゃあ、今度はユキくんの番ですね」
「えっ?!」
とても素っ頓狂な声が出た。 そして古谷さんは先の僕と同様にして、自身の持っていたクレープを僕の前に差し出してきた。 僕の番という言葉から察するに、僕も古谷さん見たく、このままクレープに齧りつけという事なのだろう。 しかしこれはいわゆる、主に恋人同士の間で活用される "あーん" というものではないだろうか。 だからこそ古谷さんは先程この行為について『憧れていた』と言っていたのだろう。
だけれども、飲食店などで若い男女がこれをし合っているのを何度か見かけた事はあるけれど、いざ自分がする側される側になってしまうと、これほどまでに恥ずかしいものだとは思わなかった。 見る見る内に頬が熱くなってゆくのが分かる。 ことに二人きりの空間でならばまだしも、実際はこの人だかりだ。 どう事を済まそうが、僕達のいちゃいちゃはまったく周囲に露呈してしまうこと請け合いだ。
とは言うものの、恥ずかしいのは古谷さんも同じだ。 このまま僕がまごつき続ければ、彼女の顔からも火が上がってしまいかねない。 彼女の為ならば僕がいくら羞恥を被ろうとも差し支え無いけれど、彼女がそうなってしまうのだけは肯えない。 となると、僕がすべき事はただ一つ――
「……んっ」
古谷さんの "あーん" を受け入れる他に無く、僕は先の彼女みたくテーブルに身を乗り出して、彼女の手に持たれたクレープをぱくっと一齧りした。
「――うん、こっちの方もおいしいね」
おいしいとは言ったけれど、こんな状況下で味なんて分かってたまるものか。
恥ずかしさのあまり変な汗が出そうだ。 古谷さんも古谷さんで、自分から僕に "あーん" を振っておきながら、僕が一口食べた後は羞恥とも喜々とも取れぬ曖昧な表情をして顔を赤らめていた。 そういう顔をされると僕の恥ずかしさがより一層助長されてしまうからひどく困窮した。
照れ隠しに口の中に残っていたクレープを咀嚼する。 ただただ甘い。 その甘さが、クレープの甘さなのか、はたまた、古谷さんとのいちゃいちゃによって生み出された恋の甘ったるさなのか、まるで判然としなくて、結局答えも出せないままに僕はその甘きをごくんと飲み込んだ。




