第二十八話 祭の匂い 1
「うわ、すごい人だね」
「ですね。 下手したら去年より人が多いかも」
僕達を乗せた電車は花火会場の最寄り駅に到着した。 電車を降りて駅出口へ向かうと、花火の始まる一時間以上前の薄ら明るい十八時過ぎだというのに、駅周辺は人で溢れかえっていた。 推測するまでもなく、この人だかりはまったく花火の見物客に違いない。
「えっと、花火会場はここから南に十分ほど歩いた海岸沿いにあるんだっけ?」
「そうですね。 でも花火会場近辺には屋台があんまり無いので、予定通りまずは屋台を見に行きましょう。 花火会場からはそう離れてませんし、花火の上がるギリギリまで屋台を見てても十分間に合うと思うので」
「じゃあ、僕よりはよっぽど詳しいと思うから、道案内は任せてもいいかな」
「はいっ」という快活な返事で道案内を引き受けてくれた古谷さんを頼りに、僕達は屋台の出ている通りへと向かった。 それからしばらく歩いている内に、僕は何も思わず少し先頭を歩いていた古谷さんを抜かしてしまった。 そして、またもや玲さんからのデート指南を思い出した。
"男の人って歩くの早い人が多いから、女の子と連れ立って歩いている時は意識して歩調を合わせなきゃ駄目だよ。 何も考えずにすたすた歩いてて、いざ振り返ったら相手がいなかったなんて事は絶対無いように!"
玲さんの経験談かどうかは分からないけれど、なるほどその通りだと思った。 学校などで古谷さんと連れ立って歩いている時は別段何も考えずに歩いていたけれど、こうした人通りの多い場所だとうまく自分のペースで歩けない事があるから、どうしても足の速い方が相手に歩調を合わせる必要がある。
しかし歩くという行為は最早息をする事と同様の無意識的な動作であり、無意識下であるからこそ、その動作が体にまったく染み付いているから、玲さんの言っていた通り意識して歩いていないとたちまち普段の歩調に戻ってしまう。
加えて、僕と古谷さんの身長差は約三十センチほどあるから、それでなくても歩幅に差が出てしまうのだ。 だから僕は普段以上に歩く速度には慎重にならなければならない。 僕は歩くペースを古谷さんの歩調に合わせるよう努めた。
しかし毎回良い按配で玲さんのデート指南が頭に浮かび上がってきてくれて助かっている。やはり彼女の観察眼は大したものであると改めて実感した。 時間に余裕があれば玲さんに感謝の意を込めて何かお土産でも買って帰ろうと思う。
「それにしても本当人が多いね。 毎回これぐらい多いものなのかな」
歩きながら辺りを見回しつつ、僕は古谷さんにそう話しかけた。
「この辺じゃ一番大きい規模の花火大会らしいですからね。 去年は確か前日が雨で、当日も雲行きが怪しかったんですけど、夕方頃には晴れて中止にはならなかったみたいですね。 ただ、前日の雨と当日の夕方ごろまでの天気が良く無かったんで、その分客足が遠退いて去年は例年よりは人が少なかったってお父さんが言ってました。 それでも混雑はしてましたけどね」
僕はふんふんと相槌を打ちながら、この祭りの規模の大きいのを改めて実感させられていた。 どちらかというと人混みは苦手な方であるから、駅周辺でこれだけの人混みとなると、花火会場では一体全体どれほどの混雑が予想されるか、まるで分かったものではない。
去年この祭りに赴いた古谷さんの話によると、比較的来場者の少なかったとされる去年でさえ花火会場では人の流れに逆らう事が出来ないほどに混雑していたらしいから、その状況を想像するだけで辟易してしまう。 この辺の土地勘は全く無いものだから、古谷さんとはぐれないように気をつけておかなければならない。 この場所においての僕の頼みは彼女しかいないのだから。
しかし、古谷さんにとってもそれは同じだろう。 勝手の利かない土地を歩くというのは誰しも不安なものである。 昨年に一度足を運んでいるとはいえ、あまり彼女を恃み過ぎてはそれだけ彼女に負担を掛ける事となってしまうから、僕も彼女ばかりを恃むのではなく、周囲の状況をよく判断して行動するよう努めよう。
それ以前に、僕は男として彼女を先導してやらねばならない立場なのである。 果たしてこの僕が一端の男子然として古谷さんをエスコート出来るのだろうかという不安も勿論ある。 けれど、この状況をうまく乗り越えれば、僕は男としての新たな格を得られるであろうと確信していた。
だから僕は、心に誓った。 古谷さんが誘ってくれたこの祭りを、目一杯彼女と楽しもうと。 その上で、古谷さんに僕の事を少しでも男らしいと思ってもらえるように振舞おうと。 その為には、人混みに負けてなどいられない。 彼女に心配を掛けないよう、堂々と歩いていよう。
空はまだまだ宵の口。 花が咲くにはまだ早い。




