第二十八話 祭の匂い 3
それから、テーブルの上へ食べ物を一通り並べ終えた古谷さんが「ユキくん、何から食べます?」と訊いて来る。
「そうだなぁ、どれも手を付けたいところだけど、せっかくだからさっき買ったから揚げでも食べようかな」
焼きそばやたこ焼きなどは多少冷めていてもおいしく食べられるけれど、から揚げだけは冷めると美味しさが半減してしまう気がするので、僕は先程そこの店で買ったばかりのから揚げを最初に食べる事にした。 そうして、大きめの紙コップに溢れんばかりに詰められたから揚げ一つを、付属していた木の串で突き刺して丸ごと口に放り込んだ。
「熱っ! ――でも、すごくおいしいよこのから揚げ。 噛む度に味が染み出てくる感じ」
購入した時に揚げたてだとは聞いていたけれど、思っていたよりも中身が熱く、もう少しで口の中を火傷してしまうところだった。 しかし、屋台に『日本一のから揚げ(自称)』というのぼりが掲げられているだけあって、その味は確かなものだった。
「ほんとですか?! じゃあ私もから揚げから食べようかな。 ……よし、いただきますっ」
古谷さんも僕と同じように串でから揚げを一つ突き刺し、口元へと寄せた。
「結構熱かったから、火傷しないように気をつけて」
「確かに熱そうですね。 ユキくんみたいに丸ごとは怖いので、とりあえず一口。 ――あ、ほんとだ! とっても美味しいですねこのから揚げ」
「他にもから揚げの屋台はあったけど、やっぱりここで買ってよかったね」
「ですね! じゃあ他のも冷めない内に食べちゃいましょうよっ」
一品目に選んだから揚げが予想以上の美味しさだったので、僕の食指はすっかりあちらこちらへ動き回っていた。 僕は次に焼きそばを食べた。 から揚げと比べると少々冷めてはいたけれど、家で作る焼きそばとは違い水っ気が無く、ソースも濃過ぎず薄過ぎず良い按配で調理されており、何度口に運んでも口の中があっさりとしていて非常に食べやすかった。 古谷さんも「あるだけ食べちゃいそうです」と舌鼓を打っていた。
次に食べたたこ焼きにはまんまと一杯食わされた。 屋台通りに出てから最初に購入したのがたこ焼きで、購入した時点では出来立てだった。 しかし、から揚げと焼きそばを半分ほど平らげた後だから、程ほどに冷めているだろうと別段熱さに対し警戒もしないで一つ丸ごとを口の中に放り込んだ。 それがまったく蛮勇だった事に気が付いた頃には、僕は軽く上あごを火傷させられてしまっていた。 購入した時点からすっかり時間が経っていたにもかかわらず、中身の方はまるで熱が逃げていなかったのである。
古谷さんの手前、目の前で吐き出す事も出来ず、僕は熱いのを必死に我慢しながら舌でたこ焼きの中身を転がして熱を逃がし続けた。 そうして何とか飲み込む事は出来たけれど、舌で上あごをなぞってみると、上あごの皮がべろんとめくれてしまっていた。 加えて少しひりひりもする。
これは完全に軽率だったなと、僕は古谷さんに「たこ焼き、全然冷めてなかったから気をつけて」と注意を促した後、屋台で買ったメロンソーダを口に含んで、しばらく上あごを冷ましていた。 ただ、軽い火傷はさせられてしまったけれど、たこ焼き自体はソースの味がしっかりしていて単純に美味しかった。 今度はもう少し冷めてから食べよう。 二度も火傷させられてはたまらない。
それから僕達は、テーブルの上に広げられた食べ物を各々つまみながら談笑を交わしていた。 空には夜の帳が下ろされ始めていて、屋台の明かりがまぶしいぐらいに目に付くようになってきた。 耳を屋台通りに向けて見ると、鉄板で何かを焼いている音だったり、コンプレッサーのけたたましい音だったり、人々の喧騒的な声だったりがまとめて大合唱のように聞こえて来る。
音だけじゃない。 匂いもだ。 鉄板に焼かれた醤油の香ばしい匂い、どこか懐かしいソース系の匂い、わたあめやリンゴ飴の甘ったるい匂い。 それらの交じり合った空気を一息吸い込む度、僕の鼻腔を通じて直接脳に語りかけてくるかのよう、子供の頃に親に連れられて地元の祭りに出かけていた記憶が鮮明に蘇って来る。
記憶とは、何も記憶単体で脳に刻まれている訳ではない。 およそ記憶というものは、記憶が刻まれた時に感じていた感覚総てを記憶と結びつけた上で成り立っているのだ。 その中でも嗅覚は特に記憶と密接しているという文献をインターネット上で見かけた事があるけれど、まさにその通りだと思う。
現に僕は、音よりも匂いの刺激によって子供の頃の記憶が呼び起こされた。 しかし、だからといって他の感覚器での記憶の呼び覚ましが弱いという訳でもない。 あくまで匂いが記憶と密な関係だというだけで、他の感覚器もちゃんと記憶とは結びついている。 それこそ匂いだけではなく、総ての感覚を使って記憶を刻み込めば、それだけ思い入れのある記憶として脳に刻まれる事だろう。
だから僕は、今日の古谷さんとの思い出を忘れない為、この光景を、音を、匂いを、感触を、味を、五感総てで心に刻み込んだ。 この記憶は、僕の青春の一頁として丁寧に綴られる事だろう。 そして、いつの日かその記憶を思い出した時「そういえば昔、こんな事もあったね」と、いま僕の目の前で満足げにたこ焼きを頬張っている彼女と言い合えたなら、これ以上の幸いは無い。
「ユキくん、もうたこ焼き大分冷めてましたよ」
「ほんと? 一個目のは熱過ぎて味わう以前の問題だったから、今度は味わって――熱っ!!」
今日の屋台のたこ焼きが熱かったという記憶も、僕が熱いものを口に放り込んだ時にきっと思い出されるに違いない。




